アノ・ン・トーリー


日は一発、駄文系の話なんぞを。私の友人の話なのでホントに駄文。最近、オヤジを対象にしたピアノ入門教室とか教材なんかが人気めで、余興でリチャード・クレーダーマンなんか弾いたりするってのは珍しくもなんともないんだが、「ピアノを弾きたい」願望ってのは楽器を弾けない音楽好きには昔から超根強い。で、ワタシの大学時代の友人でTってのがいる。数学科。寡黙。国立大学理系にありがちな貧乏下宿生。ワタシ同様、当時大学留年中のヤツ。ひょろっとして背が高く、運動能力はほとんど感じられない。一見して、弱まっている。そいつがピアノマンである。

学には古楽研究会ってのがあって、ピアノマンと最初に出会ったのはその学内の演奏会。一通りプログラムが終って散会になった後に、チェンバロにどうしても触りそうにしてる部外者2名が、ピアノマンとワタシで、バッハのインヴェンションのサワリなんかをヘタヘタに弾こうとするんだが、全然ダメ。ピアノマンに話し掛けてみると「ピアノを習ったことはないんだけど、独りで練習している」という。思うように鳴らせないチェンバロに彼は業を煮やして、ピアノだったらもうちょっとマシに弾けるから、聴いてみないかといったことを、フツーのヤツが喋る2分の1くらいの速度で控え目に言う。こいつはピアノなんか持ってるのか、と思うとそうではない。大学オケの練習場にアップライトがあるから、そこで勝手に弾くという話。実は毎日楽譜を持って原付きで練習場へ通い、隣でオケの連中がヴァイオリンを弾こうが、ティンパニを叩こうが、おかまいなしに練習していると言うではないか。

アノ・マンは、まずバッハのインヴェンションとシンフォニアから何曲か、それからモーツァルトのソナタの中で比較的易しいもののそのまた一部分を、いずれも楽譜を見ながら弾いてみせた。大人がピアノを独習すると、大抵は「得意の曲」1曲をまず完成させて弾こうとするが、彼の場合は弾けるところから弾く、というスタイル。しかも反復練習して指に覚え込ませるんじゃなくて(ま、そういう部分も全然ないわけじゃないが)、常に譜面を読んで弾くというのが強烈に印象的だった。当然、「演奏」どころか「さらう」とこまでも十分達していないわけだが、鍵盤の前では恐ろしく集中する。モーツァルトの「ここが好きだ」という話をピアノを鳴らしながらしばらくしたあとで、最後に彼はとんでもない楽譜を取り出した。ショパンのバラード第1番。ラストのト短調のスケールをまず練習しはじめた。ピアノマンにはサービス精神というものはまったくない。彼は練習を始めるとそれに没頭して、傍で人がしまいに退屈していることなど意に介さず、自分のことだけを考える。「そうか、大人が独習でこんな曲にも挑戦できるのかっ!」という最初の驚きと興奮もだんだんと薄れ、延々待っていると、最後にようやく、バラード第1番の頭から、「どうしても弾けないところ」を何ヶ所かすっ飛ばしつつ、それでも終わりまで情熱的に弾いた。日頃、まるで覇気のない男だが、鍵盤に向かうときだけは激烈に強まっていた。

うしても、どんな練習をしてそこまで弾けるようになったのかを知りたくて、いろいろ尋ねたが、彼の答えは素朴だ。まず、超スローテンポで音を拾う。リズムの難しいところは片手ずつ拾う。で、テンポの速いところは少しずつ速くする。あとはバイエルとハノンもやっていて、特にハノンの機械的なところが好きだ。指遣いはいろいろ悩む。で、口癖のように「ボクは忍耐力が全然ないんです」と言う。朝っぱらからオケの練習場に通って1日に5時間でも6時間でも練習するヤツが、だ(しかもその時間の大半はまだ音楽未満の状態の音を鳴らすんだから辛いはずだ)。しかし、そんな風に言ってしまう気持ちはなんとなく理解できる。大学には毎日ちゃんと来るが、それは練習のためで、単位のほうはかなり絶望的な状況だ。卒業する意思はないわけではない。しかし数学をやりたいという気持ちが弱まりまくっていて、傍目からでも、たぶんピアノマンは卒業できないだろうということが分かった。

の後、時々ピアノマンに会う度に、ヤツのピアノを聴かせてもらった。ついに、バラード第1番は一通りさらい、とにかく楽譜があればなんとか弾けるというところまで来ていた。スケルツォにも手を出していた。到底独習したとは分からないくらいに指遣いもきれいになっていた。
 義理があって、あるピアノ教室の発表会に行ったとき、そこのエース格らしい中学生がたまたまバラード第1番を弾いたのを聴いた。大きなミスもなく、当然のごとく弾き切ったが、それが怒りを覚えるくらいに退屈に感じた。ただの棒読み。ピアノマンのほうがはるかに音楽になっている。このガキはどうしてこれくらいカッコいい曲をこんなにつまらなく弾けるのか。いつ聴いても、たとえ途中で崩壊しそうになっても、ピアノマンが弾く曲には人を引き込むだけの音楽を持っている。お稽古ごとピアニズムに反感を持つ人にとっては、彼はある種のヒロイズムを具現化した存在になっただろう。

足先に、ワタシは大学を卒業することになった。ピアノマンにはすっかり卒業して普通に就職しようなどという気はなかった。相変わらず、大学オケの練習場に通い続けていた。数学を続ける気はないが、会社で働くことなどまったく向いていないと言う。唯一、クルマの運転ならそれほど嫌いではないので、トラックの運転手になりたいと言い出した(人と会話しなくてもすむし、何も考えずにできるから、だそうだ)。結局、ピアノマンが卒業できたのか中退になったのかはよく知らないが、本当に「トラック野郎」になったことは確かだ。東名を大型車で深夜にぶっとばす、日本一体の弱そうなトラック野郎である。深夜は車の流れが速い上に、眠気もあって、時々死ぬかと思うことがあると語っていた。大学を出てトラックを運転するようになっても、同じ下宿から同じようにオケの練習場に出没していた。ピアノの腕前はさらに上がり、ワタシが最後に聴いたときは、ベートーヴェンの「熱情」を最後まで力強く通して聴かせた。「ここで4の指と5の指でトリルをしながら他の指でメロディを受け持つのが辛くて」とか何とか言いつつも、相変わらず集中度の高い演奏を聴かせた。もう「独習にもかかわらずこれだけ弾けるようになった」などという能書きなしで、十分人を感動させることのできる音楽になっている。ただしおそらくワタシ以外にこれを聴いたことのある人は1、2名といったところらしいが。

ピアノマンがどうしているのか、ワタシはまったく知らない。運転中退屈なので「何か長い曲のテープを欲しい」と言うので、ワーグナーを渡したことがある。深夜の東名で「ワルキューレ」や「神々の黄昏」を鳴らしているトラックがあるとすれば、それは間違いなくピアノマンのクルマだ。(96/05/14)


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