Books: 2004年12月アーカイブ

December 8, 2004

「泳いで帰れ」(奥田英朗著/光文社)

泳いで帰れ●小説だけじゃなくてエッセイもたいへんにおもしろいんである、この方は。「小説宝石」に掲載された『「野球の惑星」日本代表観戦記(アテネ・前後編)』を「泳いで帰れ」と改題して単行本化。あのアテネでだれも予想していなかったところで敗退してしまった長嶋ジャパンを追いかけつつ、五輪という大運動会をきわめてまっとうなスポーツ・ファンの視点で眺めている。笑いどころ満載(おっさんノリだけど)。
●が、笑いのなかにも批評性あり。スポーツ・ファンとして現場で各国のファンと共有できるものは多い一方で、試合や競技そのものと日本のメディアが作り出す予定調和的な人間ドラマ・スポーツ主義が救いがたく乖離している様子など、よく伝わってくる。野球がテーマなんだが、サッカーにもかなり通じるものがある(2002年のW杯とか)。
●たとえば、長嶋ジャパンに向かって「感動をありがとう」のボードが掲げられたときに抱く野球ファンの失望。容易に想像可能。野球に限らずスポーツ・ファンはいつもこういうのに歯軋りしながら、だれに向かってかわからないが「ゴメン、これ、そういうんじゃないから、ホントは違うから」と心の中で必死に釈明しているもんである。
●とか言いながら、本筋とは無関係にウケたところを引用してしまうのだ。日本がカナダ相手に送りバントを繰り返しつつ大量点で勝利して銅メダルを獲得したその日、試合後にアテネのコリアン・レストランに入った場面。

 隣のテーブルに、絵に描いたような大手広告代理店の日本人二人連れがいて、非常にうるさい。一秒たりとも黙っていない。業界人のこのテンションの高さは何なのか。沈黙がそんなに怖いのか。関係者でいることがそんなにうれしいのか。
 などという八つ当たりを心の中でしながら、ビールを追加。こっちは口を利く元気もない。

●あー、しみじみ。笑。

December 7, 2004

「街場の現代思想」(内田樹著/NTT出版)

街場の現代思想●あまりにすばらしすぎて、再読しようと思ったために紹介し損ねていたのだが、やっぱりオススメしておきたくなった→「街場の現代思想」(内田樹著/NTT出版)。内田氏の他の著作同様、社会の仕組みを解き明かし、人はどういう生き物かを説き、どうやってワタシらは生きりゃいいのさってことを豊かな洞察力で教えてくれるわけだが、しかしそれらとは別にクラヲタ的に決して見逃せない一章がある。第1章「文化資本主義の時代」。
●この章では日本に新しい階層社会が誕生したことが述べられている。学歴でも年収でもない、文化資本の有無による階層であり、さらに「家庭」で習得した身体的な文化資本と、「学校」で習得した後天的な文化資本の質的な違いに着目し、その両者の決定的な差を指摘する。

ブルデューの卓抜な喩えを借りて言えば、「血統による文化貴族」は自分の見た映画に出てきた俳優の名前を記憶し、「学校による文化貴族」は自分が見たことのない映画の監督の名前を記憶する。前者は「経験」をたいせつにし、後者は「知識」を「経験」に優先させる。「作品そのものを熟視することをおろそかにしても作品について語ることを優先させ、感覚を犠牲にしても訓練を重んじる」こと、それが、「学校による文化貴族」の「馬脚」なのである。(「街場の現代思想」~第1章「文化資本主義の時代」)

●どうですか、この気持ちよい辛辣さ。ここでバッサリと斬られている「学校による文化貴族」は(実際には学校ではないが)、つまりわれわれクラヲタのような人々のことを言っている。ブルデューの喩えなんてまさにそうで、これほどヲタ気質を見事に説明した言葉はない。ヲタク性と「生まれつきの文化貴族」とは激しく対立する概念である。では血統による文化貴族ではない人々、文化資本に恵まれない人(教養がない人)は屈辱に耐えながら生きていくしかないのか、という疑問を持った方はぜひこの本を読んでみてほしい。目から鱗がポロポロ落ちる(と願う)。

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