●いよいよ、W杯アジア最終予選がスタート。初戦は埼玉スタジアムでニッポン対中国。ニッポンは過去2大会とも最終予選の初戦で敗れており、意外と苦戦しているのだが、この中国戦、試合が始まってみると圧倒的なニッポンのペース。ホームゲームであり、個のクオリティの高さを考えてもニッポンがゲームを支配するとは思ったが、まさかここまで一方的な内容になるとは。前半12分にデザインされたセットプレイからフリーになった遠藤が頭でゴールして先制、その後、相手キーパーのファインセーブもあり追加点がなかなかとれなかったが、47分に右サイドからの堂安の完璧なクロスにファーサイドの三笘が頭で合わせて2点目。後半は南野、南野、復帰した伊東純也、前田大然、久保のゴールラッシュ。終わってみればニッポン 7対0 中国。シュート19本に対して相手は1本、73%のボール支配率だった。
●森保監督が敷いた布陣は3-4-3というか、3-2-4-1というか、以前も試した超攻撃的な布陣で、町田、谷口、板倉が並ぶ3バックに対して、左右のウイングバックが三笘と堂安。ここにサイドバックではなくウィンガー、アタッカー調の選手を置いている。中盤は守田と遠藤の2枚で、その前に南野と久保、トップに上田。実質的に5人のアタッカーがいる。つまり、三笘、南野、久保、堂安、上田。この布陣で相手に攻められたらどうなるのか、気になるところだが、ほぼ攻められなかった。キーパーは鈴木彩艶だが、セーブ機会はゼロだったのでは。サイドバックに居場所のない布陣でもある。
●中国を率いるのはイヴァンコヴィッチ監督。オマーン代表やイラン代表を率いてニッポンに勝っている。どういう戦い方をするのかと思ったが、ほとんど前線からプレスをかけてこなかったため、ニッポンは後ろから余裕を持ってボールを運べた。逆にこちらのプレスはよく効く。いちばん困るのはラフプレイだが、その点、VARがあるのは救い。まあ、アウェイではそれすら頼りにならなかったりもするが……。
●GK:鈴木彩艶-DF:板倉(→高井幸大)、谷口、町田-MF:遠藤(→田中碧)、守田-堂安(→伊東)、三笘(→前田大然)-久保、南野-FW:上田(→小川航基)。20歳の高井幸大が代表デビュー。192cmの大型ディフェンダー。
ニッポンvs中国@ワールドカップ2026 アジア最終予選
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その6 黄色い蛾
●(承前)品薄状態が続いていたが、さすがに近隣の書店でも平積みになっていた、ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮文庫)。想定以上の売れ行きだったのはよかったが、千載一遇の好機にどれだけ売り逃したことかと思わずにはいられない。電子書籍もなかったし……。という辛気臭い話はここまでにして、再読メモの続きだ。今回が最終回のつもり。
●ふと思いついた、この長大な愛と孤独の物語をテーマにAIに絵を描いてもらったらどうなるだろうか。そこでBing Image Creator(DALL-E 3)に「百年の孤独」のイラストを描いてほしいとシンプルにリクエストした。もちろん、そこにはAIがトンチンカンな絵を描いてくるのではないかというイジワルな期待もあったのだが、AIはこんなイラストを作ってくれた。
●お。おお。おおおーー! なんと、AIは健闘しているではないか。「百年の孤独」が書物であるという理解はもちろんのこと、見逃せないのは黄色い蝶だ。いや、蝶ではない。これは蛾であるはず。物語の内容を知らなければ出てこないモチーフだ。前回、クラヴィコード奏者になったメメ(レナータ・レメディオス)について書いたが、メメが恋に落ちた相手、マウリシオ・バビロニアはいつも黄色い蛾とともに姿を現すのである。映画館のなかでも、教会でも、まず黄色い蛾が飛んきて、そこにマウリシオ・バビロニアがやってくる。メメは抑圧的な母親フェルナンダに隠れてマウリシオ・バビロニアと愛し合う。メメの行いを正すべく、フェルナンダはメメを自宅に軟禁するが、メメは密かに浴室でマウリシオ・バビロニアと会い続けた。
ある晩、メメがまだ浴室にいるあいだに、たまたまフェルナンダがその寝室に入っていくと、息もできないほどの無数の蛾が舞っていた。
恐るべき事態に気づいたフェルナンダは、鶏が盗まれているという理由で警官を呼ぶ。浴室に忍び込もうとしたマウリシオ・バビロニアは銃で撃たれ、一生ベッドから離れられない体になり、以後、思い出と黄色い蛾とともに侘しく年老いる。一方、メメはこの事件以来、老衰で世を去るまで二度と口をきかなかった。
●実はこのときメメは妊娠しており、マウリシオ・バビロニアとの子、アウレリャノ・バビロニアをもうける。アウレリャノ・バビロニアは自分の本当の血筋を知らされずに育てられ、やがて叔母であるアマランタ・ウルスラと愛しあうようになり、ついに「豚のしっぽ」を持った子、アウレリャノが生まれる。「この百年、愛によって生を授かった者はこれが初めて」。
●以前、METライブビューイングで上映されたダニエル・カターンのオペラ「アマゾンのフロレンシア」を紹介したけど(→参照)、あの作品はガルシア=マルケスに着想を得たという触れ込みだった(あくまで原作とは言っていない)。主に着想源となったのは「コレラの時代の愛」だと思うが、蝶のモチーフは「百年の孤独」から取られていたのかと気づく(ホントは蛾だけど、生物学的には蝶と蛾の明確な区別はつかないらしい)。
●終盤のマコンドの町の荒廃と、ブエンディア一族の衰退はなんとも儚い。すでに「豚のしっぽ」を持った子についてのウルスラの警告は忘れられている。メルキアデスの羊皮紙の謎が解け、その題字が「この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところになる」であることが判明する。この終章と来たら、もう本当に……。長い長い物語の幕切れはこのうえもなく鮮やかだ。そして、寂しい。
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ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その1 水
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/091015.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その2 近親婚
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/120950.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その3 くりかえされる名前
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/191033.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その4 年金を待つ人
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/240955.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その5 クラヴィコード
http://www.classicajapan.com/wn/2024/08/231038.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その6 黄色い蛾(当記事)
http://www.classicajapan.com/wn/2024/09/050955.html
コメがなければ
●コメ不足だというニュースが広がり、じりじりとお米の価格が上がっているなと思ったら、先日、近所のスーパーのお米売場がすっからかんになっていた。けっこういいお値段が付いているのに一袋もない。この光景を見て、自分の心のなかのマリー・アントワネットがささやいた。「お米がなければパンを食べればいいじゃない」。
●後日振り返るためにメモしておくと、amazonブランドの会津産コシヒカリ無洗米5kgが、本日時点で税込3625円。同商品の価格履歴をその筋のサイトで調べると、昨年11月には2000円だった。生協の宅配だと、ふだん1950円ほどのお米が今は2700円になっている。4割増くらいだ。
●ともあれ、農水省の言うように、これから今年の新米が供給されるわけで、まもなく品薄感は解消されるはず。ニュースを知って慌ててお米を買うことで一時的に需要が爆増していると思うので、しばらくすると逆にお米がだぶつくかもしれない。
●今日、外出先でスーパーをのぞいてみたら、お米売場にずらりとカルビーのフルグラが並んでいた。コメはなかった。ふたたび、心のなかのマリー・アントワネットが勝ち誇ったように叫んだ。「お米がなければフルグラを食べればいいのよっ!」
東京オペラシティアートギャラリー 髙田賢三 夢をかける
●東京オペラシティアートギャラリーで「髙田賢三 夢をかける」(~9/16)。日本人ファッションデザイナーとしていち早くパリに進出した髙田賢三(1939-2020)の創作活動を回顧する展覧会。もちろん、展示されるのはおもに服だ。服以外の作品もあるけど、基本的には服がずらりと並び、たくさんのマネキンが立つことになる。「じゃ、それって結局、デパートの婦人服売り場みたいな感じなんじゃないの。KENZOブランドの」。見る前はそんなことも案じたが、これは杞憂。入ってみると、ちゃんとアートギャラリーだった。展示空間がやっぱり美術館としてのそれであって、洋品店っぽくはならない(そりゃそうだ)。華やかな気分で楽しめる。
●けっこう賑わっていたのだが、やはり客層がいつものアートギャラリーとぜんぜん違う感じ。アートとファッション、近そうでぜんぜん近くないかも。若者率高し。
●あ、クマさんだ。かわいいー。
●こちらはアテネオリンピック開会式用公式服装のTシャツ、パンツ、帽子(2004、ファーストリテイリング)。涼しげで軽やかなのがよい。メンズは脛が丸出しなところがチャレンジングだ。さて、試着室はどこかな~(ありません)。
Chandosのダウンロード販売サービスThe Classical Shop終了に伴い、最大50%OFFセールを開催
●SpotifyやApple Musicといったストリーミング配信全盛の今、音源をダウンロードで購入している人は少数派だとは思うが、Chandos Recordsのダウンロード販売サービス The Classical Shop が11月29日をもって閉じられることになった。新規ダウンロード購入は10月25日まで。よく勘違いされるので説明しておくと、The Classical ShopはChandos運営のサイトだが、Chandosレーベルの音源だけを扱うのではなく、BISとかonyxとかNimbusとかHänsslerとか、いろんな中堅レーベルの音源を購入できるサイトなんである。20年間続いたが、ダウンロードの需要低下が止まらず、サービスを終了することに。で、最後は最大50%セールをやってくれることになった。お値段はポンド建てなので、円安の今、お得感がどれほどのものかは知らない。
●The Classical Shopはなんどか利用したことはあるが、ダウンロードで購入するときは自分はおもにPresto Musicを使っていた。こちらのほうがメジャーレーベルを含めた数多くのレーベルを扱っていて便利であり、しかも購入時に円で決済できるのでなにかと明快。ここはまだ健在で、もちろんChandosの音源も販売している。もっとも、ストリーミングではなくダウンロードが必要という場面も減ってきたので、最近は使わなくなりつつあるというのが正直なところ。
●ストリーミングにはない、ダウンロードの利点もあることはある。たとえばデジタル・ブックレットが付いてくる(こともある)とか、CD音質を超えるハイレゾ音源でも購入できる(ものが多い)とか、ネットワークの不安定な環境でもストレスなく聴けるとか(たとえば長距離移動時)、たまにストリーミングでは聴けない音源が売っているとか、ストリーミング配信はいつサービス自体を止めると言い出すかわからないけどダウンロードでデータを所有してしまえばいつまでも聴き続けることができるとか。でも、こういった利便性はかなりニッチではある。
●ところでChandosといえば、少し前にナクソスの創業者であるクラウス・ハイマンの傘下に入るという発表があった(参照記事)。経営は引き続きラルフ・カズンズ(創始者ブライアンの息子)が行い、物流や配信はナクソスが担当するといった話。このニュースは、ナクソスではなく、クラウス・ハイマン個人がChandosを取得したという点で目を引いた。
サントリーホール サマーフェスティバル 2024 アーヴィン・アルディッティがひらく オーケストラ・プログラム
●29日はサントリーホールサマーフェスティバル2024のザ・プロデューサー・シリーズ「アーヴィン・アルディッティがひらく」オーケストラ・プログラム。アルディッティ弦楽四重奏団とブラッド・ラブマン指揮東京都交響楽団が出演。先週のフィリップ・マヌリ オーケストラ・ポートレートは東響だったけど、今回は同じ指揮者で都響。プログラムは前半が細川俊夫「フルス(河)~私はあなたに流れ込む河になる」(2014)、クセナキスの「トゥオラケムス Tuorakemsu」(1990)、後半がクセナキス「ドクス・オーク」(1991)、フィリップ・マヌリの「メランコリア・フィグーレン」(2013)。細川作品とマヌリ作品が弦楽四重奏とオーケストラのための作品。弦楽四重奏+オーケストラという組合せ、いかにも重複的で、オーケストラの弦楽セクション自体が弦楽四重奏を内包しているんだから約分できないのかとつい思ってしまうが、両者の響きの同質性を逆手に取ってシームレスな響きの遠近法を作り出せるのかもしれないし、作り出せないのかもしれない(どっちなんだ)。
●楽しかったのはクセナキスの両曲。「トゥオラケムス Tuorakemsu」は武満徹60歳を祝った作品で、曲名をぱっと見てToru Takemitsuのアナグラムになっているのかなと思いきや、なっていない。曲目解説によればToru Takemitsuの文字をギリシャ語風にしたアナグラムなのだとか。90人の奏者を要する3分ほどの短い曲。一種のファンファーレだろうが、東洋的な響きが思いのほか前面に出ていて、クセナキスとジャポニズムの不思議な合体技。後半の「ドクス・オーク」はアーヴィン・アルディッティがソリストを務めるヴァイオリン協奏曲スタイルの作品。渾身のソロとキレのあるオーケストラの対話。発話的なフレーズの応酬が続くのだが、こういう音楽を聴くと、つい日本語のセリフを当てはめながら聴いてみたくなる。たとえば、オーケストラ「お腹、空いてないのー?」、独奏「ハ・ラ・ペ・コ、だよー」みたいな。マヌリ作品、先週は豊饒な響きの海みたいな曲だったが、今回は弦楽四重奏とオーケストラのための曲ということもあり、もっとミクロコスモス的で、7つの多様なセクションからなる。細川、マヌリともに作曲者臨席。
●きわめてゆっくりと進む台風が九州を北上し、日本列島は広範囲で大雨。「遠隔豪雨」という言葉を知る。ひどい水害がないことを願う。
松本市美術館 コレクション展「草間彌生 魂のおきどころ」他
●25日、松本まで往復して正味1時間の「ジャンニ・スキッキ」だけではもったいないので、すぐそばの松本市美術館へ。なんと、7年ぶり。企画展とコレクション展があり、現在の企画展は「北欧の神秘 ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」。これは同じ展示を東京のSOMPO美術館ですでに見ているので、コレクション展をじっくりと見ることに。
●コレクション展の目玉は特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」。美術館の正面から郷土出身のアーティストである草間彌生の巨大彫刻「幻の華」が出迎えてくれているのだが、中にも立派なコレクションがある。写真は「大いなる巨大な南瓜」(2017)。もっと近年の作品もあり、作者が現在95歳だと知って驚く。カラフルな色づかいが強烈で、心がざわざわする。50年代、60年代の絵画もよい。一方、インスタレーションは技術的な仕掛けの部分に時の流れを感じる。草間彌生以外の地元ゆかりの作家たちによるコレクションも予想以上に見ごたえがあって充実。
●「大いなる巨大な南瓜」を反対側からもう一枚。まあ、反対側から見てもそう変わらないわけである、カボチャだし。ヘタの部分の向きが違うなって思うけど。
●小澤征爾を追悼する無料展示もあって、賑わっていた。
「バリ山行」(松永K三蔵)
●松本往復のあずさでたっぷり時間があったので、ハイカーたちが大勢いる車内にふさわしい一冊を読んでみた、第171回芥川賞受賞作、「バリ山行」(松永K三蔵著/講談社)。これは傑作。帯に「純文山岳小説」とあるが、もっと言えば「低山ハイキング小説」であり、「藪漕ぎ小説」でもある。本格登山の世界ではなく、里山みたいなところであえて難度の高い道や、道なき道を行くのがバリ山行なのだとか(バリエーションルート、略してバリ)。勤め先の仲間たちと一般的なハイキングルートを楽しんでいた主人公が、あるとき職場で孤立する同僚が毎週末ひとりでバリ山行に挑んでいることを知る。ふたりは行動をともにする機会を得る。
●低山ハイキングでも定められたルートから一歩外れれば、命がけの危険がありうることは、よくわかる。みんなが通るルートから外れるなど、恐怖以外のなにものでもない。うっかり変な道に入って迷い、暗くなったりでもしたら身動きが取れなくなる。あるいは降りれるけどもう登れない場所とか、逆に登れるけど降りるのは無理な場所とか、いっくらでもあるわけで、自分の感覚からするとバリルートなんて勘弁してくれって感じなのだが、そんな山の世界をこれほどの解像度で描けるとは。山の描写がことごとくよい。感嘆するばかり。
●山小説であると同時にこれは会社員小説でもあって、職場にもみんなでいっしょに進むハイキングルートもあれば、藪漕ぎみたいなまったく先の見えない孤独なルートもある。そこをぐさりと抉ってくる。どちらを進むのかという選択はだれしも迫られるはず。会社って、ほんと、こういう場所だよなと思う。