November 16, 2021

新国立劇場 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

新国立劇場 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
●15日は新国立劇場でワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(新制作)のゲネプロを見学。本番同様、2回の休憩を含めて合計6時間の長丁場。演出はイェンス=ダニエル・ヘルツォーク。ザルツブルク・イースター音楽祭とザクセン州立歌劇場、東京文化会館との国際共同制作で、新国立劇場と東京文化会館による「オペラ夏の祭典 2019-20 Japan ↔ Tokyo ↔ World」の第2弾なのだが、昨年6月に予定されていた東京での公演は中止になってしまい、今回ようやく上演が実現した。
●指揮は大野和士芸術監督。ピットに大野和士が音楽監督を務める都響が入るのが新鮮。ハンス・ザックスにトーマス・ヨハネス・マイヤー、エーファに林正子、ヴァルターにシュテファン・フィンケ、ベックメッサーにアドリアン・エレート、ポーグナーにギド・イェンティンス、ダーヴィットに伊藤達人。合唱は新国立劇場合唱団、二期会合唱団。非常に充実したキャストで、本番は期待してよいのでは。特にアドリアン・エレートのベックメッサーは評判を呼ぶと思う。
●イェンス=ダニエル・ヘルツォークの演出は賛否が分かれるはずだが、方向性としては筋が通っている。第1幕の幕が上がると、舞台奥にもうひとつの舞台があって、手前側には観客席が用意されている。この舞台内舞台で合唱団が衣装を着て歌っており、手前側にはスーツ姿の親方たちがいる。演出の設定として「劇場」が舞台となっている模様。ん、これもメタフィクション仕立てなのかと一瞬思うのだが、そうでもない。現代において昔ながらの靴職人や仕立て屋がいてもおかしくない場所が劇場である、といった程度に解した。設定を難しく受け取る必要はないと思う。第2幕では回り舞台が効果的に使われて、ザックスの家や屋外などスムーズに場面が転換する。しかし、現代において「マイスタージンガー」の物語がはたして成立するのかという根本的な問題がある。歴史劇としてならともかく、今の物語として見れば親方たちの価値観に共感するのは難しい。その点についてヘルツォークなりの答えが用意されている。まだ本番前なので、具体的にはまた後日改めて。
●「マイスタージンガー」は音楽的には空前絶後に最高なんだけど、物語内世界と現代的価値観の衝突、そして長時間座ることによるお尻の痛さという点で観る側にとってもチャレンジングな作品。でもやっぱり観てよかったと思えるし、心底楽しめる(ゲネプロであっても)。このオペラって、言うべきことは第2幕であらかた言ってると思うんすよね。第2幕、夜になってみんなが自分を見つめ直して、少しクレイジーになる。ポーグナーは自分の決断が正しかったのかどうかわからなくなる。ザックスはヴァルターの歌をどう受け止めればいいのか考えこむ。そして、エーファはザックスに会い、一歩踏み込んで思いを吐露する。今回の演出ではエーファのザックスに対する心理的な距離の近さも自然と表現されている。ザックスは世のすべてのオッサンと同様に本質的にカッコ悪い存在だと思うのだが、第3幕で「トリスタンとイゾルデ」の引用を伴って語るように「マルケ王にはならない」賢明さだけは持ち合わせている。そんな互いの間合いを計るような微妙なやり取りから、ベックメッサーの登場を通じてドリフのコント並みのドタバタ劇へとなだれ込んでゆく。この手腕は神技。音楽もここがいちばん楽しい。第3幕は長い長いエピローグみたいなもの、と言っては言いすぎか。

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