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Books: 2020年10月アーカイブ

October 19, 2020

「パヴァロッティとぼく」(エドウィン・ティノコ著/アルテスパブリッシング)

●味わい深い一冊だった。「パヴァロッティとぼく アシスタント『ティノ』が語るマエストロ最後の日々」(アルテスパブリッシング刊)。著者はパーソナル・アシスタントとして、晩年のパヴァロッティの身近にいて、信頼されていた人物。もともとは、ペルーのリマにある5つ星ホテルのボーイだったのだが、宿泊したパヴァロッティが気に入って「自分のために働かないか」と声をかけた。これがきっかけで、オペラも聴いたこともなくリマから外に出たこともなかった若者が、パヴァロッティ・チームの一員として日々世界中を駆け回ることになる。パヴァロッティともなると、いつどこに行くにも大勢の人を引き連れてチームで行動する。当初は雑用係にすぎなかった著者は、パヴァロッティの絶大な信頼を得て、最後にはほとんど看護師のような役割まで担っている。著者には遺産50万ドルが遺された。これはパヴァロッティ本ではあるのだが、ホテルのボーイのシンデレラストーリーでもある。
●パヴァロッティはある頃からオペラ歌手の枠を超えて、スーパースターとしてショービジネスの頂点に君臨することになってしまった。だから、その振る舞いは完全に「王様」。たとえば、ホテルに宿泊するときは単に豪華なスイートを用意すればいいというものではない。パヴァロッティの巨体に合わせてキッチンを改造しなければならない。冷蔵庫も大型のものに交換しなければならない。ここに食材をいっぱいにつめて、みんなをパスタでもてなすのがパヴァロッティの流儀。オリーブオイルはモニーニ、ガーリックパウダーはマコーミック、炭酸水はペリエ、水は4度以下に冷やしたエヴィアンなど、細かな条件が決まっていて、チームは常にパヴァロッティが思い通りに過ごせるように気を配らなければならない。トランプを用いたカードゲームが大好きなので、これに付き合うのもスタッフの仕事(原則として、パヴァロッティが勝つことになる)。ベッドルームやバスルーム、プールサイドなどにも、なにを置いておかなければいけないか、ぜんぶ決まっていて、パヴァロッティは全世界どこに行っても同じように過ごせるようになっている。何十個ものスーツケースで移動し、空港ではいつも特別待遇。つまり、パヴァロッティは王様。この本に書いてあるのは、固い絆で結ばれた主君と従者のストーリーなんである。したがって、パヴァロッティは称賛されるのみ。かつて、マネージャーだったハーバート・ブレスリンが「王様と私」という暴露本(と言われるが、実はとてもためになる本)を書いているが、あちらがスーパースターの光と闇を描いているとすれば、こちらはもっぱら光のほうに目を向けている(ブレスリン本に対する批難も出てくる)。
●で、この本でなによりも印象的だったのは、パヴァロッティがいかに愛されているかを記した本でありながら、逆説的に彼の孤独が浮き彫りになっているところ。常にチームのメンバーや仕事仲間たちに囲まれているパヴァロッティなんだけど、裏を返すとほぼ全員がビジネスで結びついている。本人は家族を大事にしたいと思っていたはず。でも映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」(ロン・ハワード監督)などでも描かれていたように、現実はそうなっていない。最初の奥さんとの間に3人の娘をもうけ、愛人を作り、その後、68歳になって本書にも出てくる20代のアシスタントと再婚する。最初の奥さんとの間に生まれた娘たちが父親に対して手厳しい見方をするのも無理からぬところ。もしパヴァロッティが歌うことを止めたら、いったいだれが彼のもとに残るのか。王様が王様でいるためには巨額のマネーを稼ぎ続かなければならない。カードゲームに夢中になって興じていたが、相手が手加減をしていることは本人だってわかっていただろう。王様は寂しい。

October 8, 2020

「その裁きは死」(アンソニー・ホロヴィッツ著/創元推理文庫)

●どれを読んでも練りに練った秀作ぞろいのアンソニー・ホロヴィッツ。最新刊「その裁きは死」(創元推理文庫)を読んだところ、これも大変よくできたミステリー。「メインテーマは殺人」に続いて、元刑事の探偵ホーソーンと著者自身が、ホームズ役とワトソン役になってコンビを組む。なにしろ著者はコナン・ドイル財団公認のもと、シャーロック・ホームズ・シリーズの新作を書いているくらいなのだから、ホームズへのリスペクトも相当なもの。しかしこの現代において、ホームズのような古典的ミステリをそのまま書くわけにはいかない。そこで、ワトソン役に自分自身を抜擢して(?)、実在の人物や現実世界の出来事を小説内に登場させるというメタフィクション風の手法がとられている。
●凝ったミステリのトリックに依存せず、小説としておもしろい。ホームズ役のホーソーンに粗野で図々しい人物像を設定しているのがいい。嫌なヤツが何人も出てくるけど、みんなそれぞれに魅力を放っている。著者はテレビの仕事もたくさんしていて、NHKでも放送された「刑事フォイル」の脚本家でもあって、その撮影シーンも出てくる。ジュブナイルのシリーズで大当たりをとって、テレビの仕事もバリバリとこなす「商業的な作家」である著者が、高尚な作品を書く日本生まれの女性作家に小説内で邪険に扱われる。このあたり、いかにもありそうで、本当に可笑しい。でもテレビで鍛えられている人だからこそ、入り組んだ話でもすっきり見通しよく書けるんだと思う。技術の高さ。

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