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June 1, 2016

カラビッツ指揮読響のプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」他

●31日はサントリーホールでカラビッツ指揮読響。カラビッツは1976年ウクライナ生まれの若手。首席指揮者を務めるボーンマス交響楽団でのプロコフィエフ交響曲全集など、レコーディングでも話題の人。ちらっと録音を聴いても、ボーンマス交響楽団が鍛えあげられている様子が伝わってくる。読響には今回が初登場で、やはりプロコフィエフをメインにしたプログラム。定期演奏会での交響曲第5番他は聴けなかったのだが、名曲シリーズでベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴィクトリア・ムローヴァ)、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋他を。
●ムローヴァは貫禄のソロ。しっかりとした芯のある音が軽々と出てくる感。つややかさと渋さを兼ね備えた美音に聞きほれる。カラビッツは鳴らすところは盛大に鳴らすが、まったくソロが埋没しない。
●で、カラビッツは豪快にオケを鳴らす指揮者で、容赦なくハイカロリー。なるほど、これだったらプロコフィエフでももっとワイルドな曲を聴きたくなるかも(第3番とか第2番とか)。パワフルだが決して荒っぽいとは感じない。「ロメオとジュリエット」は第2組曲をベースに、第5曲と第6曲を抜いて、代わりに第1組曲第6曲「ロメオとジュリエット」と第1組曲第7曲「タイボルトの死」を挿入するという全7曲。後半のメインプログラムにしては少しあっさりしているなと思ったら、アンコールでプロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」行進曲。これも迫力満点。圧力の強さにたじろぎつつ。
●パパ・ヤルヴィ、ウルバンスキ、カラビッツとたまたま続くロシア音楽週間。もう一公演ありの予定。

May 31, 2016

ウルバンスキ&東京交響楽団のプロコフィエフ&チャイコフスキー

●28日はサントリーホールでクシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団。前半にアレクサンダー・ロマノフスキーの独奏によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、後半にチャイコフスキーの交響曲第4番。ウルバンスキの音楽作りはまったく独特で、フレーズを大きくとらえるのが特徴的。鮮やかなコントラストを付けてアグレッシブな音楽で注目を浴びる指揮者は少なくないが、ウルバンスキのように丸みを帯びたしなやかな音楽で説得力のある演奏を聴かせてくれる人はまれ。若いのに指揮ぶりもまったく力まず、汗臭さも土臭さも感じさせない。プロコフィエフでは、攻撃性よりもきらびやかさと透明感を前面に出すロマノフスキーとぴったりと足並みがそろった感。ロマノフスキーはさっさとアンコールを弾いてくれた。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の前奏曲ホ短調がすっかりロマン派のキャラクター・ピース化されたもので、後で会場の掲示でジロティ編曲だと知る。あ、そういえばこれ前にも聴いたっけ。
●チャイコフスキーの交響曲第4番は本来なら汗臭い曲の代表格だけど、やはり豪快でもなければ鋭利でもなく、溶々としてのびやか。それでいて推進力が失われないところが非凡なところか。第2楽章の情感豊かなオーボエ・ソロも印象に残る。
●プログラムノートを見ると、すでに東響の首席客演指揮者にウルバンスキの名がなくなっている。次に聴けるのはいつになることやら。ベルリン・フィル定期へのデビューはDCHで見ることができたが、あちらでも再度の客演を期待したいもの。
●ウルバンスキとロマノフスキーが並んで立つってのは、なかなか麗しい光景なんじゃないだろか。

May 30, 2016

レアル・マドリッドvsアトレチコ・マドリッド@チャンピオンズリーグ2015/16決勝

●サッカーのレギュラー・シーズンはチャンピオンズリーグ決勝でおしまい。しかし、2年前に続いてまたしてもレアル・マドリッドvsアトレチコ・マドリッドという対戦カードになってしまうとは。それだけ両クラブが強いってことではあるんだけど、さすがに同じ都市の2チームで最強クラブを争うとなると、他人事感は拭えず。リーグ戦でもそうだけど、スペインはバルセロナ、レアル・マドリッドの2強時代から、アトレチコ・マドリッドも含めた3強時代へと完全に移っているのだと改めて思う。ただ、アトレチコ・マドリッドの武器が欧州最強の鉄壁の守備であるため、華やかな話題に欠けるだけで。
●心情的に応援したくなるのはアトレチコ。判官びいきもあるし、今のレアルがそんなに好きではないので。とはいえ監督はレアルがジダン、アトレチコがシメオネ。往年のスター対決で、監督のキャラがそのまま現チームのキャラにつながっているような感じ。選手としてはジダンは最大のアイドルの一人だし、シメオネにはダーティな印象ばかりが残っている。これはプレミアリーグのレスター制覇にも通じるけど、第三者から見てハードワークするチームが魅力的かといえばそうでもないわけで、こういう戦いを見ると「カネだけで勝てるチームが勝ってなにがおもしろい」ってのと「守備のチームが勝つところをお前は本当に見たいのか」という矛盾した気持ちがぶつかり合うことになる。だって、本音では華麗なプレイを見たいじゃないの。かつてジダンが毎試合のように見せてくれたマルセイユ・ルーレットとか。
●試合は序盤にレアルがセットプレイからセルヒオ・ラモスが決めて先制。左サイドから長いボールを入れて、ベイルが頭ですらしたところに走りこんだセルヒオ・ラモスがボールに触った形。後半、アトレチコはPKのチャンスを得るが、エースのグリーズマンがケイラ・ナバスに止められてしまい失敗。後半34分、アトレチコは右サイドからきれいに崩してクロスボールにカラスコが飛び込んで同点ゴール。その後、延長戦に入り消耗戦となったがPK戦へ。全員決め続けたところでアトレチコの4人目、フアンフランがポストに当てて失敗、レアルの5人目にクリスティアーノ・ロナウドが登場して、これを決めて優勝決定。こういう栄光の瞬間がクリスティアーノ・ロナウドのところにしっかり回ってくるのが、なんだか悔しい。シャツを脱いでムキムキの筋肉を見せつけながら雄たけびを上げて走り回るクリスティアーノ・ロナウド。一昨年に続いてレアル・マドリッドが欧州チャンピオンになった。
●この試合に対してなんだか醒めた目線で見てしまうのは、やっぱり自分がバルセロナやメッシのほうが好きだということなのかも。
●で、今年は4年に1度の欧州選手権がこの後に控えている。6月から7月にかけて。こちらは気持ちを入れて臨みたい。

May 27, 2016

ネーメ・ヤルヴィ指揮N響のシューベルト&プロコフィエフ

●26日はネーメ・ヤルヴィ指揮N響へ(サントリーホール)。前半がシューベルトの「未完成」、後半がプロコフィエフの交響曲第6番というプログラム。「未完成」第1楽章が快速テンポですいすいと進み、第2楽章もぜんぜん情緒纏綿としていない。いつもは第2楽章が穏やかにゆっくりと閉じられると「ああ、終わったな」と思うんだけど、むしろこの先がまだあるはずという本来あるべき欠落感を喚起するような端然としたシューベルトだった。むしろ後半が思い入れたっぷりか。鮮烈。
プロコフィエフ●プロコフィエフの交響曲は番号が若いほど共感しやすく、後になるほど真意を測りかねるみたいな曲ばかりになっていく感あり。交響曲第6番は怪作。第3楽章のグロテスクな躍動感がすごい。弾んでいるようでまるで心弾まない付点リズムの連続は、倍速の葬送行進曲っていう気もする。形だけでも華やかな勝利の音楽が期待されるべきところに、抑えきれずに歪んだ笑いが噴出したかのよう。あと、プロコフィエフのほかの作品にも聴かれる「時計」の表現が印象に残る。チクタク、チクタク。第2楽章で盛大に登場するほか、第1楽章でも聞こえてくる。すごく焦燥感を煽る。
●終わってみるとまだ20時半。普通なら前半がもう少し長くてもよさそうなものだが、これはこの2曲を組み合わせる必然があったから、ということ?

May 26, 2016

「殊能将之 未発表短篇集」(講談社)

●ようやく読んだ、「殊能将之 未発表短篇集」(講談社)。Kindle版は出ないのかなあと待っていたらちゃんと出てくれた。2013年に急逝した殊能将之の未発表短篇がまとめられている。長篇「ハサミ男」で衝撃のデビューを果たした殊能将之が、デビュー前にどんな小説を書いていたのか。そりゃ興味はわく。よく見つかったものだと思う。
●で、収録されているのは「犬がこわい」「鬼ごっこ」「精霊もどし」の3篇と、デビュー作刊行の際に友人である磯氏に宛てて綴った「ハサミ男の秘密の日記」。これはすでに「メフィスト」誌で一度掲載されているので既読なのだが、私信がこんなふうに短篇集に収録されていて違和感がないというのがすごい。これって私信なんだけど公開を前提に書かれているようにしか読めない。でもデビュー前なんすよ? どういうつもりだったんだろ。最後の一文は痛快。
●純然たる創作の3篇はミステリというよりは、「奇妙な物語」系というか、それこそ氏が翻訳したアヴラム・デイヴィッドスンが書いていてもおかしくないようなテイストだと思う。舞台設定が80~90年代の日本であることをのぞけば、60年代のF&SF誌あたりに載っていそうな古典的な風合いを持ったストーリーで、これに殊能将之ならでは切れのある文体が組み合わさって独特の魅力を放っている。特に「精霊もどし」がいい。「鬼ごっこ」は少々荒っぽくてピンと来ず。「犬がこわい」はミステリといってもいいのか。いずれにせよ、文体はデビュー後となんら変わりがないので、ファンなら必ず堪能できるはず。
●しかし本書に限ったことじゃないけど、登場人物がみんな携帯電話もスマホも持ってなくて、電話ボックスやイエデンを使っているというだけで、小説はみんな「昔の話」になっていくのだなあ。

May 25, 2016

最大の変化球はストレートとカーブ

●これは目ウロコ。「これから新しい変化球は生まれるか? 早大・矢内教授と高橋尚成氏に聞く」(週刊ベースボールONLINE)。投手40人のさまざまな球種についてスピード・回転数・回転の向きを統計的に分析した結果について述べられている。「ストレートとシュートとツーシームは(客観的に)区別できない」というのも衝撃だが、最大の驚きは「ストレートがカーブと並んで、もっとも大きく変化するボール」だということ(変化する=自由落下と軌道がずれる)。ストレートはぜんぜん「まっすぐ」なんかじゃない。実際にはバックスピンによって大きく曲がっているのに、わたしたちは習慣的にこれをまっすぐと認識しているわけだ。
野球のボール●この測定によれば、ストレートとは「強烈なバックスピンによって(右投手の場合)右上の方向へ大きく軌道が変化するボール」と定義できるだろう。つまり、「ストレートとカーブだけで投球を組み立てる」という古典的な投球術は、それぞれ正反対の方向に最大に変化する球種2種類を使い分けているという意味で、とても合理的だ。
●じゃあ、いちばんコースが変化しないボール、つまり本来の意味での「まっすぐ」な球種はなにかといえば、このサイトの図を見ればカットボールということになる(!)。これがもっとも自由落下に近い。真に「正々堂々とまっすぐで勝負」するなら、全球カットボールを投げるのが正しい。男なら男らしく、カットボールを連投だっ!

May 24, 2016

新国立劇場、フォークトの「ローエングリン」

●23日は新国立劇場でワーグナー「ローエングリン」初日。題名訳にクラウス・フロリアン・フォークトが2012年公演に続いて登場。エルザにマヌエラ・ウール、ハインリヒ国王にアンドレアス・バウアー、テルラムントにユルゲン・リン、オルトルートにペトラ・ラング。飯守泰次郎指揮東フィル、マティアス・フォン・シュテークマンの演出。
●とにかくフォークトに尽きる。こんなにまろやかでリリカルな声なのに、だれよりも声量がある。無理がなくて自然体で、ニュアンスに富んだローエングリン。そんなものがありうるとは。ほとんどフォークトを聴くだけで充足できるくらいの公演だが、ほかのキャストもなかなかの充実ぶり。ビジュアル面でも納得。東フィルもパワフルで、風格の漂う重々しいワーグナー。背景に格子状の電光パネルを配置したシュテークマン演出は、小さな理屈の積み重ねが説得力につながっていないように感じてまるで肌が合わないのだが、これだけの声とオケが聴ければもうなんだって受け入れられるかも。
ワーグナー●この演出から離れて「ローエングリン」という作品について。改めて異教徒ポジションにいる自分を再確認する。神の奇跡と妖術との間にあるのは信じる神の違いでしかない。神意を後ろ盾にするローエングリン側と、ゲルマンの神々を信じるオルトルート側とどちら側に共感できるだろうか。気がつくとオルトルート側から物語を眺めている自分。「神明裁判」ってあるじゃないすか。あれを見て「真田丸」の鉄火起請を思い出す。争いごとを解決するために、熱く焼けた鉄を素手で運んで耐えられたほうが神意によって勝ち。決闘で決着するのもなにも変わらないわけで、オルトルート側から見てるとモンサルヴァート城の連中は野蛮なカルト集団にしか思えない。
●一方で、「ローエングリン」は「指環」がそうであるように、ファンタジーの外形をまとったファミリー・ドラマなんだなとも思う。第3幕、結婚行進曲の後、すぐに夫婦ゲンカが始まるというリアリズム。ケンカの原因は明らかだ。旦那は仕事の話しかしない。王が、神意が、使命が。男は社会的な動物なので。でも妻が聞きたいのはそんな話ではない。あなたの名前を教えてほしい、あたなはどこから来たのか、あなたはどんな人? わたしとあなたの二者間の話をしたいのに、旦那の頭のなかには世界の成り立ちしかないという見事なすれ違い。夫婦ゲンカの最中にカジュアルに瞬殺されてるテルラムントが悲しすぎる。
●ローエングリンも堅いこといわないで、仮の名前でもいいから教えてあげればいいんじゃないかと思うんすよねー。名前がないとそりゃ奥さんは不便だもの。トリスタンがタントリスと名乗ったみたいに、名無しなら名無しで権兵衛とかでもいいと思う。吾輩は白鳥の騎士、権兵衛でござる!みたいな思い切りがときには必要。

May 23, 2016

ネーメ・ヤルヴィ指揮N響のカリンニコフ&ベートーヴェン

●20日はNHKホールでネーメ・ヤルヴィ指揮N響。先日、都響で聴いたクリスチャンに続いて、パパ・ヤルヴィ。カリンニコフの交響曲第1番とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」というプログラム。カリンニコフは一部で熱烈なファンのいる曲だけど、自分にとってはなじみが薄く、実演で聴ける機会は貴重。第1楽章冒頭から民謡風のひなびた主題があらわれ、ベートーヴェンの「田園」と組み合わされるのも納得。全体の曲調としては、チャイコフスキーの前半の交響曲(第1番~第3番)の作風の後継者とでもいうか。この屈託のない伸びやかさは、闘病中の苦難の作曲家の筆によるものとはとても思えない。ネーメならではの豪快な鳴りっぷりも吉。カーテンコールで客席からかかったブラボーに対して、立ち止まって片耳に手をあてるネーメ。「えっ、もっと言ってよ」というポーズ?
●後半の「田園」は20世紀後半スタイルの豊麗でゴージャスなベートーヴェン。ゆったりと念を押すように奏でられる第1楽章冒頭主題。第2楽章での小川のせせらぎや鳥たちの鳴き声など、くっきりと強弱をつけて遠近感を表現していたのが印象的だった。第3楽章のダンスはひときわのどかで田舎風。やはりカーテンコールで両耳に手を当てて喝采を求めていたが、客席の反応も上々だったのでは。
●LFJ「ナチュール 自然と音楽」の勝手続編にもなってたような気も。「田園」の曲目解説を読んで「そうそう、クネヒトの自然の音楽的描写、この前聴いたよなー」と懐かしみつつ。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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