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Books: 2007年8月アーカイブ

August 29, 2007

「日本人よ!」(イビチャ・オシム)

日本人よ!●「外国人から見た日本人論」っていう切り口なら勘弁してくれー、と軽く警戒心を抱かせる書名だったのでなかなか読む気になれなかったんだけど、実は猛烈にサッカー知のつまった本であった、大腿四頭筋にモリモリと力を込めながら断言する、傑作と。「日本人よ!」(イビチャ・オシム著/長束恭行訳/新潮社)。
「オシムの言葉」がイビチャ・オシムという人物の物語を書いたものだとすれば、「日本人よ!」はオシムがサッカー観を語ったもの。インタヴューや記者会見で「そこもう少し突っ込んだ話を引き出してくれないかなー、でもテレビじゃムリだよなー」って感じる物足りなさが一挙に解消された。日本人は一対一に弱いとかよくいうけど、オシムはごく当たり前のことを言ってくれる。「60キロの選手が90キロの選手とぶつかったら、一対一で負ける」。笑。じゃあ、どうするか、とか。
●目ウロコだったのは、オシムが学校の部活サッカーをポジティヴに評価してるってこと。ヨーロッパには存在しない、ああいう制度があるおかげで、クラブは下部組織から選手を育成するという大きな負担をある程度免れることができるっていうんすよ。欧州型クラブ組織が理想と思い込んでるニッポンのサカヲタ(ワタシのことだ)は驚く。でもクラブ視点で見れば納得の行く話。Jリーグのクラブは清水商業や筑波大学から選手を獲得しても、移籍金をこれらの学校や大学に支払う必要がない。無料で才能を育ててもらってる。
●あと、非フットボールな話になるけど、「リスペクトする」って意味。これをワタシは誤解していた。頭の中で「尊敬」と自動的に置換してたが違うんである。他者をリスペクトするってのは本質的にどういうことか。オシムによれば「リスペクトとはすべてを客観的に見通す」という意味だと。あっ、そうか。respectっていうのは aspect の re なんだな、と。
●サッカー選手という職業について語られた部分がすばらしいので引用しておく。

 多くの選手は、ある時期にプロとしてプレーし、栄光の瞬間を味わい、試合に勝利し、カップを手にし、カメラに写り……、すべての想い出の品は家の中だ。選手はサッカーで多くのものを失い、18歳から30歳までの時期も失う。本質的には、その時期は人間にとって人生でもっとも美しい時期であるにもかかわらず、だ。

 だからサッカー選手なんてろくなもんじゃない、っていう話ではない、もちろん。

August 25, 2007

「知ってるようで知らない バイオリンおもしろ雑学事典」

知ってるようで知らない バイオリンおもしろ雑学事典●「知ってるようで知らない バイオリンおもしろ雑学事典」(奥田佳道、山田治生著)を読む。これは良書。「ヴァイオリン」じゃなくて「バイオリン」であり、「おもしろ」であって「雑学」なので、もちろんクラヲタ向けではなく、普通に音楽好き向け。きちんとヴァイオリンについての基本的な知識やおもしろさが伝わるようになっている。「雑学」とかいうタイトルを編集者が好むのは、お客さんが好むということなんだろうけど、かといって本気で雑学トリビア・ネタを並べると案外つまらないわけで、実際には雑学なんていう範疇にとどまったりはしない。楽器の歴史から演奏者まで多彩な話題を取り上げて飽きさせない。しかも副題通り、知ってるようで知らないことっていうのは結構あるもので、ためになる。
●著者の奥田氏、山田氏には、ともにワタシは編集者として大変お世話になった。この本では半々くらいで分けて書いてらっしゃるんだけど、文章読んでるだけでどちらが書いたかすぐわかるくらい。
●少女時代の五嶋みどりがバーンスタインと共演して弦を切ったエピソードだとか、みんな知ってるみたいな話を「周知のように」で片付けずに、きちんと初めてその話を知る人に向けて新鮮な気分で語る。これ、大事だなと再認識。

August 9, 2007

ゴーレム100(アルフレッド・ベスター著)

ゴーレム100●アルフレッド・ベスターの「ゴーレム100」(渡辺佐智江訳/国書刊行会~未来の文学)を読む。ベスターは純然たるSF作家なので、ジャンル外ではたぶん名前を知ってる人は少ないと思う。寡作家であり伝説、クラシック好き向けに形容すればカルロス・クライバーみたいな存在。
●で、ベスターといえばまっさきに挙げられるのが名作「虎よ、虎よ!」(ハヤカワ文庫SF/なんと品切中)。これはストーリー的にはデュマの「モンテ・クリスト伯」に着想を得た復讐譚で、この分野では古典として知られている。タイトルのTiger! Tiger!はウィリアム・ブレイクの詩(虎よ!虎よ!あかあかと燃える……)から。ブリテン作曲の「ウィリアム・ブレイクの歌と箴言」にも出てくる詩っすね。ベスターの「虎よ、虎よ!」が書かれたのは1956年。もう半世紀も経っているのに、今読んでも新鮮でそのアイディアの豊富さや物語のおもしろさに感心する……と言いたいところなんだが、なにしろこれを読んだのは四半世紀くらい昔の話なので、薄情にもよく覚えていない。ただ、ベスターは寡作家で、その後、今はなきサンリオ文庫から「コンピュータ・コネクション」が出た。そして「とんでもない傑作」といわれる「ゴーレム100」(ゴーレム百乗)という作品が書かれたようなのだが翻訳されそうにない、という状況が1980年代からずっーと続いて、「ゴーレム100」は「名のみ高い未訳の作品」の頂点みたいな場所に君臨し続けていた。
●それがついに翻訳されたんである、1980年の作品が2007年になって。国書刊行会の「未来の文学」シリーズで。再度クラヲタ的言い方をすれば、カルロス・クライバー最高の名演と呼ばれた伝説のライヴが正規盤として日の目を見たっていうのと、同じくらいのインパクトがある(あるいはない)。で、読みはじめて驚いたのだが、「ゴーレム100」はとても1980年の作品とは思えない。どう見ても、1950年代。恐ろしく古い小説を読んでいる気分になってしまった。1980年だったら一応こういう未来がうっすら見えてただろうなっていう期待をねじれの位置で素通りして、変わらず1950年から未来を予見している。そして「虎よ、虎よ!」というのはとてつもなくカッコいい小説だとぼんやり記憶していたのに、おそらく同じセンスで描かれているであろうはずの「ゴーレム100」はどうしてこんなにカッコ悪いのか。激しく謎。
●舞台は22世紀の巨大都市。不可解で残虐な連続殺人事件が発生する。主人公の科学者とヒロインの精神工学者、そして敏腕警察官の捜査によって、事件は魔術的儀式により召喚されたゴーレムが起こしていることがわかる。3人はゴーレムを追いかけ、ドラッグによって集合的無意識下にあるサブリミナル世界へと向かう。ん、こうして書いてるとおもしろそうじゃないか。実際、読みはじめて半分くらいまでは一読みするほどには楽しんだのだ。オルフの「カトゥーリ・カルミナ」とか出てくるんすよ。あとこの時代の著名作曲家としてスクリャービン・フィンケルっていう人がいて、どんな曲を書いているかというと22世紀だからわけわかんないことになってる。こんな感じ。

 男女平等産院では、二十人の裸の小人が胎児の<命の権利>バレエを踊っていた。陰茎を思わせる五月柱の先端にへその緒でつながれ、野蛮なコサック人が指揮する無音のオーケストラをバックに、全員で胎児合唱をニャーニャーやっていた。

 スゴくない? あれ、やっぱりスゴいのか。2007年に見る、1980年に描かれた絢爛たる1950年代の懐かしい未来。

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