May 7, 2018

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018を振り返る その1

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018 東京芸術劇場
●今年から主催者側の体制が変わり、丸の内エリアと池袋エリアの2か所で並列開催されることになったLFJ。いろんなことが一新されて、新たに誕生したものもあれば失われたものもある。いうなれば音楽祭のメジャー・バージョンアップ。でもナント側でのLFJはなにも変わっていないわけで、コンテンツは同一だけど、ローカライズのあり方がバージョンアップしたと考えればいいのだろう。
●で、聴いた公演に関して言えば、とても楽しめた。体力的なことも考えて「朝から晩まで」と欲張らなかったのがよかったかも。初日は有楽町→池袋、二日目は有楽町、三日目は池袋。以下、特に印象的だった公演のみ備忘録的に。
●初日は、東京国際フォーラムの展示ホールで「題名のない音楽会」の収録があり大盛況。石丸幹二さんの人気ぶりを改めて実感。ルネ・マルタンも登場して、何人かのアーティストを次々と紹介してくれたが、いちばん目をひいたのはマリー=アンジュ・グッチ。なにを弾くのかと思ったら、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の終楽章と思しき曲を弾きはじめた。あの協奏曲、「トッカータ」というソロの曲として再利用されていたんすね。初めて聴いたかも。演奏後に一言求められて、なんと、日本語による自己紹介を敢行。日本で演奏することが決まったからと日本語を勉強してきたのだとか。まだ20歳。
●その後、池袋に移動して東京芸術劇場地下のシアターウエストで、そのグッチのリサイタル。ショパン、ラフマニノフと来て、メインはプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番。強靭な打鍵から透き通った音色が生まれてくる。キレも重みもあり、技巧は鮮烈、堅牢。アンコールにラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲から弾きはじめて、ついさっき有楽町で聴いたサン=サーンスと合わせて「今にも協奏曲を弾くぞ」感がひしひし。この人もあと何年かしたら「忙しくなってLFJを卒業するアーティストたち」の一員になってしまうのだろうか。ところでこの人の姓の綴りは Nguci で、だれも読み方がわからなかったのだが、2月のナント・ツアーで関係者が本人に確認したら「あの有名ブランドと同じ発音」ということで「グッチ」と日本語表記されることになった次第。
●二日目はたくさん聴いた。ホールCでベレゾフスキーとギンジンの巨漢デュオがバルトークの2台ピアノと打楽器のためのソナタを演奏(パーカッションは安江佐和子、藤本隆文)。合わせてラフマニノフの交響的舞曲もやはり2台ピアノと打楽器版で演奏されたのだが、これはどういう編曲なんでしょ。しかし恐るべきパワーを誇る大男たちでも打楽器の音量には打ち勝てないのであった。同じくホールCでラルス・フォークトは純然たる指揮者として、自身が音楽監督を務めるロイヤル・ノーザン・シンフォニアを指揮。室内オーケストラの機動力が生かされた清新で軽快なモーツァルトとストラヴィンスキー。ホールB5でルーカス・ゲニューシャスがヒンデミットの「ルードゥス・トナリス」全曲。これは強烈。くらくらとするようなニュアンスの豊かさとダイナミズム。LFJとしては長めの公演で、大曲を聴き切った満足感。譜面台にタブレットを置いて、フットスイッチでセルフ譜めくり方式。吉。アンコールにデシャトニコフの「ブコビナの歌」前奏曲を弾いて、小さな会場がわき上がった。夜はふたたびホールB5でルイス・フェルナンド・ペレスでアルベニスの「イベリア」全曲演奏のvol.1とvol.2。得意の「イベリア」とあって、圧倒的な熱量と官能性。最後はよれよれになりながらゴールのテープを切ったという風。ペレスはむらっけのある人だと思うんだけど、気持ちが乗ったときの攻めの姿勢は本当にすばらしい。この曲集にみなぎる怪物的ローカリズムとロマンにあらためて圧倒される。アンコールでモンポウの「子供の情景」より「庭の乙女たち」とソレールのソナタを一曲。夜遅くになったがお客さんは大満足だったはず。
●三日目、この日は唯一東京芸術劇場のコンサートホールで「0歳からのコンサート」が開催された。角田鋼亮指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団で、司会は中村萌子。これほど会場のすぐれた音響効果がものをいう公演もないと実感。東京国際フォーラムのホールAと比べると客席とステージの距離がはるかに近いことと、客席数が半分以下であることの相乗効果で迫力が増し、舞台と聴衆の結びつきがぐっと強まっていた。司会と指揮者のトークもよく客席の心をつかんでいて感心するばかり。しかも、コルンゴルトが11歳で書いたというバレエ「雪だるま」序曲とか、同じくコルンゴルトの「シュトラウシアーナ」とか、ツェムリンスキーの「時の勝利」からの3つのバレエ音楽から第3番とか、そんな珍しい曲も聴けてしまう。ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」で、音楽に合わせて子供たちがゾウさんのマネをするとかいう趣向なんかも、ストラヴィンスキーが草葉の陰でどんな顔をしているかと思うと実に痛快。そして公演を通して聞こえる大勢の赤ちゃんたちの泣き声ほど希望にあふれた環境音はなく、立ち上がって赤ちゃんを抱っこしてあやす親御さんたちの姿はこのうえなく眩しく、感動的な光景だった。

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「ベルリン・フィルの2018/19シーズン」です。

次の記事は「ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018を振り返る その2」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ