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Books: 2021年12月アーカイブ

December 15, 2021

「ラドゥ・ルプーは語らない。──沈黙のピアニストをたどる20の素描」(板垣千佳子編/アルテスパブリッシング)

●「ラドゥ・ルプーは語らない。──沈黙のピアニストをたどる20の素描」(板垣千佳子編/アルテスパブリッシング)を読んだ。決してインタビューを引き受けないピアニスト、ルプーの本がまさか刊行されるとは! 書名にある通りルプー自身はなにも語らないのだが、その代わり、ルプーの近くにいた大勢の音楽家や関係者がルプーについて語っているのがこの一冊。シフやマイスキー、バレンボイム、ウェルザー=メスト、イッサーリスなど、20人のインタビューまたは寄稿が収録されている。もちろん、おもしろい。他人が語るっていう形式が成功している。いろんな人がそれぞれに持っているルプー伝説を披露する持ち寄りパーティーみたいなところがあって、意外と小さなエピソードにぐっと来たりする。
●早々とレコーディング活動を止めてしまった人ではあるけど、自分はやっぱりレコーディング関係の逸話がどれも興味深かった。ルプーはレコーディング嫌いなんだけど、やるとなったら完璧を目指す。チョン・キョンファによると、レコーディングができたのはデッカの名プロデューサー、クリストファー・レイバーンのおかげ。彼のもとで、同じデッカのアーティストであるチョン・キョンファとルプーは一緒にレコーディングをすることになった。で、フランクとドビュッシーを録音したわけだけど、ふたりとも出来ばえに納得できず、リリースを拒否してしまう。まあ、それだけでもびっくりなんだけど、3年経ってから、あるときレイバーンがふたりをスタジオに呼び出して、黙ってこの録音を聴かせる。で、ふたりにどう思うかを尋ねたら、悪くないねということになって、お蔵入りを免れたそう。もうひとつ見逃せないのは、デッカのディディエ・ド・コッティニーの話で、ルプーを説得していくつかのレコーディングを実現したんだけど、シューベルトのソナタ2曲(第17番D850と中期のどれか)だけは本人が気に入らなくて世に出なかった。で、ルプーはデッカにレコーディング・セッションの経費をぜんぶ払って権利を買い取ったって言うんすよ! いやー、すごい話だ。そして、今とは違ってレコード産業が絶大な力を持っていた時代ならではのエピソードだとも感じる。
●あと、なにがスゴいって、この本は翻訳書じゃないんすよ。編者の板垣千佳子さんが20人の証言を集めた日本オリジナル。英語圏の人が読めなくて、日本語圏の人が読めるルプー本がある! 板垣さんはかつてKAJIMOTOで長年にわたりルプーの担当マネージャーを務めた方。ルプーに心酔し、もちろんルプー本人の許諾をとってこの本の出版にこぎつけた。これはよほどの熱意がないとできないこと。


December 3, 2021

シェイクスピア「ハムレット」の対決シーン

●シェイクスピア作品を題材とした名曲は数多いが、意外と有名曲に恵まれていないのが「ハムレット」だと思う。「ロミオとジュリエット」「マクベス」「夏の夜の夢」などはオペラでも器楽でも有名作品があるのに対し、「ハムレット」はこれといった人気作がない。作品が書かれていないわけではなく、オペラであればトマの「ハムレット」、器楽曲ならチャイコフスキーの幻想序曲「ハムレット」、リストの交響詩「ハムレット」、ショスタコーヴィチの「ハムレット」等々、数はたくさんあるのだが、どれも人気曲とは言いづらい。「生きるべきか死ぬべきか」とか「尼寺へ行け!」などオペラ化すれば名場面がいくつもできそうなものではあるのだが。ちなみにトマのオペラ「ハムレット」は結末が原作と違っていて、ハムレットが生き残って王位に就いたりするそうなのだが、この話でいくらなんでもそれはないだろうという気はする。
●で、先日「ハムレット」(松岡和子訳/ちくま文庫)を読んでいて、なんとなく釈然としなかったのが終場でハムレットとレアティーズが剣術試合をする場面。レアティーズはひそかに切っ先に毒を仕込んでおり、これでハムレットを刺すわけだが、その後、「もみ合ったあと、二人の剣が取り替わる」場面があって、今度はハムレットがレアティーズを刺す。毒が回るまでの間にレアティーズは真相を明かし、ハムレットは王を殺して復讐を果たす。でも「剣が入れ替わる」ってどういうことなんすかね。文字で読むともうひとつイメージがわかない。
●そこで実際の上演ではどう処理しているのかなと思い、YouTubeで丸ごと観られるハムレットを検索して、該当箇所を見てみた。以下の映像だと、ハムレットがレアティーズに背後を取られた後、自分の剣を落としてレアティーズの手から剣をもぎ取って、その後、落とした自分の剣をレアティーズに渡すという形になっていた。どうなんだろう、こういう流れって剣術としてありうるのかな……。なんか背後を取られるのが不自然な気もするけど。別の映像では両者とも剣を落としてしまい、ハムレットがたまたまレアティーズの剣を拾い、もう一方を相手に渡したというパターンもあった。演出次第なんだろうけど、動作として自然で、なおかつ観客に剣が入れ替わったことを明確に伝えるのはそれなりに工夫がいるのかも。

December 1, 2021

「おばちゃんたちのいるところ」(松田青子著/中公文庫)

●「おばちゃんたちのいるところ」(松田青子著/中公文庫)が世界幻想文学大賞の短編集部門を受賞。すごい! 慌てて読む。タイトルがモーリス・センダックの絵本「かいじゅうたちのいるところ」に引っかけてある。「皿屋敷」とか「八百屋お七」とか「お岩さん」といった日本古来の怪談が現代日本風にリミックスされているのだが、いちばんおかしかったのは「エノキの一生」。元ネタの怪談「乳房榎」を自分はよく知らなかったにもかかわらず、大いに楽しんだ。というか、この短篇集を英訳で読んだ人たちはほとんどの元ネタを知らないはずで、それでも強烈に引き付けられるなにかがあったことになる。傑作とはそういうものなんだろう。
●このなかではやや毛色が異なる「菊枝の青春」もよかった。「皿屋敷」が元ネタなんだけど、姫路で雑貨店を営む主人公の菊枝が、メーカーから納品された十枚セットのお皿の数を「一枚、二枚……」と数えるんだけど、九枚しか入っていないという場面から話が始まる。納品書を確認して、うーん、一枚足りないっていう。笑。
世界幻想文学大賞、受賞作でも日本語訳がない作品もいっぱいあるので、こうして受賞作を原語で読めることに新鮮な感動を覚える。まあ、過去には村上春樹「海辺のカフカ」も受賞しているのだが。過去の受賞リストを眺めてみたら、自分が読んだことのある本はけっこう古い作品が多かった。傑作として印象に残ってるのはロバート・マキャモン「少年時代」(1992)、マイクル・ムアコック「グローリアーナ」(1979)、チャイナ・ミエヴィル「都市と都市」(2010)あたり。短篇部門受賞作のアヴラム・デイヴィッドスン「ナポリ」(1979)は、殊能将之編の「どんがらがん」に収められているんだけど、あれってワタシは意味がわからなかった。他人の解説を読んでもなおピンと来なかった名作として、妙な形で記憶に残っている。

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