「歪められたアラベラ」
文=野口方子(ドイツ文学)
text by Yasuko NOGUCHI

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 オペラというジャンルは劇場で上演されて初めて一個の作品として認識され、成り立つものである。そして劇場という限られた空間で上演するということは、同時にさまざまな制約を受けざるを得ないということでもある。その制約のなかに、舞台装置の問題や歌手のコンディションの問題などと並んで、上演時間が含まれることは言うまでもない。ある程度の決められた時間内に上演を終えなければならないためカットはやむを得ない。このような現実的事情は確かに無視しにくいものだが、一方ではまた、カットによってどのように作品が歪められることになるか検証するのを無意味と断ずることも、またできないであろう。
 ホーフマンスタールとR.シュトラウスの最後の共同作業になった『アラベラ』には、伝統的に「ミュンヘン版」と呼び習わされている版が存在する。本稿では、このミュンヘン版でカットされている場面の中から特に第二幕ラストの部分(音楽スコアの練習番号148、マンドリーカの『紳士淑女のみなさん、私のおごりですから、ごゆっくりどうぞ』〈53〉〔註1〕以降全て)と、第三幕半ばの部分(音楽スコア練習番号110の8小節目〜119の6小節目、アラベラの『ズデンカ、私たち二人のうちでは、あなたのほうが良い人なのよ』〈65〉から『マンドリカ!』〈66〉と呼びかける直前まで)を取り上げる。


1 ミュンヘン版

 序で触れたように『アラベラ』には、いわゆるミュンヘン版と呼ばれるものがある。これは1939年のミュンヘン公演の際(初演は1933年、ドレスデン)に、指揮者クレメンス・クラウスの提案を受けて演出家ルドルフ・ハルトマンが作品の随所にカットを施し、それが殆どそのまま現在でも習慣的に行われているものである。従って、作品の成立には全く関係なく生まれた版ということになる。
 そもそも何故カットをするようになったかという経緯については、ハルトマン自身の文章(註2)とクルト・ヴィルヘルムによるシュトラウスの伝記(註3) で見ることができる。この二人がまずカットの必要性を感じたのが、第二幕ラストに置かれているフィアカー・バルの大騒ぎの場面であった。
 第二幕は、ヴィーンに数ある舞踏会のうちの一つ、フィアカー、つまり御者たちの舞踏会が舞台となっている。ホーフマンスタールとシュトラウスは、この作品に1860年頃のヴィーンを取り巻いていた猥雑な雰囲気を取り込もうとした。これを演出しているのが御者舞踏会なわけだが、第二幕終わりの部分には本来、マンドリーカが全くの誤解からアラベラを疑い緊迫する場面に続いて、これとは場違いな感じすらする乱痴気騒ぎが置かれている。ところがミュンヘン版ではこの乱痴気騒ぎの部分が全てカットされてしまっている。前出のハルトマンの文章によれば、第二幕の終わりをカットし第三幕に直接繋げ、さらに第三幕の一部をカットしてはどうかとクラウスが提案すると、シュトラウスは何の躊躇もなく同意したことになっている。だが一方ヴィルヘルムの記述では、第二幕の当該箇所でフィアカー・ミリが登場するところから筋に断絶が感じられるので、この部分を変えて流れを取り戻してはどうかとクラウスが提案しても、シュトラウスは変更する決心がつかなかったという。そこでハルトマンが、第二幕のラストを削除して休みなしに第三幕に移ってはどうかというアイディアを出したと書かれている。
 そしてヴィルヘルムの記述によれば当時のオペラ愛好家たちは、このハルトマン版によって「いくぶん筋に統一性が増した」ので「作品の弱点」となっていた当該部分を受け入れたとあるが、(註4) どうであろうか。ここでハルトマンは「舞台効果の上がる改善をした」と言ったのだが、舞台上の効果を第一に考えるという演出家的見地から視点を変えて、ホーフマンスタールの書いた文学作品という見地に立ってみると、果たしてハルトマン言うところの「改善」が正当なことかどうか疑問が湧くのである。


2 第二幕のカット

 アラベラがマンドリーカに思わせぶりな手紙を残して舞踏会を去り、それが「鍵の誤解」を招き、ついにはミリが舞踏会の女王の座を奪ってしまうかのような事態が出来する。ここをカットすることが、何故作品を歪めかねないのか、という根拠を以下の二点に絞って考えてみたい。

[1] ワルツによる性格付け
 まず第一点として、シュトラウスが提案しホーフマンスタールが素晴らしいと認めた、ワルツによる第二幕の構成が挙げられる。シュトラウスは、1928年8月8日の手紙(註5)の中で、第二幕で使うワルツの性格付けを次のように行っている。アラベラと三人の伯爵たちとの会話部分では哀調を帯びたワルツ、マッテオとズデンカの会話では情熱的なワルツ、マンドリーカとお付きのものたちとの部分では滑稽なワルツ、フィアカー・ミリの場面では騒がしいワルツ。さらにその次には「〔第二幕の〕幕開けは儀式的に始まり、繊細かつ慇懃になって、大円舞曲の半ばで頂点を迎え、それから恋の情熱と絶望が続き、そして突然の幕切れが緊迫した転換点として、第三幕の展開と解決に向けて現れます」と書いている。これを受けてホーフマンスタールは、8月13日付けの手紙の中で、「あなたが示した第二幕の輪郭を、私は一目見て気に入りました。この三つの区分 ―― 静かで慣例的な部分、ワルツが全てを担い、全てを結びつける変化に富んだ動きの激しい中間部 ―― そして鋭いコントラストを見せる終結部 ―― あなたはこれ以上の歓迎すべき方針を、私の想像力に示唆することはできないでしょう」(註6) と述べ、さらに9月14日の手紙でも、「この三つの区分、伝統的な幕開けと広大な中間部、この中間部では常にワルツが鳴り続いて、そのワルツの合間にいろいろな出来事が入れ代わり立ち代わり織り込まれ、そしてセンセーショナルで切迫した終結部が来る ―― これはどれも素晴らしいもので、作曲家が何を欲し、何を必要としているかをとても身近に感じさせる恵みとなっています。そして、このあなたの希望をより綿密に上手く満たすことができれば、劇的進行という点で、第二幕とそして第三幕も、世間に好まれている『ばらの騎士』のどの幕よりも優れているに違いないと思いたいのです」(註7) と書いている。
 つまり、さまざまな性質を帯びたワルツの織り成す人間模様が、この第二幕の特徴なのであって、そのどれもが欠くべからざる要素として構想されていたものだったことがわかる。

[2] フィアカー・バルの醸し出す雰囲気と作品の喜劇性
 確かにこの当該場面は、先にも触れたようにアラベラとマンドリーカの仲が一体どうなってしまうのか、という緊迫感漂う中では、いささか場違いな、言ってみれば脳天気な場面になっている。アラベラはマンドリーカの婚約者として一旦は舞踏会の女王の座につきながら、「娘時代に別れを告げるため」(38)と称して「もう一時間だけ」(38)の猶予をマンドリーカに求める。そして一時間だけと約束しておきながらマンドリーカの許に戻らずに、つまり未だ確固とした意志でマンドリーカの求婚を受け止めきれていない「前存在 Praeexistenz」(註8)状態に留まったまま、舞踏会から立ち去るという重大な過ちを犯してしまう(註9)。 そしてここから惹起される誤解がさらに誤解を呼んで、四人の主要人物たちの間に紛糾が生じるのだが、この食い違いは聴衆からすると滑稽ですらある。後述するように、これを滑稽と感じさせるからこそ『アラベラ』は悲劇ではなく喜劇であるわけだが、深刻な事態になりつつある筋の流れを分断するかのようだとハルトマンやクラウスが感じた、フィアカー・バルの場違いな乱痴気さ加減がまさにこの滑稽さを表しているとは言えないだろうか。事の重大さをよく認識できないアラベラの未熟さと、いとも簡単にアラベラを疑ってしまうマンドリーカの滑稽さが、本来単なる誤解なだけの事態を深刻化してしまう。そして第三幕に持ち越されることになる主要人物たちの紛糾も、全てが誤解に基づくものなだけに(現に第三幕でマッテオもマンドリーカも共に『茶番Komoedie』〈55、58〉と言っている)、これらの「食い違い」が、深刻なストーリーの流れにあってはちぐはぐな印象を与えるこの無礼講の騒ぎに象徴されているとも考えられるのである。
 1860年頃のヴィーンの猥雑さを出すためにホーフマンスタールによって意図的に取りこまれたのが、このフィアカー・バルのいかがわしい雰囲気であることは先にも述べた。さらにこの雰囲気が担う役割として、この作品をあくまで喜劇に留める機能がある、という点に注目したい。つまり、ベンノ・レッヒが述べているように(註10)、 このような雰囲気にある幕でないと、鍵のエピソードが深刻になりすぎて、この作品が悲劇になってしまいかねない。これはつまり、フィアカー・バルの雰囲気を欠いてしまうと、ホーフマンスタールの死後、彼の意図を汲んだシュトラウスによって明記されたところの「抒情喜劇 Lyrische Komoedie」ではなくなってしまう恐れがある、ということをも意味する。
 ホーフマンスタールにとって「喜劇」がどのようなものであったかということは、ホーフマンスタールがパンヴィッツに宛てた1917年8月22日の手紙中にある次の記述に見ることができる。「次の発展段階において私が自らを注ぎ込み、自らの居場所とすべきものは〈喜劇〉です。そこでこそ私は自分の要素である、孤独なものと社会的なものを融合させることができるのです」(註11)。 さらに、ヴェルナー・フォルケはホーフマンスタール評伝の中でこう述べている。「《エジプトのヘレナ》において、再びアロマーティッシュ〔=他動的〕な解決が問題になっている。そして再び『描写されたものの軽快さを物ごと自体の深さ、悲劇性と調和させる』という困難がある。―― だがここ〔=《エジプトのヘレナ》〕では成功しなかった。この成功はホーフマンスタールとシュトラウスの最後の作品、抒情喜劇『アラベラ』に与えられる定めだったのだ」(註12)。
 この二つの記述から推察されるのは、物ごとの深さや悲劇性を軽快な筆致で描写することで、パンヴィッツに宛てた手紙にあるように「孤独なものと社会的なものを融合させる」、このことがホーフマンスタールが喜劇を書く目的であったのだろうということだ。

 ミュンヘン版のように、マンドリーカが疑惑に捕われ絶望したまま舞踏会を後にするところで第二幕を打ち切ってしまうと、深刻なままオペラが第三幕に入ってしまうことになる。そうすればその後に起こるマッテオとマンドリーカの「茶番」は、行き違いにも拘らず当事者たちが真剣なだけに、観客の目には残酷なまでに悲惨と映るだろう。その人間の性からくる哀しい残酷さを軽やかに描くのがホーフマンスタールの喜劇であるのに、そうなってしまっては茶番の茶番たるキャラクターが希薄になってしまうと言えよう。また、ある手紙(1928年11月7日)でシュトラウスは、この作品の根本的な性格は本来悲劇なのではないかと言って、いっそのことマンドリーカは絶望したまま自殺してしまい、悔やんだアラベラがマンドリーカの亡骸に遅まきながらグラスを捧げるという風にしてはどうかと提案したことがあった。この、表面的な悲劇性にのみ囚われ皮相な見方しかしていないシュトラウスの意見に対して、ホーフマンスタールが憤慨したのは言うまでもない。そして、およそこれとは違う現在の結末を書き上げたことを考えても、ホーフマンスタールにとって喜劇というものがどれだけ重要であったかがわかるのではないだろうか。
 ただ、実際の公演では、ミュンヘン版を採用した場合でも、この第二幕のカットを行っているものは稀である。本稿冒頭で触れたように、上演時間の制約や、「理屈ではなく楽しめる」舞台上の流れということを考えると、この部分のカットも已む無しとするのが舞台人の考えなのではなかったのかという疑問が残る。だがこのことには、ハルトマン自身が述べているように(註13)、 第二幕と第三幕を休みなく続けて演奏するためには、第三幕への前奏曲が鳴っている5分ほどの間にどのように舞台転換をするのか、という問題が絡んでくる。これは舞台装置とそれを動かす機能が劇場に備わっているかどうかによってくるので、上演時間とはまた別の、劇場という容れ物自体の制約と言えよう(註14)。


3 第三幕のカット

 ここで取り上げる第三幕のカットについて、第二幕終結部のカットとともに、クラウスが提案しシュトラウスの快諾を得たかのようにハルトマンによって伝えられていることは前章で述べた通りであるが、ケネス・バーキンは、これはハルトマンの記憶違いではないかと指摘している(註15)。 バーキンはその根拠として、ヴィーンのクレメンス・クラウス・アルヒーフで直にクラウスが所有していたスコアを眼にしたゲッツ=クラウス・ケネデ博士がバーキンに宛てた手紙(1987年9月23日)を挙げている。それによれば、第二幕には簡潔な短いカットがあるものの、第三幕には全くカットは施されていないというのである。さらに続けてバーキンは、これは今日でもノー・カットで上演されることが殆どなく、勝手に歪曲された方法がまかり通っている現状を考えると、非常に重要な意義を持つコメントであると述べている。
 もしこれが事実なのだとしたら、第三幕のこの部分が何故カットされたのか全く不可解である。というのも、ミュンヘン版でカットされている「ズデンカ、私たち二人のうちではあなたのほうが立派なのよ」で始まるアラベラのセリフは非常に含蓄に富んだものだからだ。ここは「昼のアラベラ」が、「夜のアラベラ」(註16) であるズデンカを赦し、妹から何の夾雑物も打算もない純粋な愛情を学び取る場面であり、「自分で責任を負った勇気あるアラベラと、はらはらするほどに不安定なズデンカ」(註17) とホーフマンスタール自身が述べている姉妹の本質がよく現れている場面でもある。
 ここで、「昼のアラベラ」「夜のアラベラ」という表現について簡単に触れておこう。これは、オペラ『アラベラ』の素地になった小説『ルツィドール』(1910)に一箇所だけ出てくる。アラベラに熱烈な求愛をしながらも冷淡にあしらわれているヴラディーミル(オペラではマッテオ)に思いを寄せる妹ルツィーレ(オペラではズデンカ)が、姉の名を語って夜に蝋燭の許でヴラディーミルに、実際のアラベラの態度とは裏腹な愛情溢れる手紙をしたためる。この、手紙の主としてだけ架空に存在するアラベラが「夜のアラベラ」と呼ばれ、それに対して実在の姉アラベラは「昼のアラベラ」と呼ばれている。つまり、ズデンカが夜のアラベラになってしまったがために、アラベラという人物がいわば二重人格としての性質を帯びることになってしまうのである。その様子は『ルツィドール』の中で、「アラベラの二重性がはっきりと言及されたことは一度もなかった。しかし、その二重性という概念は自ずと明らかになったのだ。すなわち、昼のアラベラは拒絶的でコケットで几帳面、自信家で世俗的であり過度なまでにドライな性格であったが、一方、蝋燭のもとで恋人への手紙を書く夜のアラベラは献身的で殆ど際限なく憧憬に満ちていた。」(註18)と描かれており、この二重存在が、ゆくゆくは鍵の疑惑を引き起こしてしまうことになる。
 こうしてみると、本来成熟した人間であれば、程度の差はあるにせよ誰でも一人の存在の内に併せ持っているであろう対照的な側面が、アラベラとズデンカという二人の存在に分裂してしまったのが「昼のアラベラ」と「夜のアラベラ」なのだと見なすことができよう。また、筆者の解釈によれば、ミュンヘン版でカットされてしまったこの部分は、「昼のアラベラ」が「夜」の側面を持つ資格を得、またズデンカを「夜のアラベラ」の呪縛から解放する ―― すなわち、アラベラが成熟したエクシステンツ状態に至り、ズデンカはズデンカその人としての存在を得る ―― という、作品主題に深く関わる重要な場面なのである(註19)。 現にフリードリヒ・ディークマンとバーキンも各々この部分を指して、「恐らくホーフマンスタールが創り出したうちで最も美しく素晴らしい登場人物」であるズデンカの愛情から、姉妹の信頼と心理的な連帯が描かれる極めて重要な場面だと述べている(註20)。
 そしてディークマンは別の稿で ――『ローエングリン』と比較しながら ―― (註21) この救済のための試練、厳密に言えば“救済される者”に対する試練が、実はアラベラにではなくマンドリーカに課されていたものだと述べる(註22)。 マンドリーカは(エルザと同じように、とディークマンは付記している)この試練に失敗するが、それにも拘らず結局は受け入れられるのだと。本来、マンドリーカはアラベラを「前存在」から(表面的な筋の上では一家の窮乏を)救済する者として登場し、一見明らかに優越性 Ueberlegenheitを持っていた。だが、鍵の疑惑という試練を乗り越えられなかったためにこの優越性は弱められ、それまで「救済される者」だと思われていたアラベラと、人間の尊厳という次元で対等になる。ディークマンの言葉を借りれば、マンドリーカの前ではアラベラは「凌駕した者die Ueberlegene 」なのである。この「凌駕した者」には、試練を超克しなければなれるものではない。そのことを観る者にも知らしめるのがこの場面なのだ。
 鍵の誤解が解けたとき、アラベラはマンドリーカの言い訳には直接応えず、「ズデンカ、あなたのほうが私よりも人として優れているのよ」と先の言葉を口にする。そして「たとえこの上何が起ころうとも私のことを見放さないで」(66)と言うズデンカに「たとえ何が起ころうとも、私はあなたの許にいるわ」(66)と答える。この姉妹の対話を聞いたマンドリーカは、鍵の疑惑でいとも簡単にアラベラに対する信頼と、そして何よりアラベラを愛していたはずの自分に対する自信を喪ってしまったことに愕然とし、半ば茫然と「たとえ何が起ころうとも・・・か」(66)と四回も繰り返す。葛藤に満ちたその過程は、彼の当初の「優越性」が弱められて行く過程でもあり、また、マンドリーカが自分のことを「最高の幸福を掴むだけの価値のない」(65)存在だと自覚し、そこから倫理的な視点を獲得することで、彼に対して新しい次元が開かれて行く過程でもある(註23)。 そして彼が、今や「救済者」の立場から引き摺り下ろされ、すっかり打ちひしがれて立ち去ろうとしたそのときに初めて、「凌駕した者」アラベラは「マンドリーカ!」と実に優しく呼びとめるのである。ズデンカを赦し妹の優越性を認めることで、そしてズデンカが実は自分こそが「夜のアラベラ」だったのだと告白するまでのマンドリーカとの緊迫したやり取りの中で、この人こそずっと夢見てきた「相応しい人der Richtige 」だと信じてきたマンドリーカの人間としての弱さと限界を、さらに「自分〔=アラベラ〕を信じる力を持たぬ者」(60)だったのだということを痛感することを経ることで、マンドリーカに対する優越性をも得たのだと言えよう。これはいわば、第三幕までずっと変わらず、「前存在」状態に留まるものとしての特性を持ち続けたことで得られた優越性と言うこともできようが、そのようなアラベラがマンドリーカを呼びとめ、そして彼を受け入れることで、初めて二人は真に対等になるのである(註24)。
 ミュンヘン版では、アラベラとマンドリーカが対等な立場になる、この間の経緯が殆ど全て削除されてしまっているわけであり、ホーフマンスタールがその円熟した筆致で緻密に描き込んだ登場人物たちの心の機微を無視した形で、いきなりマンドリーカが己の弱さと無価値を自覚しないままに赦されてしまうというのでは到底納得の行くものではない。確かに筋そのものとしては最低限の辻褄が合うようにできているカットではあるが、アラベラが「マンドリーカ!」と呼びとめる音楽の美しさも、これらの過程を踏んで初めて際立つのであって、これが全てカットされてしまっているというのでは、二人の心情面において何か釈然としないままに幕が降りてしまうという印象を残すのも当然であろう。


4 結び

 以上で見てきたことを、筋の流れと登場人物たちの状況を俯瞰し今いちど整理してみたい。まず第二幕の終わりでマンドリーカが自暴自棄になり、あたかもそれを象徴するかのようなフィアカー・バルの乱痴気騒ぎが起こるが、それとは全く無関係に、未熟な「前存在」状態に留まったまま立ち去るアラベラ。この間にある大きなギャップがまたフィアカー・バルの大混乱に表現されているとも言えるのだが、この断絶がさらに第三幕の「茶番」の茶番たるキャラクターをも引き立たせ、そして「たとえ何が起ころうとも・・・か」と繰り返しながら救済者の立場から引き摺り下ろされる際の、呆然としたマンドリーカの絶望感をも際立たせる役割を持つ。
 この構図を認識すると看過できなくなるのが、次に挙げるホーフマンスタール自身の記述である。

 「ところで、マンドリーカが嫉妬をすることで、それまでのプランとは全く違って深刻に、マンドリーカとアラベラをマッテオとズデンカの危険な一件と関連づけるというあなたのご提案は全くもって素晴らしいものです。(・・・)そして第三幕では全員が、重い罪を担わされたアラベラよりも、さらに罪深いという考えは素晴らしく、(・・・)フィアカー・ミリの登場は、この筋書きのために呼び出されたようなものです。(・・・)そして第二幕は騒然としたフィナーレへと向かって演じられ、このフィナーレの大混乱に接した観客は、マンドリーカの行く末と、そして物語の悪い結末を思って真剣に心配しますが、その後第三幕で演じられる大いなる取り違えに際して、激しい緊張感ののち素晴らしく友好的な解決に至るのです」(註25)。
 つまりこの内容からしても、第二幕ラストの騒ぎが、第三幕で(ミュンヘン版では)カットされている部分とともに、劇的進行の点においても綿密に計算され組み入れられていたものであったことはもはや疑いようがない。
 オペラは耳で聴き眼で楽しめればそれで良しとする向きもあろうが、リブレットを書いたのがホーフマンスタールほどの文豪なのであれば、もっと文学的解釈の上に則った配慮がなされても良いのではないだろうか。また、オペラを、音楽が言葉(標題)を呑み込んでしまっている交響詩と同列に扱うことには慎重にならなければならないことをも考えれば、カットの問題も単に「見栄え」という点から舞台効果を上げることだけに終始すれば良いというものでもなかろうと思われる。
 ただ本稿では、劇場の制約下で実際に上演する際の「現実的な問題」を無視し、実演には付きもののカットという行為そのものをただ批判するというよりは、カットされ聴衆には提示されなかった部分に光をあて、実はどのような意味があるのかを考察することのほうにむしろ意義を見出したいと考え、以上の考察を行ったものである。


(00/07/13)


著者プロフィール

武蔵大学および同大学院人文科学研究科ドイツ語ドイツ文学専攻修士課程を経て、慶應義塾大学大学院文学研究科独文学専攻博士課程修了(単位取得)。ピアノを海藤美和、岡田みどり氏に、ヴィオラを李善銘、中山良夫氏に師事。卒業論文のテーマは『ナクソス島のアリアドネ』。
また、「和風の魔圏−南ドイツ新聞《影のない女》評−」( Richard Strauss 93 日本リヒャルト・シュトラウス協会年誌 所収)の翻訳(共訳)および「昼のアラベッラ・夜のアラベッラ ―― アラベッラとズデンカの相互変容」(1998年新国立劇場・二期会オペラ振興会公演プログラム『アラベッラ』所収)等のほか、現在 Kurt Wilhelm の Richard Strauss persoenlich(第三文明社より刊行予定)の翻訳(共訳)作業中。

(本稿初出:2000年3月31日発行『慶應義塾大学独文学研究室研究年報』第17号)



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