December 27, 2005

「第九」の季節、脳内タイムスリップでフェイタル・エラー

フルトヴェングラー●年末だからといって「第九」を聴くということもないのだが、たまたま立ち寄ったレコード屋でフルトヴェングラーのCDがかかっていた。名盤中の名盤として崇められている一枚。ワタシはヒストリカル・レコーディングにはあまり興味がないんだけど、これは懐かしかった。はじめて買った「第九」のレコードだし。ぼんやり漫然と一小節、二小節耳にしただけでも「うわ、なんじゃこりゃ」と強制的に覚醒させられてしまうくらいインパクト極大。
●もしこの録音が80年代後半以降のデジタル・レコーディングで残っていたらなあ。そしたら、フツーに今でも聴くかも。まあクラシックでそんなこと言い出したらキリがないんだけど。でも、当然のことながら、リアルタイムでライヴを聴いていた人にとってはフルトヴェングラーもトスカニーニもメンゲルベルクも、窮屈でくすんだモノラル録音じゃなくて、フツーにクリアで色彩的でひょっとしたらブリリアントなオーケストラ・サウンドを聴かせていたはずなんである。だって、ライヴなんだから。もしフルトヴェングラーが現在生きている人だったら、サントリーホールにウィーン・フィルを引き連れてやってくるだろう。そのときにワタシらが聴く音は、音楽の質は違っても物理的音響的にはムーティやゲルギエフが指揮するものとなんら変わらない。
●その架空の来日公演を聴いて、ワタシはあの「第九」と同じような印象を受けるだろうか。たぶん、そうはならない。「あ、これは今までに聴いたことのない新しい音楽だ」って感じるような気がする。古いモノラル録音に対する想像力が普段から鍛えられてないから、全然別ものとして受け取ってしまうんじゃないか。

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