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2025年6月アーカイブ

June 30, 2025

METライブビューイング リヒャルト・シュトラウス「サロメ」(クラウス・グート演出)

●27日、久々に東劇でMETライブビューイング。クラウス・グート新演出によるリヒャルト・シュトラウス「サロメ」。指揮はヤニック・ネゼ=セガン、サロメにエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー、ヨカナーンにペーター・マッテイ、ヘロデ王にゲルハルド・ジーゲル、ヘロディアスにミシェル・デ・ヤング、ナラボートにピョートル・ブシェフスキ。やはり題名役のヴァン・デン・ヒーヴァーが圧巻。歌だけでもすごいのに演技も強烈で、サロメに憑依している。狂気、妖しさに加えて少女性も感じる。
●クラウス・グートの演出が怖い。作品の倒錯性が格段に高まっている。可動式の上下2段のステージが組まれ、上のヘロデ王の宮廷はゴシック調の邸宅になっていて、下はヨカナーンが囚われる地下牢。サロメは自ら地下牢に出向いてヨカナーンと対面する。サロメには幼い少女時代から現在へと至るまでの分身がいて、その分身がときどきあちこちに佇んでいる。「7つのヴェールの踊り」ではその分身たちが勢ぞろいして、7人が順に踊り、サロメの成長の足跡を描く。分身はサロメの心象風景を表現する。
●サロメが大きな立像を倒して壊すシーンがあるのだが、あれは毎上演ごとに壊しているのだろうか。すごいな、メット。
●狂気のサロメに対し、狼狽するヘロデ王。そのコミカルなテイストが救い。
●休憩なしの2時間弱の作品で、エロスとバイオレンスがテーマになっていると思えば、こんなに映画館向けのオペラもない。ネゼ=セガン指揮のオーケストラは陰惨なストーリーとはうらはらに輝かしく鮮烈。ぞくぞくする。
●METライブビューイング、2時間弱の短時間オペラということもあり、珍しく午前11時からの回が設定されていたのでそちらへ。午前中から「サロメ」はどうかと思わなくもないが、客席はけっこうにぎわっていた。夜の回よりも盛況なのでは。

June 27, 2025

最近のアルバムから~フルトヴェングラーの交響曲とビーバーのヴァイオリン・ソナタ集

●最近、気になったレコーディングの話題を。まずはネーメ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団によるフルトヴェングラーの交響曲第2番(Chandos)。これ、ジャケが強いんすよ。だって、フルトヴェングラーが指揮してるし。でもフルトヴェングラーは作曲家であって、指揮はネーメ・ヤルヴィだ。レコーディングタイトル数世界チャンピオン(推定)の指揮者、パパ・ヤルヴィ。録音は2024年。堂々たる大曲で聴きごたえがある。今こそ、作曲家フルトヴェングラーが再評価されるべきときが来たのかもしれない。
●フルトヴェングラーの交響曲第2番は全4楽章で73分ほど。とくに第1楽章と第4楽章がともに23分台という長さで、外枠はかなりブルックナー的。完全に後期ロマン派スタイルで書かれており、ブルックナー以外にはワーグナー、ブラームス、フランク、リヒャルト・シュトラウスといった作曲家たちを連想させる。書法は充実している一方、キャッチーな主題がほとんど出てこないあたりに作曲者の含羞を感じる。
●もう一枚はボヤン・チチッチとイリュリア・コンソート(と読めばいいの?)のビーバーの1681年ヴァイオリン・ソナタ全集(Delphian)。なにを言いたいか、このジャケットを見れば一目瞭然だろう。ビーバーのジャケにビーバー。「おいおい、動物のビーバーは英語でbeaverだぜ~」と言われるかもしれないが、驚くべきことに、ドイツ語ではBiberなのだ。演奏は見事だ。歯切れのよいヴァイオリンに齧歯類的な敏捷性が感じられると言えよう。


June 26, 2025

NAGAREYAMA国際室内楽音楽祭2025 開催記者会見

NAGAREYAMA国際室内楽音楽祭2025 開催記者会見
●遡って18日はスターツおおたかの森ホールでNAGAREYAMA国際室内楽音楽祭2025開催記者会見。リモートで参加(リモート、ありがたし!)。この音楽祭については昨年の記者会見の様子もご紹介したが、千葉県流山市在住のピアニスト、パスカル・ドゥヴァイヨンと村田理夏子夫妻が音楽監督を務める室内楽のフェスティバル。流山は子育て世代に人気のエリアで、よく人口増加率の高さが話題になる。会場のスターツおおたかの森ホールは2019年4月に開館した500席規模のホール。音響設計監修は永田音響設計。
●会見の冒頭で、まずはパスカル・ドゥヴァイヨンと村田理夏子による2台ピアノで、デュカスの「魔法使いの弟子」が演奏された。こういうことができるのはホールでの会見の強み。音楽祭の開催期間は11月1日(土)から3日(月・祝)まで。パスカル・ドゥヴァイヨンと村田理夏子の両音楽監督によるピアノ、フィリップ・グラファンのヴァイオリン、ハルトムート・ローデのヴィオラ、趙静のチェロ、工藤重典のフルート、チャールズ・ナイディックのクラリネット、吉野直子のハープ、加羽沢美濃のナビゲーターの出演者陣。多彩な編成による4公演が開催される。たとえば、最終日の公演のプログラムは、ロッシーニのフルート四重奏曲第3番、ツェムリンスキーのクラリネット三重奏曲、マルティヌーの室内音楽第1番、ラヴェルのラ・ヴァルスと意欲的。一方で、土地柄にふさわしくファミリー・コンサートも開かれる。
●パスカル・ドゥヴァイヨン「流山で音楽祭を開催できることは、住民としてとても幸せなこと。この規模の都市にこれだけのホールがあることは驚き。まずは地元の人々に興味を持ってほしい。そして、流山を千葉の文化の首都のようにしたい。プログラムはできるだけ多様性に富んだものにしようと考えた。音楽祭の醍醐味はいろいろなメンバーでいろいろな編成を組めるところ。ほとんど演奏されない曲もある。先にテーマを定めていたわけではないが、できあがってみたら好奇心と多様性がテーマになっていた」
●スターツおおたかの森ホールは、つくばエクスプレス/東武アーバンパークライン流山おおたかの森駅北口直結という好立地。お近くの方、沿線の方はぜひ。

NAGAREYAMA国際室内楽音楽祭2025(スターツおおたかの森ホール)

June 25, 2025

セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響のドヴォルザーク他

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●24日はサントリーホールでセバスティアン・ヴァイグレ指揮読響。プログラムは、スメタナのオペラ「売られた花嫁」序曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(アウグスティン・ハーデリヒ)、ドヴォルザークの交響曲第7番。ヴァイグレ得意のスラヴ音楽プロ。造形はすっきり端正だけど、田園情緒はしっかり味わえる。「売られた花嫁」序曲はスピード感ともっさり感が完璧に融合した奇跡の名曲だと思うが、田舎のあぜ道を全力疾走するみたいな楽しさがよく出ていた。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ではアウグスティン・ハーデリヒが恐ろしくうまい。颯爽として鮮やか。大喝采の客席にこたえて、アンコールにフォレスター~ハーデリヒ編の「ワイルド・フィドラーズ・ラグ」。こちらも鮮烈。
●ドヴォルザークの交響曲第7番には作品にふさわしい大らかさと温かみ。第2楽章のひなびた味わいが白眉か。終楽章は力強く盛り上がって爽快。カーテンコールの後、拍手はいったん収まりかけたのだが、粘り強い拍手が続いてヴァイグレのソロカーテンコールに。ヴァイグレは満足げに喝采にこたえていた。

June 24, 2025

ラハフ・シャニ指揮ロッテルダム・フィルのブラームス他

●23日はミューザ川崎でラハフ・シャニ指揮ロッテルダム・フィル。かなり久しぶりに聴くオーケストラ。たまたまだが、週末にN響を指揮したタルモ・ペルトコスキが首席客演指揮者を務める楽団でもある。首席指揮者ラハフ・シャニが、ワーヘナールの序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ブルース・リウ)、ブラームスの交響曲第4番というバラエティに富んだプログラムを披露。1曲目、ワーヘナールはオランダの作曲家ということで「お国もの」。「シラノ・ド・ベルジュラック」は序曲と呼ぶには規模が大きく、実質的には交響詩か。この珍しい作品を聴けたことが大きな収穫。作風はワーグナー、リヒャルト・シュトラウスの延長上にあり、かなりのところ交響詩「ドン・ファン」が下敷きになっている。剣豪シラノの恋物語という題材からして似ている。演奏のクオリティは上々で、引きしまったサウンドで、すっかり手の内に入っている様子。弦楽器は対向配置、金管は全員横一列で並ぶ配置だった。
●プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番では、ショパン・コンクールの覇者ブルース・リウが登場。明るく、軽快なタッチのプロコフィエフ。ピアノはファツィオリ。プロコフィエフ特有のグロテスクさやアイロニーの要素は控えめで、スマートで華麗。ソリスト・アンコールがあるだろうと思っていたら、譜面台と椅子が運ばれてきて、なんとラハフ・シャニと連弾でブラームスのハンガリー舞曲第5番。そういえばシャニもピアニストだったか。譜面台にタブレットが置かれるのはもう珍しくない光景。プロコフィエフとはムードが一転して不思議な選曲だとも思ったが、後半がブラームスだからありなのか。
●ブラームスの交響曲第4番ではオーケストラの響きがずいぶん変わって、鉛色の空を思わせるような落ち着いたサウンド。すっきり見通しよく整えるのではなく、柔らかめの厚く重い響きで陰影を描く。木管楽器厚め、ふっくら。第3楽章は白熱。アンコールはメンデルスゾーンの無言歌集からシャニが編曲を手がけた「ヴェネツィアの舟歌」、さらに「紡ぎ歌」。シャニの多才ぶりが伝わる。

June 23, 2025

タルモ・ペルトコスキ指揮NHK交響楽団のマーラー「巨人」

タルモ・ペルトコスキ NHK交響楽団
●コンサートラッシュが続く。毎年この時期はそうなる。20日はNHKホールでタルモ・ペルトコスキ指揮NHK交響楽団。2000年(!)フィンランド生まれの噂の新星が、いきなりN響定期に登場。プログラムはコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(ダニエル・ロザコヴィッチ)とマーラーの交響曲第1番「巨人」。神童コルンゴルトの才に驚嘆したマーラーのエピソードを思い出させるプログラム。で、この演奏会については別の場所で原稿を書くことになっているので、ここでは簡単に書くけど、かつて聴いたことのないおもしろいマーラーだった。こんなに主張の強い若手指揮者はなかなかいない。初共演で、二日間のリハーサルでどこまでやりたいことが形になったのかはわからないけど、ぜひまた聴いてみたい。たまたま同じフィンランドの若手マケラと同時期の来日になったわけだけど、マケラが予想通りのすごさなら、ペルトコスキは予想がつかないすごさ。
●で、この日は金曜夜の公演だったわけだけど、翌日の土曜昼の公演はNHKホールが完売。聴けなかったけど先日のメナ指揮&アヴデーエワは両日完売だった。体感的には客席に若い人がじわじわと増えてきているような気がする。

June 20, 2025

クラウス・マケラ指揮パリ管弦楽団のサン=サーンス&ベルリオーズ

●18日はミューザ川崎でクラウス・マケラ指揮パリ管弦楽団。全席完売の人気ぶり。プログラムはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」とベルリオーズの「幻想交響曲」。豪華ダブルメインプログラムでもあり、フランスの交響曲の伝統をたどるプログラムでもあり。オーケストラの十八番が並んだ。
●サン=サーンスのオルガンはリュシル・ドラ。マケラが作り出す音楽は鮮明でシャープ。俊敏で、キレがあり、明瞭、エネルギッシュ。解像度が高く見通しのよいサウンドを引き出す。基本、ためない、ひっぱらない。もっさり感ゼロのスマート・サン=サーンス。スペクタクルに過度に傾かない。後半の「幻想交響曲」はさらに強力で、管楽器セクションの名人芸をたっぷりと堪能。とくにファゴットの豊かな音色。ふわふわの絨毯が敷かれたかのよう。弦楽器もきめ細かく、輝かしい。第4楽章で一段ギアが上がったようで、かつて聴いたことのないほど細部まで彫琢された「断頭台への行進」。曲のイメージが変わる。お祭り騒ぎ的だと思っていたら、もっと奥行きのある音楽だったという。怒涛の勢いで第5楽章へ。轟音でも音色が壮麗なのがすごい。ミューザの空間はこの響きをしっかり受け止めて、澄んだ音色で満たしてくれる。
●会場は大喝采で、多数のブラボーが飛び交い、アンコールにビゼー「カルメン」前奏曲。楽員退出後も拍手が止まず、マケラのソロ・カーテンコールに。
●コンサートマスターの名前がわからなかったのだが、識者の方によればアンドレア・オビソ Andrea Obiso という人らしい。ときに腰を浮かせながら全身でリードする姿は、N響および国立カナダナショナル管弦楽団での川崎洋介に重なる。

June 19, 2025

シューマン・クァルテット ベートーヴェン・サイクル V

●17日はサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2025で、シューマン・クァルテットのベートーヴェン・サイクル第5夜。ブルーローズ(小ホール)での開催。全6夜にわたってベートーヴェンの全弦楽四重奏曲を演奏するシリーズ。この回はFreedomと題され、弦楽四重奏曲第5番作品18-5、「大フーガ」、弦楽四重奏曲第13番が並ぶ。つまり、「大フーガ」は独立した曲として前半に演奏し、後半に弦楽四重奏曲第13番を小規模なほうのフィナーレを使って演奏する。当初、ベートーヴェンは「大フーガ」を第13番のフィナーレとして書いたわけだけど、最終的に「大フーガ」は別作品として出版されたので、現実の世界線に従った形とも言える。
●この「大フーガ」が壮絶だった。渾身の演奏。とてつもなく巨大な音楽に圧倒されるばかり。当時、これを初めて聴いた人が「わけのわからない音楽だ」と感じるのも無理はない話。そもそも録音再生技術のない時代、あらゆる音楽は一回性のものだったはずで、フーガという形式自体が聴き手に対してハードルが高い。前半ですでにクライマックスが来た気分。
●と、思っていたが、後半の第13番も強烈で、ベートーヴェンが後から書いた「軽いほうのフィナーレ」が、ぜんぜん軽くないことを発見。とてもパワフルで情熱的なアレグロで、軽やかさはあってもそれは音楽の一要素に過ぎず、やはり大曲のフィナーレにふさわしいのだと納得。「大フーガ」との対照で、ついベートーヴェンが妥協して書いた楽章みたいに思ってしまいがちだが、それはまったくの勘違いで、これはこれで突きつめられたフィナーレなんだと思い直す。
●これで充足したのでアンコールはなくてもと思ったが(ここで席を立ったお客さんも何人かいた)、この日も第1ヴァイオリンのエリック・シューマンの日本語メッセージに続いて、翌日の予告編的に弦楽四重奏曲第6番の第3楽章。
●ベートーヴェン・サイクル、自分が足を運ぶのはこれでおしまい。全6夜のうち、半分の3公演を聴くことができた。今回、シリーズの曲目解説を書かせてもらったこともあって、例年よりたくさん足を運んだ。毎年思うのだが、このシリーズ、すべての回に通ったらどんなにすばらしい体験になるかと思うのだが、なかなか都合が付かない。でもチャンスがあれば狙いたいもの。たぶん、全部行って初めて味わえる感動があると思う。

June 18, 2025

園田隆一郎指揮パシフィックフィルハーモニア東京のグルック、ラフマニノフ、チャイコフスキー

●16日はサントリーホールで園田隆一郎指揮パシフィックフィル。略称は「パシフィル」でいいのかな。旧称は東京ニューシティ管弦楽団。現在の名称になってから初めて聴く。プログラムはグルック(ワーグナー編)のオペラ「オーリードのイフィジェニー」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(Budo)、チャイコフスキーの交響曲第5番で名曲ぞろい。が、今やグルック~ワーグナーの「オーリードのイフィジェニー」序曲を聴く機会は貴重かも。自分にとっては「懐かし名曲」なので、聴けてうれしかった。重厚な響きでオーケストラが驀進する。グルックというよりはワーグナーを聴いたという充足感。
●ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でソリストを務めたのはBudo。YouTubeで大人気のピアニストで、チャンネル登録者数は13万人。とても勢いのある奏者のようで、まもなく全国ツアーを行う模様。きらびやかな衣装で、厚底の靴(なのかな?)を履いて登場、演奏時に靴を脱いだ。靴をそばにおいて弾くスタイルは珍しい。歩く姿勢も独特な感じで、見た目のインパクト大。ただ、演奏は奇抜ではなく、むしろ折り目正しいくらい。ソロとオーケストラの間に対話性がほしいところではあるものの、タッチは強靭で、華やか。演奏後、両手を高々と挙げて客席のあちこちにアピール。ファンの集いにまちがって紛れ込んでしまった気分になる。アンコールにドビュッシーの「月の光」。こちらは自在のソロで、照明効果も用いて、自分の世界を作り出す。演奏後、ふたたび両手を挙げて客席にアピール。型にはまらない新時代の才能の登場を印象付けた。
●後半のチャイコフスキーは流麗で格調高い。バランスがとれていて、音楽の流れに無理がない。オーケストラは明るめのリッチなサウンドで、よく鳴る。楽団員一覧を見ると人数は少なく、フルートやトランペットは1名のみ、コントラバスは2名なので、かなりの人数がエキストラということになるが、クオリティは予想以上に高く、東京のオーケストラの層の厚さを改めて実感。客席も盛況。
●2021年9月にパシフィックフィルハーモニア東京の新音楽監督&新楽団名称発表記者会見の記事を当欄に書いているのだが、コロナ禍のためにリモート参加だったと記してあって、びっくり。現地で参加したと思い込んでいた。質疑応答の内容もいくつか印象的なものがあって、よく覚えているのに、あれがリモートだったとは……。

June 17, 2025

シューマン・クァルテット ベートーヴェン・サイクル III

●14日夜はサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2025で、シューマン・クァルテットのベートーヴェン・サイクル第3夜。ブルーローズ(小ホール)での開催。第2夜には行けなかったので、これが第1夜に続く2公演目。メンバーはエリック・シューマン、ケン・シューマン、ファイト・ヘルテンシュタイン、マーク・シューマン。今回のシリーズは各回のプログラムのコンセプトが掲げられていて、この日は Light。ベートーヴェンの「光」の部分に着目して、弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品18-3、弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」、弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」。いずれの回もまず初期の作品18を一曲演奏し、その性格に応じたほかの曲が続く形になっており、根底に「作品18の6曲に後のベートーヴェンの萌芽が含まれている」という発想があるのがおもしろい。
●第1夜では会場のサイズを超えるようなパワフルな演奏が印象的だったが、この日は作品の性格もあってか、よりスタンダードな印象。いくぶん角が取れていたかも。とはいえ、音楽の力強さ、高揚感、輝かしさは変わらず。切れ味だけではなく、ユーモアやウィットの要素もふんだんに感じられる。圧巻は後半の「ラズモフスキー第3番」。この曲の終楽章の白熱ぶりは尋常ではない。ベートーヴェンならではの執拗さ。
●ラズモフスキー第1番と第2番にはクライアント向けのサービスとしてロシアの民謡が引用されている。第1番は第4楽章に、第2番は第3楽章に登場する。前者はアレンスキーの交響曲第1番の第4楽章に、後者はムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」にも出てくる。となると、第3番にもなにかロシア由来の引用があっておかしくなく、おそらくは第2楽章の主題がそうなんだろうと推測できる。で、なんとなくなんだけど、これって子守唄なんじゃないかなって気がする。たとえば、ラズモフスキーが母から聞いた子守唄をベートーヴェンに教えたとか、そんな背景を想像してみる。
●アンコールは翌日の予告編をすると決めているようで、エリックが日本語でメッセージを述べてから、弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4より第3楽章。

June 16, 2025

沖澤のどか指揮東京都交響楽団、フランク・ブラレイ、務川慧悟

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●14日昼はサントリーホールで沖澤のどか指揮都響。沖澤のどかは都響主催公演初登場。チケットは完売。プログラムはドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、プーランクの2台のピアノのための協奏曲(フランク・ブラレイ、務川慧悟)、ストラヴィンスキー「春の祭典」。「牧神」はフルートのソロから、「春の祭典」はファゴットのソロから始まるという対照がある。「牧神」のフルート・ソロは元OEKの松木さや。柔らかくまろやかな音色で始まり、続くオーケストラもベールのかかったような幻想的な音色で応える。官能的というよりは夢幻的な「牧神」。プーランクはブラレイと務川の師弟共演。洒脱。はじけている。プーランク作品、遊び心いっぱいの洗練された曲だと思うんだけど、ときどきネジが外れて一歩踏み外しそうな危うい雰囲気も感じる。曲のおしまいのフレーズは日常に帰るための「なんちゃって~」という照れ隠しに思える。アンコールに同じくプーランクの「仮面舞踏会」によるカプリッチョ(務川、ブラレイ)。
●後半のストラヴィンスキー「春の祭典」は文句なしの快演。精緻で明瞭、最強奏でも響きのバランスが崩れない。キレもありスリルもある。指揮は明快で無駄のない動きでオーケストラをリード。もはや驚きではないけど、日本のオーケストラでこれだけハイレベルの「春の祭典」を聴けることにあらためて感慨。第1部の「賢者の行列」でのすっきり見通しのよい立体感、心持ち長めの沈黙を経てゆっくりとした「賢者」から、躍動感あふれる「大地の踊り」へと突入するあたりの流れは鳥肌もの。客席の反応も上々で、指揮者のソロカーテンコールに。
●ストラヴィンスキーが「春の祭典」でさまざまな民謡を素材に用いていることは近年よく耳にするが、民謡の採集といえばバルトーク。「バルトーク音楽論選」(ちくま学芸文庫)の「ブダペストでの講演」なかで、バルトークはストラヴィンスキーについてこんなことを言っている。

 ストラヴィンスキーは主題の出典をけっして明かさない。主題が果たして民俗音楽から取られたものなのか、自分で考え出したものなのか、作品のタイトルにおいても脚注においても、けっして触れようとしないのだ。この習慣は古い時代の作曲家たちの習慣を思い起こさせる。というのは彼らも同様に、この種の情報について大抵、完全な沈黙を貫いたからである。そのことはたとえば「田園」交響曲の冒頭を思い出せば十分だろう。
 ストラヴィンスキーは明らかに確信を持ってそのようにしている。そうすることで彼は、作曲家が曲中で自身の考え出した主題を使っているのか、それともよそから借りてきた主題を使っているのかは、全く副次的な事柄であることを示そうとしているのだ。(中略)用いられた素材や主題の由来の問題は全く副次的な事柄であるとするストラヴィンスキーの意見は、完全に正しい。

一瞬、ストラヴィンスキーのことをディスるのか?と思わせておいて、完全同意しているのであった。

June 13, 2025

「方舟」(夕木春央)

●話題を呼んだミステリー小説、夕木春央著「方舟」(講談社文庫)を遅ればせながら読む。えっ、これってこんな話だったんだ、と読後に茫然。形式的にはまったく古典的なミステリーになっている。外部との連絡がつかない空間に総勢11人が閉じ込められる。そこに殺人事件が起きる。この中にだれか必ず犯人がいるはず……という状況。さらに閉ざされた空間から脱出するためには、だれかひとりが犠牲にならなければならないという条件が加わる。登場人物のひとりが探偵役となって、犯人探しが進む……。
●という、あらすじを知って、最初はなんだかイヤな話だなと思って、スルーしてしまったのだ。が、あまりに評判が良いので読んでみたら、抜群におもしろい。イヤな話なんだけどイヤじゃないともいえるし、イヤじゃないけどイヤな話とも言える(どっちなんだ)。
●これって、オペラにも通じるんだけど、様式化されていれば悲惨な話も読める、ってことだと思うんすよね。つまり、オペラって、ひどい事件ばかり起きるじゃないすか。もしオペラの描写がすごくリアルだったら、ワーグナーとかヴェルディみたいに次々と人が命を落とす作品なんて、後味が悪すぎて絶対に観てられない。でもオペラっていう形に様式化されているから、陰惨な話でも受け入れられる。それと同じで、ミステリーっていうジャンル小説内に描写が留まっていれば、殺人事件も読書の楽しみのなかに収まる。なので、古典的な様式というものはちゃんと目的があって使われるのだな、というのが最大の感想。

June 12, 2025

シューマン・クァルテット ベートーヴェン・サイクル I

●11日はサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2025で、シューマン・クァルテットのベートーヴェン・サイクル第1夜。会場はブルーローズ(小ホール)。エリック・シューマン、ケン・シューマン(ヴァイオリン)、マーク・シューマン(チェロ)のシューマン3兄弟にヴィオラのファイト・ヘルテンシュタインが加わったクァルテット。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を6公演にわたって演奏する。初日は弦楽四重奏曲第1番、第7番「ラズモフスキー第1番」、第16番で、初期・中期・後期のヘ長調プロ。初日に最初の作品と最後の作品を組合わせて Alpha and Omega と題を掲げる。休憩は「ラズモフスキー第1番」の後なので、前半が長い。
●きわめてクオリティが高く、練り上げられたベートーヴェン。とくに前半は圧倒的なスケールの大きさ。第1番がまるで中期作品のように雄大に感じられる。白眉は第2楽章で、深く感情を揺さぶる音楽。続く「ラズモフスキー第1番」はさらに巨大な音楽となって、ほとんど交響曲的。重厚な本格派のベートーヴェン。後半、第16番は作品の性格の違いもあり一転して軽やかでウィットに富んだ雰囲気。ふふと笑みを漏らしたくなるような瞬間もたびたび。長い前半に対するエピローグ的な印象を受ける。アンコールはなくても十分かな、とも思ったが、エリックの日本語のあいさつがあって(日本にルーツを持つ)、翌日の先取りで弦楽四重奏曲第2番の第3楽章スケルツォ。今回のサイクルはかなり聴きごたえのあるものになるのでは。
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●同日、天皇杯でマリノスはJFLのラインメール青森に0対2で完敗。1部リーグのチームがホームで4部リーグの相手に負けたことになる。マリノスが情けない? いやいや、JFLの試合をたくさん観てきた自分に言わせれば、これは日本サッカー界の成果。むしろ誇らしい気分すらある。青森にはJFL勢の底力を見せるために、次戦も勝ち抜いてほしい。

June 11, 2025

ニッポンvsインドネシア@ワールドカップ2026 W杯アジア最終予選

●先週、アウェイのオーストラリア戦でついに敗れたニッポンだが、ホーム(市立吹田サッカースタジアム)に帰ってのインドネシア戦では見違えるほど攻撃の質が上がって、派手なゴールラッシュに。なんと、6対0。ゴールは前半に鎌田、久保、鎌田、後半に森下、町野、細谷。森保監督は予想通り、選手を大幅に入れ替え、新戦力もテスト。新しい選手が多かっただけに、アピールの姿勢が強く、大差がついた後も攻め続けた。
●インドネシア代表の選手たちは、ほとんどが帰化選手。先発11人中9人だったかな。インドネシアにルーツのあるオランダ人選手が中心の模様。かつでオランダ代表の左サイドバックにファン・ブロンクホルストっていう選手がいたじゃないすか。バルセロナでもレギュラーだった名選手。彼がインドネシア系オランダ人で、「アジアの血筋をひいていてもヨーロッパの超一流選手になれるのか」と感心していたけど、それが今は逆流して、インドネシア代表の選手がオランダ人ばかりになった。で、監督まで元オランダ代表のスーパースター、パトリック・クライファートになってた! びっくり。でも選手がオランダ人なら、監督もオランダ人になるのは道理か。
●ほとんどニッポンが攻め続けたという意味では、先週のオーストラリア戦も今回のインドネシア戦も同じ。でも、結果はまるで違う。オーストラリア代表にはポポヴィッチ監督の戦略があった。たとえホームゲームでも、とにかく堅く守って、わずかなカウンターのチャンスに賭けるという戦略。守り切ってドローでもよし、あわよくばカウンターで仕留めて勝つ。その「あわよくば」が試合終了直前の最高のタイミングで実現したわけで、ポポヴィッチ監督は笑いが止まらなかっただろう。一方、クライファートはアウェイなのに、オープンに攻め合って、6失点してしまった。耐えて守る戦術などクライファートのサッカー観に合致しないということなのか、オーストラリアの戦い方を参考にする気はなかった模様。それはそれで立派かも。それにしてもインドネシア代表の選手たちのフィジカルコンディションがもうひとつというか、走り負けている感じもあった。あと、チーム一丸となって戦う雰囲気もぜんぜんなく、個人の集合体みたいな感じ……あ、でもそれがオランダの流儀なのか?
●ニッポンは久保がキャプテン。遠藤がいたのに久保がキャプテンになった。新時代の到来。GK:大迫敬介-DF:高井幸大、瀬古歩夢、鈴木淳之介-MF:遠藤航、佐野海舟-森下龍矢(→細谷真大)、三戸舜介(→佐野航大)-久保建英(→佐藤龍之介)、鎌田大地(→中村敬斗)-FW:町野修斗(→俵積田晃太)。フレッシュなメンバーで、代表デビューは鈴木淳之介、三戸舜介、佐藤龍之介かな。佐藤龍之介はファジアーノ岡山所属の18歳。どのゴールもスペクタクルだったが、4点目の森下龍矢(レギア・ワルシャワ)がスゴかった。逆サイドの町野のクロスに対して、ふつうなら中に折り返すところだろうけど右足のボレーでほとんどシュートコースのないニアを抜いて決めた。あのコースが見えてて、そこを狙えるものなのか。ショパン・コンクールの年でもあるし、ワルシャワの選手が躍動するのは納得(←んなわけない)。

June 10, 2025

東京フィル 平日の午後のコンサート〈コバケン、200歳を祝う〉

●9日は東京オペラシティで東京フィルの「平日の午後のコンサート」。指揮とお話は小林研一郎、ナビゲーターは朝岡聡。この「午後のコンサート」シリーズは東京フィルの人気企画。名曲の演奏に加えて、軽妙なトークも大きな魅力になっている。この日も事前に集めたお客様からの質問を、司会の朝岡さんがマエストロに尋ねるコーナーがあるなど、とてもフレンドリー。客席も定期公演とはまったく異なる雰囲気。平日の14時開演なのでリタイア層が中心になるのは自然なこと。
●プログラムは前半がヨハン・シュトラウス2世の音楽で、ワルツ「春の声」、兄弟合作の「ピツィカート・ポルカ」、ワルツ「美しく青きドナウ」、後半がベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。〈コバケン、200歳を祝う〉と銘打たれた公演なのだが、もちろん小林研一郎が200歳を迎えるわけではなく(85歳だ)、ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年を祝っている。そのあたりもトークで話題になっていて、客席に笑いが起きること多数。「春の声」は冒頭の一音から重く気迫のこもった音。「ピツィカート・ポルカ」は軽い演出付き。ステージ脇にピアノが用意してあって、どういうことかと思ったら、「美しく青きドナウ」の演奏の前にマエストロが弾きながら曲について解説。といっても堅い話をするわけではなく、自然体で作品への思いを語る。
●後半の「田園」は演奏前のトークでも触れられていたが、祈りの感情が込められたエモーショナルなベートーヴェン。巨匠の至芸といった趣で、重厚な味わい。終楽章の陶酔感が白眉。曲が終わった後、朝岡さんがアンコールを尋ねたところ、マエストロはこのような音楽の後にできるアンコールはありませんと話して、これでおしまい。まったくもってその通りだと思う。時間もちょうどよい。「田園」の余韻を持ち帰ることができた。

June 9, 2025

東京オペラシティ アートギャラリー「LOVEファッション─私を着がえるとき」

「LOVE」横山奈美
●東京オペラシティのアートギャラリーで「LOVEファッション─私を着がえるとき」展(~6/22)。入るとすぐに目に入るのが、上の「LOVE」(横山奈美/2018/豊田市美術館蔵)。演奏会のついでにすでに2回、足を運んでいるのだが(Arts友の会の会員なら無料で入れる)、これはかなりおもしろい。ファッションというテーマ、ふつうなら関心外だが、そこは東京オペラシティアートギャラリー、しっかりとアートとしての展示になっている。以前の「髙田賢三 夢をかける」と同様、洋品店っぽくはなってない。批評性があるというか。

LOVEファッション─私を着がえるとき
●こういう感じで作品が並ぶのは、ひとまずイメージ内だろう。まずは歴史的な作品ということで、右はウォルト店/ジャン=フィリップ・ウォルトのイヴニング・コート(1900年頃)。

LOVEファッション─私を着がえるとき
●こちらはJ・C・ド・カステルバジャック/ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックのコート(1988)。クマちゃんの集合体がコートになっているというパンチのきいた作品だ。クマちゃんたちの声が聞こえてきそう。タスケテ...タスケテ...

LOVEファッション─私を着がえるとき
●これを着用すれば無敵モードに遷移できる。そんな予感を抱かせる。ヨシオクボ/久保嘉男「オーバードレス、シャツ、パンツ、レギンス」(2023)。

LOVEファッション─私を着がえるとき
●ハリネズミ的な防御力の高さというべきか、外界を拒絶しているようでいて、色付き玉でポップさをアピールする絶妙のバランス。着てみたい。ノワール・ケイ・ニノミヤ/二宮啓「ドレス、トップ、ショート・パンツ」(2023年)。

LOVEファッション─私を着がえるとき
●だが、防御力の高さではこちらが最強だろう。バレンシアガ/デムナ・ヴァザリア「鎧」(2021)。コロナ禍という文脈から生まれた作品だということを考えると、甲冑などウイルスには無力という「噛み合わなさ」を読みとるべきなのかもしれない。
●ほかにウィーン国立歌劇場創立150周年を記念して制作されたオペラ「オルランド」の衣裳に用いられた川久保玲作品が集められた一角があって、映像も展示されていたのだが、権利の関係なのか、あいにく音声はなし。添えてあった解説文には、ヴァージニア・ウルフの小説「オルランドー」とかウィーン国立歌劇場とかいった文言は出てくるが、作曲家名オルガ・ノイヴィルトは出てこない。このあたり、オペラとは本質的に作曲家のものであると思っているわれわれとは少し感覚が違うところ。映像は市販品と同じものだったのだろうか。
●客層はファッションに高感度な感じの人々が多かったのだが、そこはうっかり隣のコンサートホールから迷い込んじゃいました的な体裁で乗り切りたい。月曜日は休館なのでご注意を。

June 6, 2025

オーストラリアvsニッポン@ワールドカップ2026 W杯アジア最終予選

●あー、なんだこりゃ、この悔しい負け方は。昨晩はテレビ中継がなかったW杯予選、オーストラリアvsニッポン。DAZN独占生中継。オーストラリア代表のトニー・ポポヴィッチ監督の策にまんまとやられてしまった。ニッポンはすでにW杯出場を決めていたので、主力選手を休ませ、フレッシュなメンバーを大胆に起用。一方、ホームのオーストラリアはW杯出場のために勝ち点が欲しい。次節はアウェイのサウジアラビア戦なので、なおさら。
●互いに陣形は3-4-2-1。ニッポンがこれだけメンバーを落とせば、ホームのオーストラリアは攻めてもよさそうなものだが、ポポヴィッチ監督はしっかりとミドルブロックで守ってきた。ハイプレスはしない。が、ゴールキーパーからはつなぐ。序盤からほとんどの時間帯でニッポンがボールを持つ。オーストラリアはずっとカウンターを狙っているのだが、チャンスになりかけても五分五分の局面でことごとくニッポンにボールを奪われてしまう。メンバーを落としているのに、びっくりするほどニッポンがボールを回収できてしまうのだ。
●で、根比べが続いて、もうスコアレスドローで十分かなと思った終了直前、90分にオーストラリアがワンチャンスを生かしてゴールを決めてしまった。ライリー・マクグリーが巧みなターンから前に突破、マイナスに大きく折り返したボールをアジズ・ベヒッチが右足できれいに外から巻くボールを蹴ってゴール。1対0。えー、そんなプレイができちゃうの……。オーストラリアに16年ぶりに負けた(意外と負けていないのだ)。
●悔しいが、相手の狙い通りの展開。でも問題はそこまでゴールが奪えなかったこと、より正確にはゴールの可能性のあるシュートシーンがほとんどなかったことか。ボールを持たされていた、というパターン。新戦力はみんな持ち味を発揮していたとは思うんだけど、一方で鎌田あたりは次元の異なるプレイをしていたわけで、やはり差はある。
●GK:谷晃生-DF:関根大輝、渡辺剛(→高井幸大)、町田浩樹(→瀬古歩夢)-MF:藤田譲瑠チマ、佐野海舟(→久保建英)-平河悠、俵積田晃太(→中村敬斗)-鎌田大地、鈴木唯人-FW:大橋祐紀(→町野修斗)。町田と渡辺は負傷交代。平河も大橋も鈴木唯人も奮闘していたのだが、もう一歩及ばず。藤田譲瑠チマはやはり上手い。でも、もう少しチャンスをクリエイトしてほしい。こちら側では藤田譲瑠チマが元マリノスだが、オーストラリア代表のセンターバック、ミロシュ・デゲネクも元マリノス。あと、オーストラリアではともに途中出場のミッチェル・デューク(町田)とジェイソン・ゲリア(新潟)が現役Jリーガーだった。

June 5, 2025

コメ、いいね!

●昨秋、2024年の9月に「コメがなければ」って話題を書いたんだけど、そのときはお米が生協の宅配で5キロで2700円もするって騒いでいたんすよね。生協のお米、それまでは5キロで1680円とか1780円の無洗米をずっと買っていたので(コシヒカリ等の単一ブランド)、2700円はずいぶん高いなあと思っていたわけだ。それが今や4380円(以上税別)。近くのスーパーだともっと高い。みんな納得いかないわけだ。違うのは、昨秋はスーパーのお米の棚が空っぽになって、代わりにカルビーのフルグラが並んでいたけど、今、品薄感はない。だってまだ6月だし。「コメがなければ、フルグラを食べればいいじゃない」の脳内マリー・アントワネットの出番は今年も来るのだろうか。
●政府が格安の備蓄米を放出している。瞬時に売り切れるとはいえ、需給が改善されるっていう意味ではよいことなのかな。よくわからん。
●で、ここまでは話の枕なんだけど(えっ)、しばらく前からこのブログにfacebookの「いいね数」ボタンを載せないことにしたんすよ。なぜか。以前はそんなことはなかったんだけど、最近、この「いいね数」を引っ張ってくるために、やたらと時間がかかるようになった。当ブログ自体の表示時間よりも長い時間がかかる。おまけに「いいね数」が正常にカウントされないこともしばしば。増えたと思ったらゼロにリセットされることもある。そんな数字のためにページが重くなるのはイヤだなと思った次第。
●とはいえ、従来通り、facebookページには更新情報を流しているので、まだの人はぜひフォローしてほしいし、そこで「いいね」をしてくれるとワタシはうれしい。「いいね」が付くと、本当に読んでくれている人がいるのだと実感できる。

June 4, 2025

アレクサンダー・シェリー指揮国立カナダナショナル管弦楽団

●3日はサントリーホールでアレクサンダー・シェリー指揮国立カナダナショナル管弦楽団。40年ぶりの来日で、初めて聴くオーケストラ。N響ゲストコンサートマスターでもある川崎洋介が長年にわたってコンサートマスターを務めており、今回の来日公演の宣伝用ビジュアルには指揮者でもソリストでもなくコンサートマスターの写真がドーンと使われていた。会場にはカナダ関係者多数。ちなみに指揮のアレクサンダー・シェリーはハワード・シェリーの息子。
●オーケストラの入場は北米方式で、一斉入場はなく、いつまにか楽員がそろっているスタイルなのだが、その後コンサートマスターが登場すると拍手とともに客席のあちこちから「ヒュー!」と歓声があがった。珍しい光景。珍しいといえば、最初に両国の国歌があったのも珍しい。かつてはウィーン・フィルも「君が代」を演奏したけど、なんだか懐かしい感じだ。国歌ということで奏者は立奏、客席も多くが立ち上がる(立たない人もいる)。サッカーの代表戦みたいな気分になる。さすがに歌わないが、演奏が終わると脳内ニッポンコールが響きだすのは不可避。ドドドン、ニッポン、ドドドン、ニッポン……。
●プログラムはケイコ・ドゥヴォーの「水中で聴く」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(オルガ・シェプス)、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。一曲目のケイコ・ドゥヴォーはモントリオール拠点の作曲家で、「水中で聴く」はこの楽団の委嘱作。2023年初演。海中で響く音楽といった趣で、海面の波やゆるやかな水流、海面を照らすきらめくような太陽の光、ゆったりと泳ぐクジラやイルカたちによる対話といった情景を思わせる。緻密で深い響きがたゆたうように流れて、すこぶる幻想的。明快なメロディはなくとも、聴きやすい作品。さすがに演奏は見事。作曲者臨席、演奏後にステージ上で喝采を浴びた。
●ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ではロシア生まれドイツ育ちのオルガ・シェプスがソロを務めた。遅めのテンポでじっくりと。オーケストラのたっぷりとした豊麗な響きを向こうにして奮闘。華のある人。ソリスト・アンコールに、モーツァルトの幻想曲ニ短調K.397を内田光子の補筆版で弾くと話してから演奏。これはびっくり。この曲、一般的には未完の曲と認識されていないと思うが、ニ長調の終結部のおしまいの部分は他人による補筆なので、内田光子は補筆部分を使わずに、冒頭のニ短調の序奏を回帰させて静かに終わるという独自の形でフィリップスに録音を残している。これを再現してくれた。演奏スタイルはロマンとドラマのモーツァルト。
●後半のベートーヴェン「運命」はオーケストラの本領発揮。管も弦も明瞭で輝かしく、エッジの立った演奏。冒頭の「運命の動機」からして弦がリッチでシルキー。磨き上げられたサウンドによるスペクタクル。うまい。第4楽章の提示部リピートありも吉。スタイリッシュで、眉間にしわを寄せないからりとしたベートーヴェン。コンサートマスター川崎洋介は、N響で見せる姿と同様に、ひんぱんに腰を浮かして熱くリード。シェリーの造形はモダン、スマート、シャープ。最後の一音が終わるよりも前からパラパラと拍手が出て、客席側にも文化の違いを感じる。アンコールにブラームスのハンガリー舞曲第5番、さらにもう一曲、指揮者の「お国もの」であるエルガーの「エニグマ変奏曲」より「ニムロッド」。
●カーテンコール時、客席のあちこちでスマホで写真を撮る人が多数いて、「撮影禁止」の札を持った係員の方は大忙しだった。ルールが現状に追いついていない感じ。

June 3, 2025

映画「教皇選挙」

●遅まきながら話題の映画「教皇選挙」を観た(まだやってた)。原題はCONCLAVE。映画公開中に現実のコンクラーヴェがあったこともあって、人気が続いている模様。題材が題材だけに、絵面的には「おじさんたちの根比べ」になるわけで、どんな地味な映画と思いきや、驚くほどの傑作。近年、映画館で観た映画の中ではナンバーワンかも。エドワード・ベルガー監督。
●「教皇選挙」なのだから、もちろん、だれが教皇に選ばれるかという選挙を巡るストーリー展開が軸になる。だから、中身については触れづらい。なにも知らずに観たほうがいいし、自分がこれまで目にしたレビューはみんなそのあたりを配慮してくれていたんだなということが観た後によくわかった。カトリック教会(だけに限らないけど)に対して抱くモヤッとした感情をしっかりと受け止めている映画だと思う。自分にとっては後味のよい終わり方だったんだけど、気を悪くする人もたくさんいるかも。人の価値観って、わからないものだから。

June 2, 2025

ギエドレ・シュレキーテ指揮NHK交響楽団と藤田真央

ギエドレ・シュレキーテ NHK交響楽団
●30日はNHKホールでギエドレ・シュレキーテ指揮N響。ソリストに藤田真央が登場するとあってか、全席完売、当日券なし。3600席のNHKホールで翌日の公演と合わせて2公演分が完売するというすさまじい人気。プログラムは前半がシューベルトの「ロザムンデ」序曲、ドホナーニの童謡(きらきら星)の主題による変奏曲(藤田真央)、後半がリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」による交響的幻想曲と「ばらの騎士」組曲。ドホナーニの変奏曲で埋まるのだ。
●それにしてもドホナーニのきらきら星変奏曲、初めて聴いたけどびっくり。遊び心満載の曲、と言っていいのかな。分厚いオーケストラによるによるワーグナーばりの悲劇的な序奏がしばらく続いた後で、独奏ピアノが「きらきら星」を奏でるという壮絶なギャップ。軽快華麗な独奏の妙技がくりひろげられ、ワルツ、行進曲、パッサカリア、コラール、フーガなどが盛り込まれ、作曲者の「なんだって書けるぜ的」な自慢げな表情が浮かぶ。これを鮮やかに、しかし軽々と弾くソリスト。力みのないタッチだが、こういう曲であればNHKホールの巨大空間もそれほど不利ではない。大喝采にこたえて、アンコールにセヴラックの「ポンパドゥール夫人へのスタンス」。これも意表を突いた選曲だが、しっとりとしてしなやか。
●指揮のシュレキーテはリトアニア出身の新鋭。オペラで実績を積んでいる様子。全身を使い、棒を大きくシャープに振る。なんというか、動き出しの加速度が大きい感じ。冒頭、「ロザムンデ」序曲はもうひとつオーケストラと噛み合っていない気もしたが、後半が彼女の本領だろう。「ばらの騎士」は速めのテンポでさっそうと。ウィーン情緒たっぷりというよりは、表からも裏からも光を当てたようなまばゆい「ばらの騎士」で、覇気のある演奏に。
●毎回思うけど「ばらの騎士」組曲はとってつけたような終結部が不思議な感じ。本編の第3幕の終わり方は「はいはい、お話はもうおしまい、とっとと帰った帰った」みたいな照れ隠しが感じられて粋なのに。

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