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文=野口方子(ドイツ文学)
text by Yasuko NOGUCHI
初出:二期会オペラ公演プログラム『エジプトのヘレナ』(2004年2月)
 『エジプトのヘレナ』が日本初演される。日本のみならず、これまであまり取り上げられなかった作品だが、その理由としては「興行としての成果が芳しくなかった」ということも当然あるのだろう。あるオペラ作品が興行としてどのように評価されてきたか、という受容史的な面も確かに無視はできないし、何より当のシュトラウスは「興行として当る」作品にするための才に長けていたわけだが、それを考慮に入れた上でなお、そのような興行面での成功ということと、作品そのものの価値とを同一視することは必ずしもできないのではないだろうか。なぜなら、ひとつの作品を見る場合、興行として当ったかどうかということはひとまず措いた上で、純粋に作品そのものの価値を見据えるようにしないと、その作品に対して真に公平な視点を持つことにはならないからだ。
 しかし、何やらこのような書き方をすると、まるでシュトラウスのせいでこの『ヘレナ』の作品価値が損なわれてしまった、と言っているかのように聞こえてしまい(そうではないつもりなのだが)、それもまた公平とは言えまい。公平な視点で見るための最良の方法は、シュトラウスとホフマンスタールの応酬をつぶさに検証することだが、紙幅の関係で残念ながらそれは到底かなわない。そこで今回は、『ヘレナ』の中でホフマンスタールが実現したかったこと、そして成し遂げられなかった(ゆえに大成功の作とは言えなくなってしまった?)ことに目を向けてみよう。
 
トロイアとエジプト、二人のヘレナ
 トロイア戦争の原因となったヘレナの物語は有名だが、実はトロイアのヘレナは幻で現実のヘレナはトロイア戦争の間エジプトにいた、という伝説もずっと以前から存在していた。ゲーテの『ファウスト』第二部の中にもその外伝の件りが出てくるのだが、ホフマンスタールが実際に着想を得たのはギリシア三大悲劇詩人の一人エウリピデスの『ヘレナ』で、この作中では、メネラスがエジプトのヘレナに会うと同時にトロイアのヘレナは霧と消えてしまう。しかしホフマンスタールは、それでは幻影のヘレナと現実のヘレナという「二人のヘレナ」に分裂したままで話が終わってしまい、劇作全体の統一感が欠けていると考えた。『ファウスト』第二部では、トロイアから戻ったヘレナはメネラスに会う前にポルキュアスによってファウストの許に向かわせられるが(そしてファウストと結ばれた後、結局このヘレナの現身<うつせみ>も消えてしまうのだが)、ホフマンスタールは“トロイア”と“エジプト”の二人のヘレナを一人の存在にするために、アイトラという魔術使いを登場させ、小道具として秘薬を使ったのだった。つまり、古くからあるモチーフに魔術という要素をプラスしてホフマンスタールなりにパラフレーズしたものが、今宵のオペラ『エジプトのヘレナ』というわけだ。
 秘薬というと、オペラファンが真っ先に思い浮かべるのはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』だろう。しかし『エジプトのヘレナ』に登場する秘薬はワーグナーの二番煎じというわけではない。このあまりにも有名なオペラゆえに、秘薬はワーグナーの創作だと考えられがちだが(現にシュトラウスも聴衆にそう受け取られることを危惧していた)、このような忘れ薬の類はそれこそ古典古代から存在していた。ホフマンスタールもシュトラウスに宛てた1928年4月30日付の手紙の中でこう書いている。「ワーグナーがあの秘薬を創案しただなんて、とんでもない話です! かたや(『ニーベルンクの指環』では)エッダから、かたやトリスタン伝説から採っているのです。それに神話や伝承の中ではこのような秘薬はよく見られるものですし、ホメロスよりもずっと以前のインドの説話でも然り、他にもケルトやゲルマンの伝承など、あらゆるところで見受けられるものなのです」
 
「アロマーティッシュ」な解決
 このようにモチーフとしてはおなじみの秘薬というわけだが、それにしても秘薬を飲んで近過去を忘れてしまえば問題解決、とするのはどうも都合が良すぎはしないか、と考えるのが人情というものだろう。しかしながら、ホフマンスタールは「忘却」を必ずしも負の要素と捉えてはいないのである。
 ドイツ・ロマン主義の時代には、「無限の合わせ鏡」で映すようにある一点に留まらず常に新しい視点を確保しなければならない、とする考え方が出てくるが(F.シュレーゲルのロマン的イロニー)、ホフマンスタールは「忘却」の力をちょうどこの「無限の合わせ鏡」のように捉えていたようだ。『ナクソス島のアリアドネ』に関するシュトラウスとの往復書簡の中で、ホフマンスタールは『アリアドネ』のテーマについてこう述べている。「これは単純にして大いなる人生の問題、つまり誠実さを扱った作品です。失われたものにしがみついたまま、死ぬまで永久に変わらないか ―― あるいはまた生きる、生き続ける、凌ぎ越え変化する、魂の統一を捨てながらも、しかも変化の中で自分を守るか〔という問題なのです〕(1911年7月半ばの書簡)」つまり、「忘却」とは同時に常に新しくなること、絶えざる変化と生成の力である、と見なしていたのである。
 それではなぜ、忘却は罪ではないと考えていながらホフマンスタールは「これではメネラスを半分も取り戻していない」とヘレナに思わせ、解毒作用のある秘薬をメネラスに飲ませることを彼女に決心させたのだろうか?
 それにはホフマンスタールの一生のテーマとなった「アロマーティッシュな解決」という問題が関係してくる。ホフマンスタールの言う「アロマーティッシュな解決」とは彼独特の解釈から「相互的な変化」を意味するもので、たとえば『影のない女』ではこのテーマの象徴として [1] 誠実さと犠牲との救済力、[2] 変化の奇蹟、[3] 結婚の神秘、が描かれている。そしてまたこれらの象徴は全て『エジプトのヘレナ』にも当てはまるのではないだろうか。すなわち、ヘレナはメネラスを欺き続けることができず、殺されても良いと考えて解毒作用のある秘薬を彼に飲ませ[1] 、それによりメネラスの怒りが解けてヘレナに対する怒りが理解へと変化し[2]、二人は真に結ばれるのである[3]。
 こう考えてみると、この『エジプトのヘレナ』は『影のない女』に近い作品と言えようが、それでもホフマンスタール自身は『ヘレナ』を『アリアドネ』と並び称される作品となることを望んでいた(『ヘレナ』が当初はオペレッタとして想定されていたことを忘れてはならない!)。 しかしながら、ヴェルナー・フォルケも言うように「作品上で描写された軽やかさと、ものごと自体の深さ・悲劇性とを調和させる(H.フィーヒトナー)」という困難な課題は、残念ながら『ヘレナ』では成功したとは言えないだろう。ホフマンスタールは1928年に『ヘレナ』について書いたエッセイの中で、トロイアのヘレナは実は幻影だったのだとメネラスを欺く部分を「軽はずみな喜劇」と呼んでいるが、愚直なまでにヘレナを愛するメネラス、幻影のために自分はパリスを殺し、そして戦争で多くの犠牲者を出してしまったのかと悩むメネラスのその姿の中に、我々はそうもたやすく喜劇性を見出すことができるだろうか? 軽やかさよりはむしろ崇高さが勝ってしまっていると感じるのは筆者だけであろうか。それとも、『アリアドネ』結末で、ツェルビネッタがアリアドネとバッコスに対してしているようなアイロニカルな括り方を『ヘレナ』でもできると言うのだろうか?
 ともあれ、ホフマンスタールが独力では解決しえなかったこのような課題をシュトラウスがどのような音楽でどこまで処理できたのか、実際の舞台で確かめてみる機会が今回与えられたわけである。大いに期待したい。

(*W.フォルケ・H.フィーヒトナーは共にホフマンスタール研究論の著者)
 
著者プロフィール
武蔵大学および同大学院人文科学研究科ドイツ語ドイツ文学専攻修士課程を経て、慶應義塾大学大学院文学研究科独文学専攻博士課程修了(単位取得)。ピアノを海藤美和、岡田みどり氏に、ヴィオラを李善銘、中山良夫氏に師事。卒業論文のテーマは『ナクソス島のアリアドネ』。また、「和風の魔圏−南ドイツ新聞《影のない女》評−」( Richard Strauss 93 日本リヒャルト・シュトラウス協会年誌 所収)の翻訳(共訳)および「昼のアラベッラ・夜のアラベッラ ―― アラベッラとズデンカの相互変容」(1998年新国立劇場・二期会オペラ振興会公演プログラム『アラベッラ』所収)等のほか、現在 Kurt Wilhelm の Richard Strauss persoenlich(第三文明社より刊行予定)の翻訳(共訳)作業中。

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