amazon
January 17, 2024

川口成彦(フォルテピアノ/ピアノ) 東京オペラシティ B→C バッハからコンテンポラリー

●16日は東京オペラシティのリサイタルホールでB→C(ビートゥーシー)川口成彦(フォルテピアノ/ピアノ)。早々に完売の人気ぶり。このシリーズ、凝ったプログラムが用意されることが多いけど、そのなかでも際立っておもしろいと思った。奏者はひとりだけど、楽器は4台。クリストフォリ1726年(久保田彰復元)、ジルバーマン1746年(久保田彰復元)、ワルター1795年(クリス・マーネ復元)という3台のフォルテピアノとモダンピアノを弾き分ける(ピッチはすべて異なる)。で、モダンピアノは20世紀作品に使用されるのみで、現代曲の3曲はフォルテピアノのための作品。しかも3曲それぞれ違った楽器を用いるという趣向。
●前半がジュスティーニのソナタ イ長調op.1-8、バッハのイタリア協奏曲および「音楽の捧げもの」から3声のリチェルカーレ、J.C.バッハ「バッハの名による半音階的フーガ」ヘ長調、モーツァルト「前奏曲とフーガ」ハ長調K394、後半がカゼッラ「バッハの名による2つのリチェルカーレ」、オネゲル「バッハの名による前奏曲とアリオーソとフゲッタ」、杉山洋一「山への別れ」(2021)、フランク・アグステリッベ「パウル・クレー」(2013)、フルヴィオ・カルディーニの前奏曲とトッカータ「春の始まり」(2024、川口成彦委嘱作品、世界初演)。バッハ、そしてイタリアを軸とした時空を超える音楽の旅。たくさん楽器はあるけど、どれもピアノであってチェンバロではない。バッハ作品もフォルテピアノ(ジルバーマン)で弾く。強弱を前提とした表現になっているのと、フォルテピアノの音色の多彩さが生かされていたのが印象的。前半の曲目では最初のジュスティーニが知らない曲だったんだけど、ピアノのために書いたと明記して出版された初めて作品なのだとか。バッハと同年生まれの作曲家ながら作風は前古典派風で、むしろ息子のJ.C.バッハ寄りというか。そしてJ.C.バッハの「バッハの名による半音階的フーガ」がJ.C.バッハっぽくない曲。というかBACH主題を使うと必然的に半音階的で陰鬱なムードになるのでそうなってしまうのか。
●後半、カゼッラとオネゲルのBACH主題の曲がモダンピアノで演奏されて、前半からの流れで聴くとモダンピアノの音色にレトロフューチャーなテイストが感じられるのが新鮮。懐かしの20世紀。おしまいの3曲がフォルテピアノのための現代音楽という新たな領域を切り拓く。杉山洋一「山への別れ」、印象をキーワードで書きとどめるなら、歩く、孤独、ノスタルジア。アグステリッベ「パウル・クレー」は楽譜が会場に展示されていて、譜面そのものがクレー的。おしまいのカルディーニ「春の始まり」はポストミニマル風のスタイルで書かれており、反復的な曲想とフォルテピアノの音色の相性のよさを発見。疑似電気楽器的(?)な錯覚があるというか。明るいムードでプログラムを閉じたのもよかった。アンコールは2曲。まずはワルターを使用してアルベニスの「旅の思い出」より第6曲「入江のざわめき」。アルベニスのピアノ曲にはギター風の表現がよく出てきて、実際この曲もギター編曲で演奏されたりするわけだけど、これがフォルテピアノだとすっごくギター感が出てくる。もう一曲はバッハの協奏曲ハ長調BWV976よりラルゴ。
●BtoC、オーケストラの公演なんかに比べるとだいたい客席は若いんだけど(特にCの成分が多いと)、この日は年配の方も多く、老若男女問わずといった様子。奏者のファン層がそれだけ幅広いということなのか。プログラムノートに川口さんが、現代音楽においてチェンバロが大きく注目された20世紀に対して「21世紀はフォルテピアノの世紀」と予感すると書いていて、なるほどと思った。