July 7, 2016

アレクサンドル・ラザレフ&日本フィルの記者懇談会。グラズノフについて

ラザレフの記者懇談会
●6日はラザレフ指揮日本フィルの公開リハーサルと記者懇談会へ(杉並公会堂)。リハーサルは今週末の8日(金)と9日(土)に本番を迎えるグラズノフのバレエ音楽「四季」(本番ではほかにショスタコーヴィチの交響曲第15番)。この日も時計の針を見ながら最後の1秒までみっちりとリハーサル。ハイカロリーなグラズノフの予感。
●で、記者懇談会の話題は全面的にグラズノフについて。というのも、この秋11月から2018年までにかけて、「ラザレフが刻むロシアの魂 SeasonIV グラズノフ」として、グラズノフがシリーズで演奏されるから(交響曲第5番、バレエ「お嬢様女中」、交響曲第4番、交響曲第8番)。これまでの「ロシアの魂」も十分意欲的だったが、グラズノフに焦点を当てるというのはなかなかの冒険だろう。日本ではあまり演奏されない曲が大半なので、期待大。
●ラザレフはすごくたくさん語ってくれたんだけど、いくつかポイントを絞って拾ってみる。まず今週末の「四季」について。「ヴィヴァルディやハイドンの『四季』と異なり、グラズノフの『四季』は冬から始まって、実りの秋で終わる。これがロシア人にとっての四季。チャイコフスキーの『四季』も1月から始まる」
●「グラズノフのなにが卓越しているかといえば、オーケストレーション。彼は音楽的教養に恵まれ、オーケストラを知悉していた。チャイコフスキーはすばらしい音楽を書いたが、オーケストレーションはもうひとつだなと感じることがある。リムスキー=コルサコフにもやはりもうひとつだなと感じることが少しだけある。でもグラズノフにはまったくない。各楽器の特性をよく知ったうえでオーケストレーションを施している」
●あと、いくつかワタシも聞いたことがあるエピソードについて、ラザレフの話として聞けたのも収穫。たとえば、ボロディンの「イーゴリ公」序曲について。グラズノフは驚異的な音楽的記憶力の持ち主だった。ボロディンは25年をかけて「イーゴリ公」を作曲し、できあがったものをピアノで披露した。グラズノフもその場に招かれていたのだが、遅刻してしまい、序曲は部屋の外で聴かなければならなかった。その後、ボロディンが亡くなりリムスキー=コルサコフが「イーゴリ公」の手稿をなんとかしてまとめようとしたが、序曲の資料はなにも残っていなかった。しかしグラズノフはずっと前に一度部屋の外から聴いただけの序曲を記憶力で書き起こしてみせた。という話。
●それからこれはとても有名だけど、グラズノフが指揮者としてラフマニノフの交響曲第1番を初演したときに、悲惨な演奏で大失敗に終わり、ショックを受けたラフマニノフがその後何年も作曲できなくなり、ダーリ博士の助けでピアノ協奏曲第2番で復活を遂げたというエピソード。ラザレフもグラズノフが酔っていたということを示唆していた。このあたりは日本でよく書かれる通説通り。ほかに、グラズノフがラフマニノフの交響曲第1番をあまり好まなかったことと、悲惨な初演に終わった後もグラズノフとラフマニノフの間は友情で結ばれ、後にアメリカでピアニストとして成功したラフマニノフが、病に苦しむグラズノフの治療費を支援していたことなども。
●あとはグラズノフがヘルシンキでシベリウスと酒を飲んだ話。あるレストランでシベリウスとその縁者といっしょに一日中ずっと飲んだ後で、グラズノフは「そろそろペテルブルグに帰らなければ。交響曲第6番の初演がある」と言って、その場を去った。交響曲の初演だからおそらくリハーサルが3日くらいあって本番があったはず。それで4日間ほど経ってから、グラズノフはヘルシンキに戻って再度そのレストランを訪れた。すると、4日前と同じ席にシベリウスたちが座っていた。そして、グラズノフに向かって言った。「ずいぶん長いトイレだったな!」。これは本当の話です、ジョークではありません(←ラザレフ談)。

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