January 7, 2008

パンズ・ラビリンス(ギレルモ・デル・トロ監督)

パンズ ラビリンス●たしか去年恵比寿あたりで上映していたのを見逃してしまったのだが、今年になってからちゃんと映画館で見ることができた。「パンズ・ラビリンス」、傑作すぎる。
●舞台は内戦下のスペイン。フランコ独裁政権と人民戦線との苛烈な戦いの中で、少女はある日妖精と出会う。「お嬢さん、あなたの本当の姿は、地の底にある病も苦しみもない王国のお姫様なのです。あなたが姫君であることを確かめるために、これから3つの試練を与えます。それを乗り越えたとき、わが王国に再び姫として迎え入れましょう」。少女は血生臭い戦時下の厳しい現実と、ファンタジー世界のお姫様を行き来するのだが、そのコントラストたるやすさまじい。
●いろいろな見方のできる映画なので、「少女は現実に目を向けられずに空想に逃避した」と見てもいいのだろうが、ワタシは「人は物語なしでは生きられない」という話だと解した。少年少女の頃は自分自身にこれくらい大きな物語を描きながら生き抜いてきたわけだけど、本質的には大人になってもワタシらは変わらず自分の物語を必要としながら生きている。「王国の姫君/王子」とまで行かなくても、「本当は××××な自分」とか「自分は××××だからこうなった」とか。「内戦」と「王国」、物語と現実、その二本立てでなければワタシらは自分を受け入れることができない。
●映画の中で、少女の母の再婚相手、義父となる大尉が冷酷無比な超父性、超マチズモ的な存在として描写されているのだが、この「大人」もまた「父と子」という物語によって生きている。大尉がわが子を出産前から「男の子に決まっている」と決めつけ、事実男の子が産まれるというのと、少女が母親の看病のためにベッドの下にマンドラゴラの根を置いて血を与えると、実際に母親の容態が回復するというのは、同じことを描いている。ラストシーンで、大尉が人民戦線の女から、自らの物語を決定的に拒まれる場面が深く心に残る。最後は少女はその物語が全うされ、大尉は否定されているという点ではハッピーエンドであり、一方の現実だけを見れば戦争は悲劇しか生まないという話でもある。

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