ドミノ・ピザ
February 23, 2011

ロナウドの引退

9番といえば今でもロナウド。ウチのパチユニは健在です●少し日が経ってしまったが、このニュースをスルーするわけにはいかない。ロナウドが現役引退を発表。フォワードの選手だから34歳で引退してなんの不思議もないし、ヨーロッパを去った時点で視界からは消えていた。しかし振り返ってみれば、むしろあのロナウドが34歳までプレイできたことは喜ばしいとしか言いようがない、1999年に絶頂期で大怪我を負った時点のことを考えれば。
●ロナウドはビッグクラブに移籍する前からブラジル代表に呼ばれていた。当時、彼の名はロナウジーニョ。ブラジル代表のセンターバックに元清水エスパルスのロナウドがいたからだ。ロナウドのロナウジーニョ時代は結構長く続いたと記憶してる。所属クラブでは「ロナウド」でもブラジル代表では「ロナウジーニョ」と呼ばれていた時期もあったはず。スーパースターとなってからはブラジル代表でも「ロナウド」と名乗るようになり、先代ロナウドは(なぜか)「ロナウドン」とおしまいにnをつけて呼ばれるようになったのがおかしかった。
●バルセロナ時代のロナウドはひたすら怪物だった。得点王ゲット。インテルに移籍。愛称は「フェノメノ」。「現象」っていうことで超常現象みたいなものということか。ディフェンダーからすると超人的速度であっという間に抜かれるから、もはや人間っていうより自然現象みたいなものっていうニュアンス? 訳語では「怪物」にフェノメノとルビが振ってあったりした。
●でもロナウドで思い出深いのはその後の第二ロナウド時代のほうだろう。99年の大怪我で長期にわたる欠場をして、で、ついに復帰したと思ったら同じ場所をさらに酷く怪我した。2年近くリハビリしてたんじゃなかっただろうか。ファン・バステンみたいになるかと思った。で、再度復帰して、2002年のワールドカップでも活躍して、レアル・マドリッドにも移籍して、プレイスタイルを変化させて第二の黄金時代を築いた。この再復帰後、試合中にディフェンスに削られてロナウドが足を押さえてうずくまったりしたときの悲壮感が忘れられない。チームメイトはもちろん、敵も、観客も、テレビ視聴者も、解説者も、だれもが「ロナウドの怪我が再発しないでくれ!」とみんなでサッカーの神様に祈ってた。立ち上がると敵サポだって安堵したんじゃないか。「世界最高の選手を若くして怪我で引退させたくない」とだれもが心配してたはず。正直なところ、ディフェンスもあまり激しく当たれなくなったように見えた(ホントはどうかわからない)。
●かつてのようなキレとスピードを完全に失っていたのに、シュート技術の並外れた高さを武器に第二ロナウドはスーパースターの座を取り戻した。やっぱりファン・バステン以来の最高のフォワード。この地位はメッシの出現まで守られていた(ワタシのなかでは)。大怪我をしたときにどれだけリハビリに耐えたのかと想像すると、太りすぎたとか夜遊びが過ぎるとか報道されてもぜんぜん許せる。もう十分がんばったんだから、いいじゃないのさ。
●一部の放送局がクリチャーノ・ロナウドのことを「ロナウド」と呼ぶたびに激しい違和感が。そっちはちがうぞ。今後メディアが彼をどう呼ぶかやや心配ではあるが、ワタシにとっては引退してもロナウドといえば元ブラジル代表のロナウドしかいない。ロナウドに永世ロナウドの称号を。ジダンが彼の引退に寄せたコメント。「サッカーは彼のためにあるスポーツだった

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