May 7, 2003

クリストファー・ノーランの「インソムニア」

●遅ればせながらレンタルビデオでクリストファー・ノーラン監督の映画「インソムニア」を観た。前作「メメント」と対をなす傑作。前作は前向性記憶障害を題材に実験的手法を採りながらも、実は「人はいかに生きるか」という普遍的な主題を扱った作品だった。要約すれば「人が生きるために必要なのは記憶ではなく物語である」(ここに書いた)。今回はインソムニア、すなわち不眠症に苦しむ刑事(アル・パチーノ)を主役としたサスペンスの形式を装いつつも、「真実と嘘」、換言すれば主観的事実(=嘘、物語とも言える)と客観的事実(公的な真実)の境目に焦点を当てている(以下、少しストーリーを割っているが、ネタバレというほどではない)。
●ロス市警の辣腕刑事ドーマーは、白夜のアラスカで起きた猟奇殺人事件を捜査する。白夜のために不眠症に悩まされながらも、現地の警察と協力して捜査を進展させる。ドーマーは優れた現場のヒーローであるが、一方で警察の内務調査の標的にもされている。ドーマーの相棒は内務調査班と取引をしたという。裏切りである。ドーマーには表沙汰にしたくないなにかがあるらしい。ドーマーは捜査のなかで、深い霧の中で犯人を追いかけようとして、誤って相棒を撃ってしまう。そこから罪と正義の間でドーマーは揺れ動く。
●「白夜」は不眠症へと主人公を追い詰めるための舞台設定でもあるが、同時に「すべてを明るみに曝す」ことを意味し、内務調査と呼応して「客観的真実」の世界を象徴する。一方、深い霧あるいは眠り、闇はその逆、「主観的真実」の世界にある。人が眠りを奪われたらどうなるか。嘘のない白夜のなかで、ドーマーは理性を奪われ、進むべき道を見失う。不眠は続く。正義のために隠蔽された過去は正義のために明るみに出さなければならない、しかし真実を剔抉することが善であるというのは果たして成熟した正義感といえるのか……。
●結末ではあえて不明瞭さが残されている。「人は物語がなければ生きていけない」という点で「メメント」と同じ主題を扱った作品であるとも言える。形式上はサスペンスとして成立している点も共通する。見終わった後の切なさも同じ。あまりに似ているのでノーラン監督自身が脚本を書いたのかと思えば、そうではない。「インソムニア」はノルウェー映画のリメイクだという。優れた脚本を、それにもっともふさわしい監督が映画化したということか。必見の傑作。(05/07)

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