November 11, 2016

ジンマン&N響のグレツキ「悲歌のシンフォニー」

●10日はデーヴィッド・ジンマン指揮NHK交響楽団へ(サントリーホール)。前半にモーツァルトのクラリネット協奏曲(マルティン・フレスト)、後半にグレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(ソプラノにヨアンナ・コショウスカ)というプログラム。モーツァルトのクラリネット協奏曲って、オーケストラにオーボエが入らないんすよね。木管はフルートとファゴットのみ。後半のグレツキも変則的な編成で一応4管編成っぽいんだけどオーボエもトランペットも入らない。丸ごとオーボエ出番なしのプログラムはなかなかないのでは。フルートでチューニングする珍しい光景に遭遇。
●モーツァルトは快速テンポでフレストの軽やかなソロ。アンコールはエデン・アベスの「ネイチャーボーイ」という曲で、首席チェロの持続低音ではじまって、クラリネットが声を出しながら吹くといった特殊奏法を披露する。もともとはジャズのスタンダード、なの?
●で、メインは懐かしのグレツキ。90年代前半に世界的に大ブームを引き起こした1976年作曲の交響曲。ポップやロックと並んで全英ヒットチャートの上位に食い込んだ。レコード店のクラシック売り場に「癒しのクラシック」とか「ヒーリングミュージック」とかいう言葉が躍るようになったのもこの頃からだっけ。そのブームとなった「悲歌のシンフォニー」のアルバムを指揮していたのがジンマンその人。録音も含めて全曲通して聴いたのは20年ぶりくらいかも。弦楽器の精妙な響きが美しい。今聴くと、引っかかりを感じるのは歌詞の部分かな。第1楽章のような15世紀の修道院の哀歌はまだしも、第2楽章と第3楽章はすごく重くて厳しい歌詞が付いている。たとえば、ナチス・ドイツ秘密警察の独房の壁に刻み込まれた祈りの言葉。これをポーランド人の作曲家が悲しみの交響曲に仕立てている。第3楽章の詞は民謡由来とはいえ、言葉にして紹介するのもためらわれるほど重く、悲しい。そこに付く音楽があんなにさらさらとスムーズできれいであることに、コマーシャルな要素ばかりを感じて落ち着かないのは、かつての大ヒットの記憶にとらわれすぎているということなのか、どうか。コショウスカの歌唱は、記憶の彼方にあるアップショウの清澄さとは一味違った土の香りを漂わせていた。

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「インタビュー取材に同行する編集者はICレコーダーを持参するが吉」です。

次の記事は「ニッポン代表vsオマーン代表@親善試合」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ