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May 26, 2017

U-20ワールドカップと、フル代表に加藤恒平選出

ニッポン!●現在、韓国で開催中のU-20ワールドカップ(旧ワールドユース)。久しぶりにU-20ニッポンが出場権を獲得したのだが、テレビ中継は地上波もNHKもなくて、BSフジで放送。現在グループステージを2試合戦ったところで、初戦は南アに対して2-1で逆転勝利したのだが、第2戦はウルグアイに0-2で完敗。ニッポンは超飛び級で史上最年少15歳の久保建英がメンバー入りしている。2試合とも途中出場を果たした。テクニックはすばらしくてさっそく南ア戦で活躍、思わずメッシみたいだと思ってしまうのだが、さすがにフィジカルの差は埋めがたく、ウルグアイ戦では相手のパワーに苦しんだ感も。
●1勝1敗で第3戦はイタリアが相手。ともに勝点3ながら、ニッポンは得失点差で劣っているので2位勝ち抜けには苦しい状況。ただし3位であっても全グループで成績上位4チームは決勝トーナメントに進めるそうなので、場合によっては「お互い引分けでもオッケーじゃね?」的な状況もないことはない。
●一方、フル代表はハリルホジッチ監督が次のワールドカップ最終予選イラク戦(アウェイ)に向けてのメンバーを発表。これがなかなかのサプライズ。GK西川、DF森重といった主力級が落選。清武、宇佐美、武藤も呼ばれず。逆に乾が復帰。ガンバ大阪から三浦弦太、倉田秋、井手口陽介、今野泰幸、東口順昭と大勢選ばれていてびっくり。浦和の宇賀神、柏の中村航輔もサプライズ。だが最大のサプライズはこの人! なんと、なんと、なんと、ブルガリア1部リーグのRECべロエ・スタラ・ザゴラ所属の加藤恒平だっ!!!!!
●だれ、それ!の声、多数。一方、ついに来たかの声も。いわゆる「海外組」というとJリーグで大活躍した後ドイツやイングランドなどに渡った選手たちをまっさきに思い浮かべるが、そういう選手たちとはまったく別ルートで東欧などで活躍している日本人選手たちは何人かいる。そんな「もう一つの海外組」のひとりが加藤恒平。大学を経由してアルゼンチンに渡るも試合に出られず、一時町田ゼルビアに所属するも、その後、モンテネグロ1部リーグ、ポーランド1部リーグを経て、現在ブルガリア1部リーグへ。27歳。ポジションは中盤で、ファイター・タイプなのだとか。
●少し前に読んで印象に残った加藤恒平インタビュー。アルゼンチン時代の話がもうムチャクチャ。契約を結べないまま、ブエノスアイレスの貧民街にある4部リーグのチームに帯同していたんだけど、アウェイで負けたらサポーターのボスみたいなのがふたり、猟銃を持ってロッカールームにやってきて、選手をみんな座らせて説教したって言うんすよ。で、「オレたちはカネがないのにアウェイまで来た。なのにお前らは負けた。だからバス代を出せ」。日本じゃ絶対にありえない展開だけど、それで加藤選手も含めてみんなおカネを取られちゃう。
●こんなタフな環境から育ってきた選手が、今のスターぞろいの(かなり行儀のいい)ニッポン代表に加わるっていうんだから、まったくおもしろいことになってきた。ハリルホジッチ監督によれば「ボールを奪えて、組み立てもできる」。応援するしか。

May 25, 2017

N響 水曜夜のクラシック 第二夜 ~ フェドセーエフのロシア音楽プロ

●24日はNHKホールで「N響 水曜夜のクラシック 第二夜」。指揮はウラディーミル・フェドセーエフ。前半にショスタコーヴィチの祝典序曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ボリス・ベレゾフスキー独奏)、後半にリムスキー・コルサコフのスペイン奇想曲、チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」。ここのところ大曲ばかり聴いていたので、中規模な作品中心のプログラムに新鮮味を感じる。フェドセーエフの語り口の豊かさと、強奏時でも金管、木管、弦のバランスが美しく保たれる精妙な響きを堪能。
●ベレゾフスキーはますますの巨漢ぶりでピアノが小さく見えるほど。豪腕を振り上げながらも、軽々と弾く俊足チャイコフスキー。ベレゾフスキーはなんでも弾いてくれるところがすごい。LFJではこの前ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を披露してくれたし、以前にはラフマニノフのピアノ協奏曲第4番、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番等々、あんまり聴けない曲もどんどん弾く一方で、N響や海外オケの来日公演では名曲ど真ん中のプログラムを弾く。ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」も聴いたことあり。こんな人、なかなかいない。この日は、アンコールでオーケストラといっしょに第3楽章のおしまいをもう一度弾くという、最近では珍しいパターン。
●「フランチェスカ・ダ・リミニ」の後、さらに全体のアンコールとしてフェドセーエフのトレードマークとでもいうべき、ハチャトゥリアン「ガイーヌ」から「レズギンカ」。袖からスネアドラムが入ってきたところで察した方も多かったのでは。今回も熱かった。客席は大喝采。
●客席といえば、いつもと少し雰囲気が違っていて、若いお客さんがずいぶん多かった。N響定期にはA、B、Cの3シリーズがあって、この内、サントリーホールで開催されるB定期はホールの休館に伴ってお休み中。代わって水曜にNHKホールで「水曜夜のクラシック」、木曜にミューザ川崎で「N響 午後のクラシック」(つまり本日開催される平日昼公演)が開かれている。チケット価格も控えめ。若者の姿が多いとほっとする。

May 24, 2017

「中世騎士物語」(ブルフィンチ/岩波文庫)その3 ~ エクスカリバー

●(承前 その1 その2)まだ続く、ブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)の話題。ここにはワーグナーの楽劇でおなじみのトリストラムとイゾーデ(トリスタンとイゾルデ)やパーシヴァル(パルジファル)が登場するのだが、もうひとつ共通するようなしないような要素として出てくるのが聖剣エクスカリバー。ワーグナー作品に登場する魔剣はノートゥングと名付けられている。「ワルキューレ」第1幕で、トネリコの木に刺さったかつてだれも抜けなかった剣を、ジークムントは見事に引き抜く。これは窮地に陥ったジークムントのためにヴォータンが用意してくれた剣であり、後にはヴォータン自身の槍で折られてしまうことになる。北欧神話でもそのような話が出てくる。
●一方、「中世騎士物語」のエクスカリバーを抜くのはアーサー王だ。当時アーサーはまだ戴冠前の15歳。教会の入り口で剣が刺さった石が発見され、石にはこの剣が王の剣となると記されていた。そこでこの石から剣を抜いたものがブリトンの統治者となるのだと定められるが、名だたる騎士のだれもこれを抜くことができない。あるとき、腕試しの試合で剣を折った騎士ケイのために、アーサーが剣を取りに帰ったのが、たまたまこの石に剣が刺さっているのを目にすると、それをなんの苦も無く抜いて、ケイに渡した。ケイはこれを石に戻して、ふたたび抜こうとするが抜けない。しかしアーサーはまたしてもこれを抜いてしまう。こうしてアーサーが全員一致で王に推されることになった……というのが、エクスカリバーのエピソード。
●ところでアーサー王は別のエピソードでも不思議な剣を手にしている。これは湖の女王のエピソードで、謎の騎士と戦って敗れ、剣を失ってしまったアーサー王に対して、湖から一本の腕が出てきて、剣を与えるという話。これは湖の女王から与えられたものだが、この剣もどいうわけかエクスカリバーと呼ばれているのだ。というのも、この剣は、アーサー王の死の場面でふたたび登場する。戦いで傷ついて死を覚悟したアーサー王は、騎士ベディヴァに対して、「愛剣エクスカリバーを海に投じて、なにが見えたかを教えてくれ」と命ずる。ところが宝石のちりばめられた剣を惜しいと思い、騎士ベディヴァは剣を木の根に隠して、アーサー王に「剣は海へ捨ててきた」とうそをつく。しかしアーサー王はベディヴァの返答からたちまちうそを見抜く。ベディヴァはそうやって2度もアーサー王を偽るが、3度目にようやく本当に剣を海に投じる。すると海中から一本の腕が出てきて、剣を受け止めて振り回した後、剣もろとも海中へ消え去ってしまう。
●じゃあ、石から抜いたのと、海から腕が出てきて与えてくれたのと、いったいどっちがエクスカリバーなのよ。それとも不思議な力を持った剣のことはどれもエクスカリバーと呼んでいたとでも?

May 23, 2017

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第5番

ブルックナーの切手●前日にロジェストヴェンスキー&読響のブルックナー交響曲第5番(シャルク版)という奇観を仰ぎ見た翌日、今度はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第5番。今度は正真正銘の(?)ブルックナー。ノットと東響のコンビによるブルックナーはこれまでにもすばらしい演奏を聴いているが、今回も心揺さぶられるもの。同じ曲をパーヴォ・ヤルヴィ&N響で聴いたときにも感じたことなんだけど、神秘性や宗教的恍惚感に頼ることなく作品の構築性や抒情性を表現するという今日的なブルックナーとして説得力大。第1楽章は前夜の刺激があまりに強烈だったせいか、ありのままのブルックナーをうまく受け止められないという内部エラーに悩まされたが、次第にロジェストヴェンスキーの影を振り払って、ノットの世界に没入できるように。第2楽章、遅めのテンポが意外な感もあったけど、同じコンビで第7番を聴いたときもやっぱり第2楽章が遅めで意外とここに書いていたのだった。白眉は第4楽章。一段さらにギアが上がって、白熱のブルックナーに。対位法モンスターが最終形態に覚醒してグイグイと迫ってくる。
●おっと、ブルックナーの前にもう一曲。モーツァルトのピアノ協奏曲第6番を小曽根真のソロで。協奏曲やソナタに関して言えば、ザルツブルク時代のモーツァルトも傑作ぞろいでどれひとつとしてつまらない曲はないとは思うが、この第6番はかなりロココ調と言ったらいいのか、優雅で洗練されたテイストが前面に出ていて、その分、ヤンチャ成分が控えめという印象。それを小曽根真でという意外感。カデンツァではモーツァルト・スタイルを逸脱した(でもしすぎない)自由な演奏を聴くことができた。アンコールはレクオーナのスペイン組曲「アンダルシア」から第4曲「ヒタネリアス」。
●ブルックナーが終わった後、やはりほぼ完璧な沈黙が訪れ、その後、客席は大喝采に。この日も、楽員が退出した後、拍手が止まずノットのソロ・カーテンコールがあった。盛大なブラボーとスタンディングオベーション。たまたまだが、サロネン&フィルハーモニア管弦楽団、ロジェストヴェンスキー&読響、ノット&東響と3日間続けて指揮者のソロ・カーテンコールに出会ったことになる。これはさすがに珍しい。
●翌21日も同じミューザ川崎で同じプログラムがあったので、なかにはもう一度聴いて、三日連続でブルックナーの5番を体験した方もいる模様。もっとすごいのは京都まで足を延ばして高関健指揮京響でブルックナーの5番を聴いて、すべて異なる楽団による三連荘コースをたどった猛者もいらっしゃるとか。そうそう演奏されない曲がここまで集中したのは偶然だとは思うが、意図しても実現しないようなブルックナー第5番フェスが出現した。

May 22, 2017

ロジェストヴェンスキー&読響のブルックナー交響曲第5番(シャルク版)

●この週末はブルックナーの交響曲第5番祭。もしその気になれば金土日と三日連続ブルックナーの5番を聴くことも可能ではあったが、私が参戦したのは二日間で読響と東響を一公演ずつ。
●19日(金)は東京芸術劇場でゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読売日本交響楽団。プログラムは一曲のみ。ブルックナーの交響曲第5番、まさかのシャルク版。原典からの逸脱という点で悪名高いシャルク改訂版を生で聴ける貴重な機会とあって、全席完売。しかもロジェストヴェンスキー。「今しか聴けない」の問答無用の訴求力。ただ事じゃ済まないだろうと思ってはいたが想像を超えていた。
●まず、長い。原典からカットして短くなっているはずなのに、なぜか終演時刻は特に早くなかった。そして、圧倒的な過剰さ。シャルク版以前にまずロジェストヴェンスキーと読響の剛直で重量感のある響きがすごい。そしてオーケストレーションに特盛感があって、なんでそこでティンパニが入るのとか、あちこちで初耳であるという以上の違和感を感じるのだが、最後の最後にお祭り騒ぎの一大スペクタクルが用意されていて、それまでのあれこれがすべてがぶっ飛んだ。バンダの金管あり、シンバルあり、トライアングルありの大音響で、とてつもない高揚感。予想外の方向性からサービス精神を発揮してくれるシャルク。少し笑うが、真摯な感動には笑いがつきもの。
●で、芸劇のお客さんたちは、たとえこんなにド派手に終わる曲でもブルックナーには違いないので、余韻を味わおうと一瞬、完璧な静寂を作り出した。が、その静寂を打ち破ったのが指揮者本人。指揮棒で(たぶん)楽譜をピシャリと叩いた。それが合図となって場内は大喝采に。あのピシャリに「は? もう終わったぞ、はよ拍手せい!」というニュアンスを感じたのはワタシだけじゃないと思う。実際の当人の意図は知らないけど、儀式的な沈黙をありがたがるわれわれ聴衆の態度をフッと鼻で笑うようなところが感じられて、楽しさ倍増。客席の雰囲気は最高。楽員が去っても拍手は鳴りやまず、ロジェストヴェンスキーのソロ・カーテンコール。なんか「お前ら、まだいたのぉ、しょーがねーなー」みたいな雰囲気(想像)でザクッと登場。で、シャルク版のスコアを讃えるマエストロ。
●指揮している最中に、パタンと音をたてて指揮棒が床に落ちてしまったんすよ。あっ、どうするんだろう?と思った次の瞬間、マエストロの右手を見たらちゃんと指揮棒を持っていた!? えっ、これってなにかの手品?……指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーってそういうこと?(違います)

May 19, 2017

エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団のマーラー「悲劇的」

●18日は東京オペラシティでエサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団。ストラヴィンスキーの「葬送の歌」(日本初演)とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」を組み合わせたプログラム。休憩なしは吉。「葬送の歌」はストラヴィンスキーの失われていた初期作品で、昨年の12月にサンクトペテルブルクにて、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団によって蘇演された12分ほどの曲。初演の模様はネット上で映像配信されたが、続く出世作「火の鳥」のプロトタイプであると同時に、ワーグナーの影響も。リムスキー=コルサコフの逝去に伴って作曲されたということで「葬送の歌」と題されているわけだが、当初「悲劇的」のみだったプログラムにこの一曲が加わって、予期せぬ文脈が生まれたかも。サンクトペテルブルク音楽院の改修工事に伴って図書館の資料を移送する際に発見されたということだが、いったい全世界の図書館にはどれだけ失われた楽曲が眠っているんだろうか。どこか探したらベートーヴェンの交響曲第10番とか出てこないの?(出てきません)
●マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は壮絶。すさまじい熱量を持った演奏で、オペラシティの空間に収まりきらないほどの音圧。しかし分解能は高く、サウンドは輝かしい。冒頭のザクザクとマシーンみたいに行軍するところからただならぬ気迫が漂っていた。第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテの配置。激烈な作品だが、アンダンテの甘美さ、柔らかさが白眉か。終楽章のハンマーは2回。ハンマーもさることながら、タフなブラスセクションがすごい。これだけの演奏だからこそ、作品の容赦のなさにたじろぐという面も大いにあり。曲が終わった後に完全な沈黙が訪れて、その後大喝采。サロネンのソロ・カーテンコールが2回。このコンビ、聴くたびに印象がずいぶん違うんだけど、この日はフルスロットルの爆走を目の当たりにした感。

May 18, 2017

「中世騎士物語」(ブルフィンチ/岩波文庫)その2 ~ リア王

一昨日のエントリーでもうひとつの「トリスタンとイゾルデ」について紹介したブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)であるが、この本の中には「リア」の物語も出てくる。そう、シェイクスピアが「リア王」として書いた、あのリア。ブルフィンチはミルトンの「歴史」からこの物語を引いてきたそうで、同じ話をシェイクスピアはいくつか物語や登場人物名を変えて悲劇「リア王」に仕立てたという。えっと、それってみんな知ってること? ワタシは知らなかった……。
●シェイクスピア作品では King Lear だけど、この本で登場するのはリア Leir。リア王には男児がなく、娘が3人いた。国を娘に譲ろうと決心し、3人の娘でだれがいちばん自分を愛しているかを計ろうとした。長女と次女はだれよりも父を大切に思っていると語った。しかし末娘は口先だけで情愛の深さを表現することをよしとしなかったため、父王の怒りを買ってフランスに追放される。ふたりの姉の結婚後、リアが100名の騎士とともに長女のもとに移り住むと、「100名の騎士は多すぎて困る」とこれを30名に減らされる。次に次女のもとに赴くと「5人以上の騎士を養うことはできない」と言われてしまう。そして、ふたたび長女のもとに戻ると、今度はただひとりの召使しか許されなかった。哀れなリアは懺悔をしようとフランスの末娘を訪ねる。末娘は落ちぶれた父の姿に涙し、その身分にふさわしい歓待を尽くした。末娘は兵を率いて姉たちの領土に攻め入って降伏させ、ふたたび父を王位につかせた。3年間のリア王の統治の後、末娘が王位を継いで5年間統治するが、姉たちの息子らが謀反を起こして命と王位を失う。
●基本設定はシェイクスピアと同じだが、途中からがずいぶん違う。ここにはリア王の発狂がないし、リア王は復位にも成功してしてる。リア王、がんばった。リア王にしてリア充。ウェーイ。逆に言えばこの話から、あの「リア王」を生み出したシェイクスピアがすごいとも言えるのか。
●昔、「キング・イズ・アライヴ」(クリスチャン・レヴリング監督)っていう映画を見たとき、男女が砂漠の真ん中で遭難して、ただ狂気と孤独のなかで「リア王」を演じようとするというぶっ飛んだ展開に戦慄したっけ。どんだけ「リア王」好きなの、西洋人は。つくづくヴェルディが「リア王」をオペラ化しなかったのが残念。

May 17, 2017

ブラビンズ指揮東京都交響楽団のイギリス音楽プロ

●16日は東京オペラシティでマーティン・ブラビンズ指揮東京都交響楽団。オペラシティで都響を聴くというのが新鮮な感じ。いや、本当に新鮮なのはプログラムか。バターワース「青柳の堤」、ティペットのピアノ協奏曲(スティーヴン・オズボーン独奏)、ヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲(交響曲第2番)。どれもなかなか聴けない。特にティペットのピアノ協奏曲は1955年の作品ながらこれが日本初演なのだとか。
●ティペット作品を生で聴いたのは、ノリントン&N響の交響曲第1番以来だろうか。ピアノ協奏曲もベートーヴェンに触発された作品というが、交響曲第1番ほどベートーヴェン的なスピリッツは感じられず、むしろピアノを管弦楽と対峙するソリストとしてよりはアンサンブルの一員として扱うスタイルはバロック協奏曲的な発想というか。形式的には古典派協奏曲風でもあって、ティペット流の新古典主義。カッコいいフレーズが次々と登場する一方で、30分はこのスタイルには長すぎるような気も(特に第1楽章)。ソリストは譜めくりあり。
●ヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲、自分にとってはなじみの薄い作曲家なんだけれど、こんなにいい曲だったのかと認識を改める。ブラビンズと都響の澄明なサウンドのおかげもあってか、オーケストレーションが思った以上に壮麗。第1楽章、ビッグ・ベンの時報の鐘が出てくるところで、「ああ、ロンドンだな」と思うべきなのだろうが、学校の授業開始の気分になってしまうのが恐ろしい(第4楽章で同じ主題が回帰するところは授業おしまいの合図だ)。その代わり、第1楽章では「オペラ座の怪人」の主題が登場してミュージカルの街ロンドンを連想させる、というのもこのアンドリュー・ロイド・ウェッバーの有名なミュージカルを初演したのはロンドンのウエスト・エンドの劇場であり、ヴォーン・ウィリアムズはそのロンドンのシンボルともいうべき主題を自作に引用したのであった……というのは、もちろん大ウソだ。20世紀初頭の交響曲にアンドリュー・ロイド・ウェッバーが出てくるわけがない。順序が逆。でもそんな誤読を喜んでしたくなるなにかがここに。
●マーティン・ブラビンズはいつのまにか立派な白いひげを蓄えていた。遠目にはサー・チャールズ・グローヴズ風? ずいぶん雰囲気が違っていて、一瞬だれかと思った。風格がある。

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