zombie: 2011年8月アーカイブ

August 22, 2011

ゾンビと私 その19 ジョナサン・ケント演出「ドン・ジョヴァンニ」

●日曜の午前中から新宿バルト9へ。ソニーLiveSpireのワールドクラシック@シネマ2011「ドン・ジョヴァンニ」。午前11時からの1回のみ上映で8/20~8/26の一週間(東京以外も全国各地それぞれのスケジュールで上映。東京より先に終わったところもあれば、後のところもある)。2010年のグラインドボーン音楽祭から、ジョナサン・ケント演出、ユロフスキ指揮エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団(すばらしい)、ジェラルド・フィンリー (ドン・ジョヴァンニ)、ルカ・ピサローニ(レポレッロ)他。
●よく練れた演出で、おもしろかった。冒頭の場面、ドン・ジョヴァンニはいきなり悪辣。騎士長と決闘なんかしない。相手が油断してる隙にさっさとでかい石を拾って、後ろから騎士長の後頭部にガツン、さらにガツッ!、とどめにガツッ!と一方的に殺してしまう。他人への共感能力を徹底的に欠いたドン・ジョヴァンニ像をさっくりと宣言。嫌な感じのリアリズムで舞台を引き締めてくれた。
●レポレッロはポラロイドカメラで主人のお相手をパシャって撮ってカタログにしてる。そうだよなあ、カタログには写真がなきゃ(笑)。ポラロイドカメラだから時代は少し昔なのだ。今なら「♪イタリアでは640人~」と歌いながら、iPadの画面を指でひゅんひゅんしながら獲物を自慢するところか。
●ドンナ・エルヴィーラっているじゃないすか。この役ってコミカルというか、イジメたくなる役柄だと思うんすよ、基本的に。すごくダメな人なのに、正義を振り回すという設定に、作者のイジワルさを感じる(というかドンナ・アンナに対してもツェルリーナに対してもイジワルさは感じられるけど)。1幕の終わりでドンナ・エルヴィーラとドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオの3人が仮面をつけてドン・ジョヴァンニの屋敷を訪れる場面で、ドンナ・エルヴィーラは顔にピエロのメイクをしている(笑)。そうか、女ピエロだよなー、ドンナ・エルヴィーラって。
●ドン・オッターヴィオの役どころは愚鈍。「ドン・ジョヴァンニ」ってあらゆる脇役に対して作者がイジワルじゃないですか。そこが好きとも嫌いともいえる。
●おっと話がそれた。この演出でいちばんいいなと思ったのが死んだ後の騎士長の扱い。平凡な演出の「ドン・ジョヴァンニ」ではこれが見るに耐えない。石像がしゃべるとか、晩餐にやってくるなんてのでは、本来シリアスでなければならない場面が(少なくとも音楽はそうなってる)、どうしようもなくバカバカしい場面になりがち。で、この演出では石像は出てこない。レポレッロとドン・ジョヴァンニが墓場で出会うのは騎士長の石像ではなく死体そのもの。墓から出てきた死体が動く。つまり、これはゾンビだ。そうは明示されていないが、どう見てもゾンビ。ドン・ジョヴァンニはゾンビ騎士長を晩餐に招いたんである。これ、意外と歌詞もそのままで通るっぽい。石像でもゾンビでも触ると冷たいし。
●で、地獄落ちの場面だ。やってくるのは石像ではなく、生きている死者だ。その登場の仕方だけが無理やりすぎて思わず声をあげて笑ってしまったが(どんなかは内緒)、ドン・ジョヴァンニは騎士長ゾンビに襲われて血だらけになって地獄に落ちる。落ちても死体はちゃんと残ってる(描かれていないけど、後日談としてはドン・ジョヴァンニも甦り、次々と女たちを真の意味で襲い、死後バージョンのカタログが作られることになるだろう。また、騎士長は確かに食事にやってきたのだともいえる。人間の食い物は食わないけど、人間は食べちゃいます~的な)。
●なるほど、これはいいね。石像より生きている死体のほうが、ずっと話が通るし、今日的で、なによりモーツァルトの音楽が救われる。ジョナサン・ケント、鋭いな。と思ったら、デイヴィッド・マクヴィカーも騎士長ゾンビの演出をやってるらしい(未見)。そうだなあ、これたどり着く結論としてそうなるしかないってところもあるだろうし、もうこれからは騎士長=ゾンビを標準にしてもいいくらいなんじゃないか。少なくとも私たちの社会にゾンビ禍が訪れている間は、アイディアを共有していいってことにしてはどうか。頼むよ(誰に?)。
●昨日8月21日は本サイトCLASSICAの設立16周年なのでした。祝。

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