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Books: 2023年7月アーカイブ

July 31, 2023

「新訳 オセロー」(シェイクスピア著/河合祥一郎訳/角川文庫)

●先日、チョン・ミョンフン指揮東京フィルのヴェルディ「オテロ」(演奏会形式)を聴いたので原作を新訳で。「新訳 オセロー」(シェイクスピア著/河合祥一郎訳/角川文庫) 。ヴェルディの「オテロ」(台本を書いたのはボーイト)が、オペラ化にあたって原作からなにをそぎ落とし、なにを残しているのか。基本的にオペラ化は「削ること」。「オテロ」では、シェイクスピアの「オセロー」第1幕がごっそり削られ、それに伴ってデズデモーナの父ブラバンショーという登場人物をひとり省くことに成功している。
●原作の第1幕でのイアーゴーとブラバンショーの会話は実におもしろい。ブラバンショーにとって娘デズデモーナがムーア人のオセローと結婚するなどということは到底受け入れられないこと。しかも肌の色だけでなく、年の差もかなり開いている。イアーゴーはロダリーゴーとともに真夜中にブラバンショーの家に行き、「泥棒だ、泥棒だ!」と叫ぶ。騒ぎを聞きつけたブラバンショーに、イアーゴーはこう言い放つ。

たった今、まさに今、老いた黒羊があんたの白い雌羊にまたがってる。起きろ、起きろ、いびきかいてる街の連中を鐘撞いて叩き起こせ。さもなきゃ悪魔の孫が生まれちまうぜ。

オセローが「老いた黒羊」と表現されているが、彼が年をとっていることはたびたび言及される。さらにこんなセリフも続く。

娘さんがアフリカ産の馬にやられていてもかまわないんですね。まごまごしていると孫がヒヒンと鳴いて、馬の親戚ができちまいますよ!

ブラバンショーは娘が「ヴェニスの裕福な巻毛の美男子たちの縁談を断り」、ムーア人と結婚して世間の物笑いの種になるのだと嘆き悲しむ。
●イアーゴーはセリフで自分が28歳であると述べる。本書の注釈では、初演時にイアーゴーを演じた役者の年齢に合わせたのだろうと推察されている。オペラでは「純粋なる悪」のようなイアーゴーであるが、原作の第1幕では彼が人間の意志と理性を尊ぶ人物であることが以下のように描かれている。オセローのような激情家とは正反対なのだ。

性格だと? くだらん! 自分がどういう人間か決めるのは、自分次第だ。俺たちの肉体は、俺たちの意志が種を蒔く庭みたいなもんで、イラクサを植えようと、レタスを蒔こうと、ハーブを育てようと、タイムを引っこ抜こうと(中略)それを思い通りにする力は俺たちの意志にある。人生っていう天秤にはな、本能が載った皿と釣り合ってもう一方の皿に理性が載ってなきゃ、くだらん肉欲のせいでとんでもないことになっちまう。だが、人には理性があって、猛り狂う衝動や性欲や奔放な情欲を抑えるんだ。

●人間の理性をとことん信奉するイアーゴー。そんな男がなぜ悪事に走るのか。第1幕、イアーゴーにはこんな独白がある。

俺はムーアが憎い。世間じゃ、やつが俺の女房の布団にもぐりこみ、俺の代わりを務めたという。本当かどうか知らんが、こういうことにかけちゃ、俺は単なる疑いでも許しちゃおかない。

えっ、そうなんだ。さらに、第2幕ではこんなことも言っている。

キャシオーも俺の寝巻きを着たらしいからな。

つまり、イヤーゴーはオセローにもキャシオーにも妻エミーリアを寝取られている(と少なくとも本人は思っている)。イヤーゴーは理性の信奉者なのに、周りの人間は奔放な人間ばかり。最後の場面で、エミーリアがイヤーゴーの悪事を明るみに出すと、イヤーゴーはエミーリアを刺す。オセローとイヤーゴーはともにそれぞれの妻を殺し、また妻を寝取られたと思っている。これは理性の男と激情の男がまったく同じ運命をたどる話なのだ。

つづく

July 20, 2023

「サッカー監督の決断と采配 傷だらけの名将たち」(ひぐらしひなつ著/エクスナレッジ)

●これは良書。サッカーの監督について記した本はたくさんあるが、その多くはメディアを賑わせる超エリート監督たちについて。が、「サッカー監督の決断と采配 傷だらけの名将たち」(ひぐらしひなつ著/エクスナレッジ)でとりあげられているのは田坂和昭、木山隆之、北野誠、吉田謙、小林伸二、石崎信弘、片野坂知宏、下平隆宏、高木琢也といった「名将たち」。名前から思い浮かぶのは「昇格請負人」だったり「残留請負人」だったりというキーワードだろうか。あるときは成功するけど、あるときは失敗して解任される。そんなことをくりかえしている監督たちで、全般にJ2味の濃い人選なのだが、ここにあがっている人たちはみんな解任されても、すぐに別のクラブから声がかかるような人たちばかり。つまり監督の世界では圧倒的な成功者だ。Jリーグで監督をできるS級ライセンスの所有者は約500名。そのなかでJリーグの監督を任されるのはほんの一握り(さらに外国人監督もライバルになる)。監督という仕事はよっぽど難しいのだと思う。チャンスを与えられる人は少ないし、そこで生き残れる人はもっと少ない。
●これら監督たちが難しい局面で下してきたさまざまな決断に迫ったのが本書。やはりプロフェッショナルの世界なので、話の中身はけっこう重い。選手を入れ替える、戦術を変更するなど、ひとつひとつの決断がどこまで結果に直接的に結びついているか、サッカーでは必ずしも明快ではないと思うのだが、最終的に責任を負うのは監督。選手の生活や将来がかかっているだけに、並大抵の神経ではできないなと感じる。あと、監督という仕事は原則として「失敗して去る」のが常。これもタフな話。どの章も興味深かったが、特にブラウブリッツ秋田で旋風を巻き起こす寡黙で熱血な吉田謙、豪快な現役時代とずいぶんイメージが異なる高木琢也の両監督の章が印象に残った。

July 13, 2023

NHK100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」(都甲幸治著/NHK出版)

●思うところがあってNHKテキスト「100分de名著」を何冊か読んでいるのだが、このシリーズはすごくいい。番組も悪くないんだろうけど、たぶんテキストはさらによい。「専門家が一般向けにわかりやすく書く」というのは、こういうことなんだなと思う。ちゃんと言い切る。文章内に同業者に向けたエクスキューズを散りばめない。対象物の根っこの部分をまっすぐに伝えてくれる。
●で、特におもしろかったのが「ヘミングウェイ スペシャル」(都甲幸治著/NHK出版)。自分はヘミングウェイで好きな作品と言われたら断然「老人と海」と「移動祝祭日」なんだけど、とてもためになった。たとえば、「老人と海」で、主人公の老人がやたらとジョー・ディマジオの話を出してくるじゃないすか。野球なんか見てないはずなのに、なにかと自分とディマジオを対比させる。それはディマジオの父親が貧しい漁師だったからで、自分を憧れのディマジオに重ねているんだろうな、と思う。でもこのテキストに「ディマジオは本来握るはずだった釣竿をバットに持ち替えて野球をしているのだ。老人はそんなふうにとらえていた節もあります」とあって、なるほど、そちら側から見ることもできるのかと目ウロコ。あと、いつも老人を支えてくれる少年マノーリン。彼のことを「ひと昔前の『理想の奥さん』のような存在」と指摘していて、これも納得。世話を焼いてくれて、自分のことを全面的に尊敬してくれて、なんと都合のよい伴侶なのか。少年とは孤独な老人の脳内に住む空想上の存在なのかと疑ってしまうほど。
●「移動祝祭日」で、ヘミングウェイはガートルード・スタインやスコット・フィッツジェラルドらの恩人を登場させて悪口を言っていて、「自分が世話になった度合が大きい順にひどいことを書いています」。その解釈もおもしろかった。

July 12, 2023

「太陽の帝国」(J.G.バラード著/山田和子訳/東京創元社)

●ずっと前にKindle版を買って電子積読状態だったJ.G.バラードの「太陽の帝国」(東京創元社)をようやく読む。原著は1984年発表のブッカー賞候補作。翻訳は国書刊行会から出ていたが、2019年に山田和子の新訳により東京創元社から刊行されて入手しやすくなった。少年期を上海の共同租界で暮らしたバラードの自伝的小説。これまでバラードの多くの作品を読みながらも、名作中の名作とされる「太陽の帝国」を読まずにいたのは、ひとえにこれが日本軍による現実の戦争を描いているという憂鬱さゆえ。が、これはもっと前に読んでおくべきだった。決して凄惨なばかりの話ではなく、意外にも後味は悪くない。
●主人公は11歳のイギリス人少年ジム。上海の共同租界で中国人の運転手や使用人に囲まれて暮らしていたが、日本軍が上海を制圧すると、両親とはぐれたまま、3年以上にわたって捕虜収容所で暮らすことになる。戦況の変化とともに次第に収容所の暮らしは過酷になり、食料の配給は減り、病が蔓延する。生と死が隣り合わせの環境のなかで、ジムは多様な大人たちとかかわりながら自分の居場所を見つけ、生きのびる。リアルだなと思ったのは、ジムはこの収容所生活をある意味で心地よく感じており、そこから出ることに恐れを抱いているところ。「破滅的な世界で主人公が心の平安を得る」というのはバラードの小説にたびたび登場するモチーフだが、それはバラードのイマジネーションの産物などではなく、少年時代の実体験そのものであることを知る。後の自伝でバラードは「結婚して子供を持つまで、収容所時代より幸せだったことはなかった」とふりかえっているほど。
●収容所を追い出されるとき、人々は「ひとりスーツケース一個まで」を持つことが許される。日本兵に連れられ、行き先の不確かな行進が続くなか、疲労と飢えで捕虜たちはひとりまたひとりと行進から脱落する。そこでジムが目にした光景は、あまりにもバラード的だ。

弾薬搬送トラックの前に来たところで後ろを振り返ったジムは愕然とした。無人の道路に何百というスーツケースが転がっていた。荷物を運ぶのに疲れはてた人々が次々に無言で置いていったのだ。陽光を浴びた道路に連なるスーツケースや籘のバスケット、テニスラケットやクリケットのバットやピエロのコスチューム――それはまるで大勢の行楽客が荷物を置いたままで空に消えてしまったかのような光景だった。

●「太陽の帝国」はバラードの実体験にもとづいているが、現実とひとつ大きく異なるのは、バラードは両親とははぐれておらず、いっしょに捕虜収容所にいたこと。収容所で両親は自分の面倒をよく見てくれたが、それでもこの体験で親との間に溝ができてしまったとバラードは語っている。これはよくわかる話。11歳から14歳になるバイタリティにあふれた少年が、過酷な環境で大人たちからどう見えていたか。小説内で主人公は次第に両親の顔を忘れて思い出せなくなるという描写があるが、それはある種の現実の反映でもあったのだろう。

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