September 20, 2012

80年代の悲劇

●23年前の「ヒルズボロの悲劇」について、イングランド・サッカー協会とキャメロン英首相が公式に謝罪したとニュースになっている。1989年、ヒルズボロ・スタジアムで開かれたFAカップ準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦でゴール裏立見席に収容人数を大幅に上回るサポーターが押し寄せ、10歳の子供を含む96名のリヴァプール・サポーターが圧死した。警察は自らの責任回避のために虚偽の証言を重ね、当初は悪名高いリヴァプール・サポーターたちの狼藉が事故につながったかのように伝えられていたが、その後の綿密な調査により、警備の不手際と事故発生後の警察の怠慢が事故の原因であり、フーリガンの暴動などではないということが明らかになった。観客席は高さ3mのフェンスで囲まれていた。15時のキックオフ時点ですでに意識を失うサポーターたちが続出、フェンスをよじ登りピッチへ逃れようとした者を警官は試合への乱入行為と考えた。まもなく将棋倒しがはじまり、開始6分で試合は中断され、サポーターによる犠牲者たちの救出が始まったが、警察や消防の対応は遅く、救急車もすぐには到着しなかった。「フーリガンがスタジアムで暴れた」くらいの認識だったのだろう。ゴール裏の中央エリアは定員の数倍のサポーターたちであふれかえっていたが、その両脇エリアはほとんどガラガラに空いていたといい、スタジアム警備にあたった警察の誘導ミスが大惨事へとつながった。
●80年代のイングランド・フットボール・シーンは血なまぐさい。「ヒルズボロの悲劇」の4年前に、チャンピオンズカップ(当時はリーグではなくカップだった)のリヴァプール対ユヴェントスの試合で「ヘイゼルの悲劇」が起きた。こちらは正真正銘イングランド流のフーリガニズムが引き起こした事故で、キックオフ前に酔ったリヴァプール・サポたちが鉄パイプなどの武器を持ってユヴェントス側を襲撃したことからパニックが起こり、老朽化した壁が倒壊し、39人が亡くなった。異様なことに、死者が出たことは選手たちに知らせず、UEFAは開始時間を遅らせて試合を強行した。
●このヘイゼルの悲劇のわずか18日前、イングランド3部リーグで「ブラッドフォード・シティ・スタジアム火災」が起きている。ブラッドフォード・シティFCのヴァレー・パレード・フットボール・スタジアムで行われたリンカーン・シティとのリーグ戦で、試合中に火災が発生し、木造屋根のスタジアムに炎が広がった。56人もの犠牲者を出したこの火災は、(おそらくは当人も犠牲者である)サポーターがタバコに火をつけて、床に捨てたマッチが原因だったと非公式にいわれている。ワタシはつい最近知ったのだが、この火災の映像がYouTubeに残っている。もしその場にいたとして、最初のボヤからその後の数分間を予測できるだろうか。恐ろしい惨事であるにもかかわらず、嬉々としてはしゃぎまわるサポーターたちの姿も映っている。
●現在の華やかなプレミアリーグや、家族連れがつめかけるくつろいだ雰囲気のJリーグから見れば、なんと暗い時代だったのかと思わずにはいられない。

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