August 2, 2023

トーマス・ダウスゴー指揮PMFオーケストラのブルックナー9番補筆完成版

●1日はサントリーホールでトーマス・ダウスゴー指揮PMFオーケストラ。世界中から集まった若いアカデミー生たちによるオーケストラが、札幌での公演を終えて、パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)の締めくくりとして東京にやってきた。今回のPMFには22の国と地域から74人が参加したそう。前半がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(金川真弓)、後半がブルックナーの交響曲第9番(第4楽章SPCM補筆完成版)。ブルックナー9番の補筆完成版は以前にラトル指揮ベルリン・フィルの演奏を録音やDCHで聴いたが(→過去記事)、ライブでは初めて。よもやアカデミー生のオーケストラでこれを聴くチャンスが訪れるとは!
●前半は小泉&都響でも聴いた金川真弓のメンデルスゾーン。つややかな音色で情感たっぷり。オーケストラは予想以上にまとまっていて、温かみのあるコクのあるサウンド。後半のブルックナーでは一気に大編成になったこともあり、サウンドの方向性は曖昧になり、全体に粗削りになってしまった感は否めないが、ダウスゴーの棒のもと、若者たちの意欲と真摯さが伝わる力強いブルックナーを披露してくれた。ダウスゴーは第1楽章から速めのテンポで、緩急をかなり動かしつつも、前へ前へと進む。第4楽章まであるという前提で作品を見つめ直すとこうなるのかも。第3楽章で終わる作品だと思うと、なんとなく全体を「緩─急─緩」でとらえて、第1楽章に幽玄さみたいなものを求めてしまうのだが、この曲がベートーヴェン「第九」リスペクトな4楽章のニ短調交響曲だと思うと、第1楽章はダウスゴーみたいなテンポ感で嵐のように突き進む峻厳な音楽であるのは納得。そこからスケルツォ、アダージョと続いたとき、アダージョは消え入るような彼岸の音楽ではなく、続く壮大なフィナーレへの入口へと導く音楽であるべきなのだろう。実際、ダウスゴー指揮のアダージョに「ここで終わってもいいのでは」とはぜんぜん感じなかった。
●で、補筆完成された第4楽章だが、これが物議を醸すのは当然だと思う。ラトルの録音が出たとき、何パーセントだったか、ほとんどはブルックナーの草稿にもとづくもので、想像以上に真正性は高いのだというような話を聴いた記憶があるけど、どんなに草稿を探し出しても、最後はどこかで芸術的な創造性が求められるはず。でも、その点でもこの補筆完成版はかなりいい線まで行っているんじゃないだろうか。作品の構成要素が不足して薄くなっていたり、つながりが不自然だったりするところはあるけど、このうえもなく美しい瞬間もたびたび訪れていて、これを「なかったことにする」のはあまりに惜しい。なにより終楽章があることで、前の3楽章の聴き方が変わる。イタコにブルックナーの霊を呼び出してもらうことができない以上、この曲は後世の人間が少しずつ知恵を寄せ合って、ガウディのサグラダファミリアみたいに作り続けるしかないのかも。