July 16, 2003

正しい「マナー」成立の論理

●東京では少々電車が混雑していたからといって、「次の駅で降りられないのではないか」という心配をする必要がない。自分と出口の間に人がぎっしり、しかもワタシの降りたい駅は小さな駅で、そう大勢は降りそうにないとする。そんな状況でも大丈夫、駅に着いてほんのちょっとでも降りようとするそぶりを見せれば、たちまちに皆いったん扉から外に出てくれる。「出口に近い人は、降りたい人のためにいったん外に出て、降りる人を待って、それからまた入る」。これが東京の不文律である。
●これは東京の人が親切だったり洗練されていたりするということではない。なぜなら、「降りたい人のために、自分が降りる駅でなくともいったん外に出る」というマナーを知らずに車内に留まる者には、容赦なくたちまちに田舎モノの烙印が無言のうちに押されるのであり、しかも東京は田舎生まれのニンゲンが多いので(ワタシのように)、烙印から逃れようと必死に出口へとなだれ込むのである。不確かな善意や知性に依拠しないという点で、これはとても正しい「マナー」成立の論理である。吉なり。(07/16)

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