April 11, 2008

オネーギンとレンスキー

●13日から始まる「東京のオペラの森」、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」のゲネプロを見てきた。小澤征爾指揮、ファルク・リヒター演出、ウィーン国立歌劇場との共同制作。本公演前なので中身には触れないけど、先鋭すぎる演出ではなく、歌手陣もそろっていて楽しめるのでは。レンスキー役のマリウス・ブレンチウはなかなかの美声。
●関連記事。東京のオペラの森:制作は今年限り(毎日新聞)。
●チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」は、登場するそれぞれの人物像が魅力的で、普遍性のあるテーマを何重にも盛り込んでいるのがいい。オネーギンとタチヤーナ、オネーギンとレンスキー、レンスキーとオリガ、タチヤーナとグレーミン公爵、どういう組み合わせをとっても、それぞれに興味深い関係性があって、オペラの脚本では珍しいくらいよくできている(プロットはアンバランスで特異だけど)。
●たとえば、男性だったらオネーギンとレンスキーのどちらに共感するか。遊び人オネーギンか詩人レンスキーか。放浪者オネーギンか土地の者レンスキーか。モテ男オネーギンか非モテ系レンスキーか。前者は自尊心を失って破滅し、後者は自尊心が強すぎて破滅する。二人の決闘の場面はやはり見ごたえがある。「なんで、そんな決闘する必要なんかあるのさー」ってのがワタシらには不条理であるにしても。
●3幕で、オネーギンが旅をして帰ってきて、見違えるように美しく成熟した女性になったタチヤーナと再会するところで歌うじゃないですか。「オレは家庭も持ってないし、仕事も持ってない、あてもない旅をして帰ってきた……」。オネーギンは粗野なハミダシ者であると悪評を買ったりもするけど、こうしてブラブラしてて、それでもちゃんと華やかな社交界に帰って来れる場所があるんだから、文化資本的にはとても恵まれた人物であることにちがいないんすよね。でも言ってるセリフだけ聞いてると、現代だったら漂流するネットカフェ難民みたいな人物像が該当しなくもないわけで、仮にそうするとレンスキーとかタチヤーナはどういう設定にするのがふさわしいだろう……とか勝手演出を考えると楽しい。
●ちょい役みたいな感じだけど、再会したらタチヤーナが結婚していたという相手、グレーミン公爵も印象に残る人物で、薄っぺらに描かれがちなよくある「金持ちの年寄り」とは全然違う。終場でタチヤーナがグレーミン公爵を裏切らないのは必然だろう。でも、幕切れで、音楽は強烈なクライマックスを築くのに対して、「オネーギンが絶望する」という脚本の腰砕け感がどうもちぐはぐで落ち着かない。かといって安直に自死されても台無しだしなあ。プッチーニやヴェルディならどうやって終わらせただろうか。

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