Books: 2009年6月アーカイブ

June 17, 2009

「夜想曲集~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(カズオ・イシグロ著)

カズオ・イシグロ「夜想曲集」●予約して発売日にゲット、すぐ読んだ。カズオ・イシグロの最新刊「夜想曲集~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(早川書房)。短篇集だが、それぞれ題材はある程度共通している。副題にあるように「音楽」と「夕暮れ」をめぐるわけだが、言い換えれば「ミュージシャン」と「(夕暮れを迎えた)夫婦」がテーマ。あとドロップアウトした(しつつある)若者/元若者。
●「美しく切ない物語」みたいな意匠の中に、可笑しくて苦い真実を描くという点では、カズオ・イシグロのほかの長編と同じ。5つの作品の内、特に感銘を受けたのが「モールバンヒルズ」と「チェリスト」。別に「ネタバレ」を気にするような話じゃないけど、これから読もうという方は以下は読後に目を通したほうがいいかも。
●「モールバンヒルズ」の題からエルガーを連想する方は鋭い。ギタリスト志望の若い主人公が、ロンドンを離れてモールバンヒルズのカフェで働いていると、スイスからの観光客の夫婦に出会う。ダンナのほうは上機嫌だ。

「エルガーについてのいいドキュメンタリ映画を見ましてね、それからずっと来たいと思っていました。エルガーはモールバンヒルズが大好きだったのでしょう? 隅から隅まで自転車で走り回った、とありました。そして、私たちもついにここに来た」

 ダンナは休暇を楽しむ観光客にふさわしい快活な態度で「イギリスはすばらしい国」「みんな親切」と喜んでいる。でも奥さんのほうはずっと不機嫌。ひょんなことから、二人は実は音楽家だとわかる。といっても、コンサートホールの舞台に立つ音楽家ではなく、観光地のレストランで民族衣装を着て演奏して、お客を喜ばせるような仕事だ。主人公から「どんな音楽をやるんですか」と問われて、ダンナは「一番やりたいのはスイス民謡で、これを現代風にアレンジしてやる。時には過激にアレンジする。ヤナーチェクとかヴォーン・ウィリアムズからインスピレーションを受けることが多い」みたいなことをいうが、奥さんは「でもいまはあまりそういう音楽は、やらないわね」という。実際にはビートルズやカーペンターズとかABBAをやってるわけだ。口では尖がったオリジナルの音楽をやりたいとかいってても、レストランで演奏できるのはみんながよく知ってるヒット曲。そう、それが仕事というものの現実だろう。
●ダンナはなんだって物事をポジティブに捉えて喜ぶ。人生、物事は万事喜びを持って向き合えば喜ばしいものになるし、つまらないと思えば本当につまらなくなる、そういう価値観。これはまあ本当にその通りなわけだ。ワタシのような根っからネガティブな人間ですら、実はそう思っていて、さほどぱっとしないレストランでも「おいしいねえ」と言えば本当においしくなるし、ありきたりの観光地の風景でも「これは見事だ!」と言えば本当に見事になると知っている。そうせずにどうやって生きろと? おそらく奥さんのほうもそうやってダンナと喜びを共有してきたのだろう。でも「夕暮れ」を迎えて、もうそのダンナの「僕はラッキーだ」についていけなくなった。だって、そうしていっしょに暮らしてきたら、若い頃の志はどこへやら、あちこちの観光地のレストランでビートルズやABBAを演奏するばかりだし、たまに休暇をとっても冴えないカフェとかみすぼらしい民宿に甘んじてるわけで、それでもダンナは「僕はラッキーだ」って言い張ってる。はぁ、あたし、もう人生に疲れてきたわ……。
●カズオ・イシグロが巧いと思うのは、この夫婦を若い主人公の視点から描いているところ。この主人公は才能も野心もあるし、カバーバンドなんかやる気はなくてオリジナルの曲を作ってる。でもまちがいなく大人になったら、このダンナと同じになるよ、っていう話なわけだ。真実すぎる……。
●「チェリスト」も傑作。音楽家志望の若者は必読(笑)。若いチェリストが謎の女教師に出会い個人レッスンを受ける。女の批評は恐ろしく辛辣だが的確で、若者はレッスンにのめり込み、「生涯でこれほどうまく演奏できたことはない」と思うほど、成長する。で、どうなったかというと、不機嫌で凡庸なオヤジになったという話。イジワルだが、かなりコミカル。女教師に爆笑。

文庫化されました(2011年2月)。

June 12, 2009

「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」(広瀬大介著)

「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」●これは大変な力作。あと少しで読み終えるところなのだが、「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」(広瀬大介著/アルテスパブリッシング)が実におもしろく、ためになる。副題に「『無口な女』の成立史と音楽」とあることからもわかるように、この本はシュトラウスの後半生、それも台本作家ホフマンスタールを失った後についての研究書である。
●R.シュトラウスというと、一番人気のあるのは若き日に書かれた交響詩群だろう。オペラを聴かない人はもっぱらこのあたりを聴く。で、オペラ好きであれば、後の「サロメ」や「ばらの騎士」も聴く。うまくいけば「影のない女」や「アラベラ」も聴くだろう。が、シュトラウスは長寿なんである。「アラベラ」の後もまだまだ生きて、作曲も続けている。「英雄の生涯」とかを書いてた頃は19世紀だったのに、「無口な女」を書く頃にはもうナチスが台頭している!
●で、ワタシなんかにとっては、「アラベラ」より後のシュトラウスというのは、ところどころ見えてるところもあるけど、全体としては光の差し込まない鬱蒼とした森みたいなもので、特にシュトラウスの生涯、その社会背景といったものについてはさっぱり見えていなかった(世界が激動していた時代なのに)。それがこの本を読んで、ぱっと一気に明るく見通せるようになったような気がする。
●特に興味深かったのが第2章と第3章にかけての、シュトラウスとツヴァイク、そしてシュトラウスとナチ政府の関係。ツヴァイクはあの「マリー・アントワネット」の作者として知られていると思うが、ツヴァイクとシュトラウスの往復書簡に加えて、ツヴァイクとロマン・ロランとの往復書簡も残っていて、ツヴァイクのシュトラウス観、驚くほど確かな音楽観といったものもうかがい知れる。シュトラウスとナチスとの関係についても知らなかったことだらけで(特にゲッベルスとのやり取り)、これを読んでいなかったらうっかりするととんでもない誤解をしかねなかったなと思うところ多々あり。
●この「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」は、もともと広瀬大介さんが博士論文として執筆されたもの。ミュンヘン大学に留学し、現地で一次資料をはじめとする多くの資料・文献に触れた著者にしか書けない本であり、広瀬さんのシュトラウスへの情熱や見識が300ページ以上にわたってぎっしりと詰まった好著である。でも研究書として立派だっていうこと以上にワタシが感心したのは、この本が実に読みやすく、読み手に対して「読書の楽しみ」まで与えてくれるところ。一ページ読んだら、次にどんなことが書かれているか、その先の一ページを読みたくなる。おもしろい本を読み慣れている方は「そんなのフツーじゃん」って思うかもしれないけど、そういう音楽書は決して多くはないし、書き手の側に立てば、これは全身全霊を尽くして一種の奇跡を起こしてようやく実現できることだと思う。

June 10, 2009

とりぱん 7 (とりのなん子)

「とりぱん 7」●今回も好調。「とりぱん」第7巻(とりのなん子/講談社)。前巻も思ったんだけど、初期の頃よりマンガとして進化してる気がする。「庭のエサ台に鳥が来てかわいい!」的なところから、東北地方都市のナチュラル田舎暮らしの身辺雑記ネタまで、猛烈に楽しい。今回は虫ネタが冴えてて、「野菜に付いてた弱ってるトンボ」の話は何度読んでも笑える。あまりにおもしろくて、つい前巻、前々巻と読み返してしまって寝不足に。
●あと感動したのが、バリケンが初登場したこと。バリケンって言ってもあまり通用しないだろうが、アヒルよりでかくて羽が白と黒で顔が赤いという南米産家禽で、視覚的なインパクトが相当ある。実はこいつはワタシがよく行く公園にも一羽生息していて、いつも見かけるおなじみさんなのだ。↓こんな鳥で、割とオッサンくさい感があると思う。
bariken.jpg
●こいつはもう年なのか、「とりぱん」で登場したヤツほど活動的ではなく、おおむねいつもジッとしている。たまに妙に元気になってあちこちウロウロすることもあるが、ほとんどはこの姿勢で思索に耽っており、「やぁ!」と挨拶をしても特に反応はない。

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