
●今年は光の速さで確定申告を済ませた。しんどい作業だが、先延ばしにしているとますます気が重くなるので、早く済ませたほうがよい。ま、そうわかっていても、できないときはできないのだが。
●青色申告をする個人事業者は、確定申告の前に、まず青色申告決算書を作らなければならない。一年分の売上も経費もすべて複式簿記で記帳する。これは普段から記帳をこまめにしておかないと、大変なことになる。以前は会計ソフトを使っていたが、今はエクセル簿記/ExcelBを利用している。秀逸なツール。
●以前は社会保険料などの証明書の類を税務署に郵送していたが、今はe-Taxを使えば紙の書類を送る必要はない。原則としてオンラインで完結する。で、その際にマイナポータルと連携すると、国民年金保険料や寄付金、医療費等の証明書が自動的に取り込まれるようになっている(なぜか国民健康保険料は取り込めないっぽいのが謎)。まあ、便利は便利なのだ。ただ、これがかなり煩雑で、事前にマイナポータル側で準備をしっかりしておかないと使えない。ブラウザ側にも用意が必要だし、マイナポータルからあちこちの外部サイトに行ったり来たりして、一個ずつ準備しなければならない。これ、なんとかやってるけど、この仕組みに付いていける個人事業者はどれくらいいるのかな……と思わずにはいられない。
●マイナポータルとかe-Taxとかねんきんネットとか、それぞれ異なる行政サービスの間をうろうろしていると「デジタルたらい回し」という言葉を思いつく。わけもわからず、こっちの窓口に行ったら、はい、次はこの書類を持ってあちらの窓口へ……って言われる感覚。もう少し自分の理解がしっかりしていれば、いいんでしょうかね。
確定申告とマイナポータル、e-Tax
ケレム・ハサン指揮読響のウンスク・チン、ベートーヴェン、マーラー

●13日はサントリーホールでケレム・ハサン指揮読響。ウンスク・チンの「スビト・コン・フォルツァ」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(中川優芽花)、マーラーの交響曲第1番「巨人」というプログラム。ウンスク・チン「スビト・コン・フォルツァ」はベートーヴェンへのオマージュ。冒頭、「コリオラン」序曲のモダン化バージョンみたいに始まり、随所にモダンに変容されたベートーヴェン的なフレーズがさしはさまれる。「スビト・コン・フォルツァ」という題からしてベートーヴェン的。初めて聴いたけど、よく似たアイディアで書かれたイェルク・ヴィトマンの「コン・ブリオ」を思い出す。どっちが先に書かれたのかな……。いや、そういう問題じゃないか。
●ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番では初めて聴くピアニスト、中川優芽花が登場。ものすごく上手い! 第1楽章の冒頭から一気に引き込まれた。粒立ちのよいタッチで細部まで磨き上げられている。ひとつひとつのフレーズが精彩に富み、決してウェットにならないが、陰影は豊か。第2楽章もみずみずしい。終楽章はもう少し覇気があってもとは思ったが、古典派協奏曲でこれだけ聴かせられる人はなかなかいない。機会があればモーツァルトも聴いてみたいもの。アンコールはメンデルスゾーンの無言歌集Op.67-2。後半はマーラーの交響曲第1番「巨人」。まっすぐ爽快。第1楽章は少し抑制的な気もしたが、第2楽章は切れ味十分、第3楽章の「ぐーちょきぱー」はコントラバスのソロで。第4楽章は勢いよく、一気呵成のフィナーレ。
ポケモンと人間の関係について
●雑誌「SWITCH」3月号の特集は、ポケモン30周年を記念して「ポケモン百景」なのだとか。30年でポケモンの世界がここまで大きく広がったことには驚くばかり。実はわりと最近になって知ったのだが、ポケモンの世界には人間以外の動物が存在しない。動物がいない代わりに、ポケモンたちが棲息するという設定なのだ。となると、食物連鎖はどうなっているのか、疑問がわく。ポケモンの世界で食事シーンが描かれた場合、そこで食べているものが一見、肉に見えたとしても、実は大豆ミートなのかもしれない。全員ベジタリアンなのか、あるいは人間がポケモンを食べることもあるのだろうか。
●私たちの世界には動物と植物がいる。ポケモンの世界には、人間とポケモンと植物がいる。が、この設定は少し奇妙ではある。生物には人間、ポケモン、植物の3種がいるとしたら、人間は唯一の動物ということになるが、それではどんな進化の筋道をたどったのか、説明がつかない。となれば、人間もポケモンの一種と考えるのが合理的だろう。実際に、ポケモンのなかかには、ユンゲラーのようにもとはエスパー少年だったとか、ゲンガーのように人間のなれの果てだとか、人間が変化した種がいくつかあり、あちこちで近縁種としてつながっていそう。生物はポケモンと植物の2種類。そう考えると、すっきりする。人間はおそらくノーマルタイプ。
●それで思い出すのは、ジーン・ウルフ著「ケルベロス第五の首」(柳下毅一郎訳/国書刊行会)。注意深く読まないとなにを読んでいるのかわからなくなるタイプの巧緻な小説で、よく難解と言われる作品だが、この物語にはサント・クロアとサント・アンヌという双子惑星が出てくる。サント・アンヌにはかつて姿を自在に変える原住種族がいたが、植民した人間たちによって滅ぼされてしまったとされている。が、異説として、実はサント・アンヌの種族たちは人間に姿を変え、人間を滅ぼして自分たちが人間として生きるうちに、出自を忘れてしまったのだとも言われる。人間とポケモンの間にも似たような関係があるのかもしれない。
東京オペラシティアートギャラリー 「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち」

●現在オペラシティのコンサートホールが休館中なので、演奏会のついでにアートギャラリーに立ち寄るというわけにはいかない。が、「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち」をぜひ見たかったので初台へ。アルフレド・ジャーはチリ出身で、ピノチェト独裁政権を逃れてアメリカに渡ったニューヨーク拠点のアーティスト。非常にメッセージ性の強い作品ばかりで、とりわけ社会の不均衡や政治的集団的な暴力を扱ったものが多い。

●で、これは音楽ファンにも気になる作品だと思うのだが、「彼らにも考えがある」(2012)。手前の丸いオレンジ色は別の作品で(スマソ)、後ろのライトボックスに OTHER PEOPLE THINK と書かれているのが本作。これはジョン・ケージ生誕100年を記念して作られた作品で、ケージが15歳の頃にハリウッド・ボウルでのスピーキング・コンテストのために書いた演説文にちなんでいる。ケージの意図はともかくとして、この作品では「彼らにも考えがある(自分たちだけじゃなくて)」っていうニュアンスが込められている、らしい。文面からは別の受け止め方もありそうだが。

●こちらは「ゴールド・イン・ザ・モーニング」と題されたシリーズの一作。これだけ見てもなんにもわからないが、ブラジル北東部セーラ・ペラーダで金鉱が見つかって、一獲千金を求めて大勢の人々がやってきた。粗末な道具で過酷な労働に勤しむ人々を、撮っている。自発的な労働であるはずだけど、労働者への条件は厳しく、そこには明白な搾取の構造がある、ということを言っている。そう聞くと、じゃあこれはアートなの、素直にジャーナリズムじゃないの、っていう疑問はわく。アートとして読み取ろうとすればいろんな解釈も可能であるにせよ。

●日本を題材とした作品もふたつほどあった。これは「明日は明日の日が昇る」(2025)。ふつうの高さから見ると、床のライトボックスに日の丸があるのが見える。でも、近づいてのぞき込むと、上に星条旗があることに気づく。日米の非対称性がここに。ほかに「ヒロシマ、ヒロシマ」という大掛かりな作品も。

●いちばんいいなと思ったのはこれ。「写真はとるのではない。つくるものだ」(2013)。これは展示の入り口に置かれていて、ポスターが積みあがっている。で、ぜんぶ見た後で、帰りに一枚持ち帰ることになっている(ちゃんと輪ゴムまで用意されている)。減った分は、またスタッフが補充して、立方体に近い形状が保たれるようになっているようだ。喜んで一枚もらって帰った。写真はとるのではなく、つくるもの。みんな、知っている。
Jリーグ百年構想リーグが開幕。マリノスは町田相手に自滅
●Jリーグが開幕。といっても、通常のリーグ戦ではない。8月からの秋春制移行にともなって、今年前半は短期決戦の変則的な「Jリーグ百年構想リーグ」を開くことになった。J1は東西に分けて、地域リーグとしてそれぞれでホームアンドアウェイの総当たりをして、その後、東西同順位のチーム同士で戦って最終順位を決定する。対戦相手が限られているため、あまりワクワクするものではないが、目を引くのは90分で決着がつかない場合はPK戦をするという点。90分で勝てば勝点3、PK戦で勝てば勝点2、PK戦で負けても勝点1がもらえる。初期Jリーグを思わせる懐かしい方式だ。
●現代フットボールでは、勝てば勝点3、引き分けなら勝点1がスタンダード。これは試合の価値が、引き分けでは低くなることを意味する。勝敗がつけばその試合の価値は勝点3だが、引き分けなら両者合わせて勝点2にしかならない。クラシックなサッカーでは勝ったら勝点2、引き分けなら勝点1とシンプルだったので、いかなる試合にも勝点2が割り振られ、全試合が等価だった。で、今回の百年構想リーグでは、引き分けた場合にPK戦の勝者に2、敗者に1が配分されるので、合計の勝点は3。クラシックなサッカーと同じで、引き分けても試合の価値は下がらないのだ。だから数理的には引き分け狙いの戦術の優位性が高まる。とくに個の力で劣るチームは、スコアレスドローを狙ってリスクの少ないサッカーをするのがお得だ。
●となると、つまらない試合が増えそうだが、そこはJリーグもしっかり考えているようで、この大会では降格がない。弱いチームが降格を恐れて引いて守る必要はないのだ。負けても降格しないのなら、おもしろいゲームをしてお客さんを呼んだほうが利益になるかもしれない。
●昨季、マリノスは終盤にボール非保持のサッカーに徹して、残留を勝ち取った。だが、大島監督は今季、アタッキングフットボールへの回帰を掲げている。開幕戦はホームで町田相手に自滅して2-3で敗北。ボール保持率は59%と高かったが、なにせ前半に自分たちのミスだけで3失点したのだから、どうにもならない。そもそもポステコグルー監督以降のアタッキングフットボールとは、個の力で相手を上回っていることが前提になっていた。今のマリノスは、町田との開幕ゲームでも明らかなように、個の力で劣勢なのだ。ただでさえ戦力が足りなかった昨季から植中朝日まで失ってしまった。この戦力でアタッキングフットボールなどやれば、どれだけ失点することか。
●だが、大島監督は圧倒的に正しい。だって、降格がないのだ。フットボールの愉悦を犠牲にして、昨季の終盤みたいなサッカーを続ける理由はひとつもない。3点獲られたのは悔しいが、2点獲れたのはよいこと。思う存分、ハイリスクなサッカーにチャレンジして、ファンを熱くしてほしい。
フィリップ・ジョルダン指揮NHK交響楽団のシューマン、ワーグナー

●7日はNHKホールでフィリップ・ジョルダン指揮N響。パリ・オペラ座やウィーン国立歌劇場音楽監督を歴任してきたジョルダンがN響と初共演。お父さんのアルミン・ジョルダンはどっしりとした大柄な指揮者だったが、フィリップはすらりと長身痩躯。遠目にも見栄えがする。プログラムは前半がシューマンの交響曲第3番「ライン」、後半がワーグナーの楽劇「神々の黄昏」から「ジークフリートのラインの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」(ソプラノ:タマラ・ウィルソン)。すなわちライン川プロ。
●シューマンは推進力のある演奏。細部から練り上げるというよりは、外枠から大きな音楽の流れを作り出す。圧巻は後半で、得意のワーグナーはさすがの名演。きびきびと音楽が進み、もっさり度ゼロ。その点はヤノフスキが振る「東京・春・音楽祭」のワーグナーとも共通するが、全体のカラーはちがっていて、格段に壮麗で、甘美でもある。タマラ・ウィルソンのソプラノはまろやかで温かい声。尻上がりに熱を帯び、NHKホールの巨大空間と大オーケストラを相手に堂々たるブリュンヒルデ。歌い終わった後、まだまだオーケストラの演奏が続いてクライマックスがやってくるわけだが、その間もブリュンヒルデになりきっている様子が劇場っぽくてよかった。ハープ6台は視覚的に壮観。
●曲が終わった後、NHKホールで完璧な静寂が保たれたのはすごいこと。なにせ人数が多いので。大喝采と盛大なブラボーが続いて、客席は今年いちばんの盛りあがり。ジョルダンのソロカーテンコール、さらにタマラ・ウィルソンといっしょにふたりでカーテンコール。
METライブビューイング リヒャルト・シュトラウス「アラベッラ」(オットー・シェンク演出)
●東劇でMETライブビューイング、リヒャルト・シュトラウス「アラベッラ」を観る。オットー・シェンクによる伝統的な演出。俊英ニコラス・カーターの指揮で、題名役はロール・デビューとなったレイチェル・ウィリス=ソレンセン、マンドリカにトマシュ・コニエチュニー、ズデンカにルイーズ・アルダー、マッテオにパヴォル・ブレスリック、ヴァルトナー伯爵にブリンドリー・シェラット。さすがのMETで充実の歌手陣。とくに印象的だったのはマンドリカのトマシュ・コニエチュニー。英雄的で高貴で、でも土の香りのする人物像を表現する。このオペラをマンドリカの物語として堪能。表から見るとアラベッラのロマンスだけど、裏から見ると田舎紳士ファンタジーなのだった。
●映像であれ実演であれ「アラベッラ」を観たのは久々だったので新鮮な気持ちで楽しんでしまった。音楽もテキストも超高密度。シュトラウスの音楽は「ばらの騎士」と同様に真に陶酔的で精緻。さすがに映画館の音響設備でそのすべてを再現することはできないとはいえ、METオーケストラの精妙なサウンドをたっぷり楽しめる。幕間のインタビュー映像で指揮のニコラス・カーターを推していた。あと、第1幕のヴィオラ・ソロを受けて、幕間インタビューに首席ヴィオラ奏者が出てきた。稀有な例。
●「ばらの騎士」を観ると、自分の心のなかにオックスも元帥夫人もいることに気づくが、「アラベッラ」の場合は自分のどこを探してもアラベッラもマンドリカもいない。そんな高貴な人物、いない。いるとしたら、ヴァルトナー伯爵かな。大事な話をしているのに、カードゲームに戻りたくてしょうがない、かと思えば決闘騒ぎを引き起こす。
●ズデンカは「ズボン役」と呼びたくなるが、男装をしているだけで本当は女性という設定なのだから、そうは呼べない。「半ズボン役」か。
●「アラベッラ」の台本は第1幕の入念な歩みと比べると、第2幕と第3幕はやや駆け足気味になっていると感じる。
ジェームズ・フェデック指揮読響のブルックナー

●4日はサントリーホールでジェームズ・フェデック指揮読響。プログラムは細川俊夫のヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」(諏訪内晶子)とブルックナーの交響曲第7番。当初の予定では前半が望月京のヴァイオリンとオーケストラのための新作(世界初演)で、指揮が鬼才マリオ・ヴェンツァーゴだったが、まず作曲家側の事情で曲が変更になり、その後ヴェンツァーゴの体調不良で指揮がジェームズ・フェデックに変わった。ぜんぜん知らない人だったが、フェデックはニューヨーク生まれの新鋭で、ブルックナーを積極的に指揮している模様。細川俊夫とブルックナーの両方を振れる代役を探すのはたいへんだったと思う。
●前半の細川俊夫「ゲネシス」は、ヴェロニカ・エーベルレの出産を祝って彼女とその息子への贈り物として書かれた作品なのだとか。タイトルから想起されるような原初の海、母なる海を思わせるゆるやかで予感に満ちた精緻な響きをオーケストラが作り出し、これに諏訪内晶子のソロが絡み合う。生命の息吹を連想させる確信のソロ。作曲者臨席。この曲、以前にも聴いたことがあると思ったが、N響のMusic Tomorrowだったかどうか。
●後半は奇をてらわないまっすぐなブルックナー。重厚さと抒情性のバランスがとれ、無理のない造形。第2楽章はシンバルで盛大なクライマックス。どこまでが指揮者の目指したものなのか、あるいは読響に刻まれたブルックナー演奏の伝統によるものなのかは判然としないわけだが、オーケストラは一丸となって集中度の高い演奏に。客席の反応は上々で、しっかりとした拍手が続いてフェデックのソロカーテンコールになった。
●曲が終わった後、拍手より先にブラボーの声が複数出た。曲はちゃんと終わっていたので、これをフライングとは言いづらいのだが、ほとんどの聴衆は余韻を味わおうと拍手を控えていたわけで、このあたりは価値観の違いか。なかなか難しい。いずれ、ブルックナーの演奏では能みたいに奏者が退場してから拍手をするという習慣が生まれるかもしれない。
