CLASSICA Originals of OPERA

あの有名オペラの原作は……
オペラに乗っ取られた作家たち

文=香沢真矢(Mayazine)


ブリテン/真夏の夜の夢
原作者=ウィリアム・シェークスピア

「真夏の夜の夢」といえばメンデルスゾーンの劇音楽(オペラじゃないけど)を思い起こすが、3幕からなるオペラに仕立てたのはブリテンである。シェークスピアの同名の戯曲に基づき、作曲者とP・ピアーズの英語台本による。1960年に作曲、同年オールドバラ音楽祭で作曲者自身の指揮により初演されている。残念ながらこの作品もオペラよりも原作のほうがはるかに有名である。シェークスピアはなにしろイギリス最大の劇作家であり、作品も演劇史上最大傑作ばかりであるから、いくら有名なオペラ作家でも「乗っ取り」ようがないんである。ほかにロッシーニ(オテロ)、ベルリオーズ(ベアトリスとベネディクト)、グノー(ロメオとジュリエット)、ニコライ(ウィンザーの陽気な女房たち)、トマ(ハムレット)、ヴェルディ(マクベス、オテロ、ファルスタッフ)、バーバー(アントニーとクレオパトラ)、ライマン(リア王)と、シェークスピア原作の(かつもっと有名な)オペラも山ほどある。
 さて、戯曲「真夏の夜の夢」は、シェークスピアよりも山岸涼子や「女神転生」のほうが有名かもしれない(?)妖精王オベロンとその后タイタニアの、人間の「お気に入り」の取り合いや、ケルト魔術的な、花びらをしぼって作った「惚れ薬」(ワーグナーの「指環」でジークフリートが飲まされるのもこれだ)にまつわる騒動など、妖精物語の部分が魅力的なコメディである。最後にはお約束通り丸く収まるが、こりゃ自作「ロミオとジュリエット」のパロディーか?と思われる劇中劇が盛り込まれているのも面白い。個人的には昔観たBBCの「タイタス・アンドロニカス」が血みどろで好き、「ヘンリー8世」もいいなあ(悪趣味かも)。(角川文庫他多数)(97/06/03)

チャイコフスキー/スペードの女王
原作者=アレクサンドル・プーシキン

アレクサンドル・セルゲーヴィッチ・プーシキンAleksandr Sergeevich Pushkin(1799〜1837)は、ロシアの国民的な詩人。文学史上では近代の礎を築いた。古い家柄の貴族としてモスクワで生まれ、フランス亡命貴族で義理の兄であるダンテスと決闘したときの傷が元で38歳で死去。プーシキンは農奴制打倒の思想から政府によって出版物の検閲を受けていたため、この決闘も恋愛沙汰からという表向きの理由以上のものがあったらしい。「スペードの女王」(1834)は、歴史小説の形式を確立した「大尉の娘」(1836)と並ぶ晩年の傑作である。オペラはチャイコフスキーによる三幕。1890年作曲、同年12月19日ペテルブルクで初演。しかしこれは原作のほうが有名で、むしろプーシキンの詩「オネーギン」(1823〜30)による、「エフゲニー・オネーギン」のほうがチャイコフスキーのオペラとしては有名であろう。さて、賭博で身を滅ぼす野心家の近衛士官ゲルマンを描いたこの短編は、その鋭いナイフで切り落とされるようなオチ、スペードのクイーンの演出がこの上なく印象的だ。オペラでは自殺だが、小説では発狂で終わる。ロシアの作家で賭博にかける情熱を執拗に描いたのはドストエフスキーであるが(実際賭博による借金の返済のため小説を書き飛ばした時期がある)、プーシキンもカード賭博はかなり好きだったらしい。ほかにプーシキンの作品に基づくオペラは、グリンカの「ルスランとリュドミラ」、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」がある。(新潮文庫・岩波文庫他)(97/05/02)

ドビュッシー/歌劇「ペレアスとメリザンド」
原作者=モーリス・メーテルリンク

メーテルリンク(Maurice P. M. B. Maeterlinck 1862〜1949)はベルギーのフランス語作家。メーテルリンクといえば、「青い鳥」、幸福の青い鳥は実は自分 のうちにいました、というあの物語(本来は戯曲)の作者である。児童文学作家と勘違いしておいでの向きもおられるかもしれないが、ポー、ネルヴァル、ボードレールといった象徴主義詩人たちの影響を受けた詩人として出発したのち、主に戯曲にその才能を発揮し、1911年にはノーベル賞も受けている。特に初期の作品には夢幻的で暗示的、ペシミスティックな作品が多く、1893年に書かれた戯曲「ペレアスとメリザンド」も、憂鬱な情感と幻想的な雰囲気を醸し出す作品である。1902年に初演されたドビュッシーのオペラはこの作品のイメージをこわすことなく再現し、これによって作曲家は名を上げた。メーテルリンクの作品は後年、初期の暗鬱で悪夢のような世界から愛と光とユートピア方向へと転換していく。このあたり、なんとなくムンク(ノルウェーの表現主義の画家。代表作「叫び」)を連想してしまうが、まったく関係はない(!?)。青春は暗く救いがないものなんである……なんちて。(湯川書房)(97/03/20)

マスネ/歌劇「タイス」
原作者=アナトール・フランス

さて、一年ぶりの更新(!)となる今回は「舞姫タイス」、原作はアナトール・フランス、1890年、彼が46歳の時の作品である。オペラはマスネであるが、こりゃオペラも原作もでんでん有名ではないわな。ただ「タイスの瞑想曲」だけが今も残っているのではないか。この原作、何で読めるのでしょうか?と訊かれたら、お手上げだ。私が持っているのは神保町の古本屋でだいぶ昔に買ったもので、発行所は聚英閣、住所は東京牛込區と来たもんだ。今の音楽之友社近辺か。大正十年の発行で、訳者は谷崎清二、潤一郎の弟で「静かなる世界」ほかの作品もある作家である。フランス語を英語に訳したのから訳したもので、すべて旧字! ……さて、bibliomanieはこのくらいにして、「舞姫タイス」であるが、これは時は八世紀、聖僧パフナチウスがアレキサンドリアの舞姫タイスを堕落の淵から救い出そうとするが、その信仰と難行をもってしても、遂にタイスへの情欲に圧倒されて地獄落ち、一方タイスのほうは天晴れ天国行きというのが「一篇の結構である」(と谷崎清二が「緒言」に書いている)。アナトール・フランス(1844〜1922)は、大戦(もちろん第一次のほうね)までの文壇を支配していた。「失われた時を求めて」を書いたプルーストが、彼からどーしても序文を貰いたがったというくらい、燦然と輝いていたが、大戦後の混乱した時代に入ってその権威は失墜した。今ではこの人の名を聞いたことがある日本人が何人いるだろうか? 人生は短く芸術は長し、しかし芸術も時と歴史に埋もれるんである。(調べてみたところ現在は角川書店他から出版)(96/10/13)

オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」
原作者=E.T.A.ホフマン

ホフマン、Ernest Theodor Amadeus Hoffmann。彼もまた「アマデウス」なのであった。さて、ホフマン自身はもちろん、「ホフマン物語」というタイトルで書いたわけではなく、これはオペラのタイトルである。第1幕が「砂鬼」(翻訳によっては「砂男」)、有名な「ホフマンの舟唄」で知られる第2幕が「映像を売った男」、第3幕が「顧問官クレスペル」を題材にしている。ホフマンは現実と幻想の境界線を生きる主人公が、最後は狂気の世界に足を踏みいれたり、絶望に浸って悲劇に終わる物語を多く書いた。オッフェンバックはこの3作もすべて主人公をホフマン自身として、地上の愛に敗れた彼を詩の女神が導くという形で終わらせている。愛に見棄てられたホフマンが芸術に生きるというラストであるが、実際のホフマンも美しい妻がいたとはいえ、あまりオペラと違わぬ生涯を送って46歳の生涯を閉じている。
 第2幕の「映像を売った男」はゲーテの「ファウスト」、トーマス・マンの「ファウストゥス博士」にも受け継がれる、悪魔との契約物語である。古いドイツ映画の「プラークの大学生」にもみられる。北の国ドイツの南のイタリアへの憧憬と畏れなど、非常にドイツ的な作家かもしれない。(新潮文庫復刻版・岩波文庫ほか)

R.シュトラウス/楽劇「サロメ」
原作者=オスカー・ワイルド

聖書に取材したこの妖しく美しい戯曲は「幸福な王子」(燕が王子像の願いを聞いて……というあの話)の作者、アイルランド生まれの作家オスカー・ワイルドによって書かれた。サロメとヨカナーンのやり取りと台詞の面白さ、エロドとエロディアスの思惑の絡み合いなど一幕の中にドラマティックな要素が詰め込まれている。ワイルドのパリ滞在中にフランス語で書かれたものを英語に翻訳したのが美青年のダグラス卿である。後にワイルドは彼との同性愛によってヴィクトリア王朝の偏屈さ!?のお蔭で、投獄され、この時に書かれたのが「獄中記」である。この英訳を実は熱望したのが「サロメ」の挿絵で有名な夭折した天才挿絵画家ビアズレーであった。「サロメ」のほかに「ドリアン・グレイの肖像」「アーサー卿の犯罪」などワイルドのストーリー・テラーとしての才能を発揮した佳作がある。(岩波文庫・新潮文庫)
illustration:A・ビアズレー(1872-1898)「サロメとヨカナーン」

ビゼー/歌劇「カルメン」
原作者=プロスペル・メリメ

オペラの方が有名になってしまったメリメの小説。エスカミリオという男は小説には存在しない。一方、投獄されているカルメンの亭主、片目のガルシアはオペラには登場しない。メリメらしい簡潔な文体で、ある男がホセと知り合い、その話を聞いて書いたという形式である。アメリカに逃げようとするホセに、ジプシー占いによって自分が殺されることを知っていても、「カルメンは自由な女よ」とついて行くことを拒むカルメンは、オペラのような移り気な女ではない。メリメの秀作は他に誇り高く奇矯な男の純情を描く「エトルリヤの壺」、コルシカ気質を描く「マテオ・ファルコネ」ほか。いずれも短篇小説の名手らしい切れ味を見せている。(岩波文庫・新潮文庫)

ヴェルディ/歌劇「エルナニ」
原作者=ヴィクトル・ユゴー

フランス古典主義文壇に反旗を翻し、ロマン主義の時代の開幕を告げた記念すべき戯曲。最初の台詞が語られるやどよめきが起こったという。古典詩法のルールを無視したものだったからである。初日の上演は拍手と怒号のうちに終わった。ユゴーといえば「レ・ミゼラブル」。ジャン・バルジャンが一片のパンを盗んで……から始まる解説するまでもない有名な作品。同じく「ノートルダム・ド・パリ」はこれまた有名なせむし男カジモドがジプシー娘を恋する物語だが、実は、これ、ノートルダムが主役なのである。グーテンベルクが印刷術を発明するまでは、建築物こそが文化の証であり、文化を伝えていた……というお話。(中公文庫)

プッチーニ/歌劇「マノン・レスコー」
原作者=アベ・プレヴォー

1830年2月25日の「エルナニ」事件に遅れること約二ヶ月、5月3日には「マノン・レスコー」が初演された。この年、スタンダールの「赤と黒」も発表されている。さて、不実だが美しいマノンにシュヴァリエ・グリューは翻弄されるわけだが、実はこの小説、プレヴォーが「ある貴人の回想録」という大部の小説に付録でくっつけたものだったのである。本編の方はとうに忘れ去られているのに、2、3週間で書き飛ばしたこの「付録」のお蔭で後世に名を残すとは、プレヴォーも草葉の蔭で口惜しい……いや、喜んでいることであろう。ちなみにこれはプレヴォーの私小説的な部分もあり、法師(アベ)であったプレヴォーは尼になろうとしていた彼の「マノン」と恋に落ちたという。(新潮文庫)

ヴェルディ/歌劇「椿姫」
原作者=デュマ・フィス

デュマ・フィス……「デュマの息子」。そう、彼の父こそ「大デュマ」アレクサンドル・デュマである。「三銃士」を含む「ダルタニャン物語」で有名な父デュマと、ベルギー人の女性の間に生まれた私生児であった彼は、本来劇作家である。しかし、現在よく知られているのはこの「椿姫」だけであろう。バッハ親子よろしく偉大な父にこぢんまりした息子なのである。父のデュマは「せがれの書くものにはお説教が多すぎる」と述べているが、弟子の書いたものを横取りして裁判沙汰になった時、「俺の方が面白い」とうそぶくような大作家の父を持てば、いくらか説教臭くもなるであろう。ちなみに原作では「椿姫」の本名はマルグリット・ゴーティエ。(新潮文庫・岩波文庫)

アルバン・ベルク/歌劇「ルル」
原作者=フランク・ヴェーデキント/「地霊・パンドラの箱」

オペラ「ルル」の原作であるこのふたつの戯曲は、まだ若く、関る男達を次々と破滅に追いやる「地霊」と、やや色香も衰え、自らが破滅に陥る「パンドラの箱」の2部にわたってルルを描いている。「カルメン」をずっと近代的にして、世紀末的な陰影をつけたような、世紀末に多く書かれた「ファム・ファタール」(運命の女)小説の流れに乗った戯曲であり、ルルと彼女を取り巻く多くの登場人物ひとりひとりが意味を持っている。例えばルルは、蛇であり、エデンに悪を運んだあの動物に例えられている。ヴェーデキント自身こういった女性がお好みだったようで、ルル役の女優を選ぶのにもひと騒動。かわいらしく、少女的な女性でないとイヤだったようだ。結局ルル役を演じた女優と結婚している。オペラでルルを演じる歌手を見たら、ヴェーデキント先生、怒り狂うかも……。(岩波文庫)

グノー/歌劇「ファウスト」
ボーイト/歌劇「メフィストフェーレ」
原作者=ゲーテ

ファウストは実在の人物である。ヨハン・ファウスト(1488?〜1538?)あるいはファウストゥスは、魔術師および占星術師だった。悪魔を召喚したという伝説もある。16世紀末に「フォースタス博士の悲劇的物語」を書いたのはクリストファー・マーロウ。ゲーテの「ファウスト」は1832年に完成した。劇詩の最高傑作の一つである。トーマス・マンは同じテーマで「ファウストゥス博士」を書いた。これは主人公アードリアーン・レーヴァーキューンの生涯はニーチェ、作曲家としてはシェーンベルクをモデルにしているというが、この作品のお蔭でトーマス・マンはシェーンベルクと絶交することになった。ところで、お馴染みの悪魔「メフィストフェレス」であるが、この名前は中世後期に「光を愛さない」を意味するギリシア語の象徴的な三つの言葉から作られたという。シェイクスピアも「ウィンザーの陽気な女房」に「メフォストフィラス」の名で登場させている。オペラに限らず、「ファウスト」を題材にした音楽は数多く、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」、リストのファウスト交響曲、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」などがある。(岩波文庫・新潮文庫)

バルトーク/歌劇「青髭公の城」
原作ってわけでもないんだけど=シャルル・ペロー/「青髭」

シャルル・ペロー(1628〜1703)はフランスの批評家、童話作家。童話の代表作は「青髭」のほかに「長靴をはいた猫」「赤頭巾ちゃん」「眠れる森の美女」「サンドリヨン」など。グリムの童話とテーマや内容が重なっているものも多いが、赤頭巾ちゃんが裸になってベッドに入り、狼に食べられたきりだったりして、かなり露骨である。ちなみに眠れる森の美女が、糸つむぎの「つむ」で手を刺されて眠りに落ち、それを森をかき分けて王子が訪れる……というのも精神分析的解釈をするとHな話になるんである。さて、男が女のせいで、人殺しはするわ自殺するわ殺されるわおちぶれるわ首は取られるわ、散々なオペラの原作ばかり紹介したが、ここらでひとつひどい男の話を……と思ったが、結局青髭も最後には天罰が下るのだった。「青髭」のモデルはフランスに実在したジル・ド・レ公だという話もあり、ただし彼が山ほど殺したのは主に美少年である。(河出文庫)

黛敏郎/歌劇「金閣寺」
原作者=三島由紀夫

この小説は、またこの作家は「オペラに乗っ取られた」というにふさわしくはない。三島は「文体」という言葉がまだ生きていた時代の最後の作家である。さて、ここはクラシック音楽のページであるから、三島礼賛はやめて(ついでに作家と作曲家がどこで結ばれたかという思想的解釈も飛ばして)、音楽好きなひとに興味深いであろうと思われる文章を「金閣寺」から抜き書きするに止める。
「柏木を深く知るにつれてわかつたことだが、彼は永保(ながも)ちする美がきらひなのであつた。たちまち消える音樂とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはさういふものに限られ、建築や文學を憎んでゐた。彼が金閣へやつて來たのも、月の照る間の金閣だけを索めて來たのに相違なかつた。それにしても音樂の美とは何とふしぎなものだ! 吹奏者が成就するその短い美は、一定の時間を純粹な持續に變へ、確實に繰り返されず、蜉蝣(かげらふ)のやうな短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音樂ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかつた。そして柏木が「御所車」を奏でをはつた瞬間に、音樂、この架空の生命は死に、彼の醜い肉體と暗鬱な認識とは、少しも傷つけられず變改されずに、又そこに殘つてゐたのである。
 柏木が美に索めてゐるものは、確実に慰藉ではなかつた! 言はず語らずのうちに、私にはそれがわかつた。彼は自分の唇が尺八の歌口に吹きこむ息の、しばらくの間、中空(なかぞら)に成就する美のあとに、自分の内翻足と暗い認識が、前にもましてありありと新鮮に殘ることのはうを愛してゐたのだ。美の無益さ、美がわが體内をとほりすぎて跡形もないこと、それが絶對に何者をも變へぬこと、……柏木の愛したのはそれだつたのだ。美が私にとつてもそのやうなものであつたとしたら、私の人生はどんなに身輕になっていたことだろう。」(『金閣寺』より・三島由紀夫全集 全35巻補巻1の第10巻/新潮社 全て旧かな遣い(出しきれず)。新潮文庫なら新かな遣いで読める)


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