September 25, 2008

聴けるかな、電波ラジオでウィーン・フィル

●これだけネットラジオを話題している一方で、電波ラジオはどうなのか、っていうとこれが環境的にダメダメな今。ミニコンしかない、電波ラジオ(=以下ラジオ、つまりフツーのラジオ←くどい)を聞こうと思ったら。こんなモノでアンテナと呼んでは申し訳ないような、付属のフィーダーアンテナを使うことになる、なんだか懐かしい感じのヤツ。T字型にピンと伸ばせ。NHK-FMの電波を拾え、82.5へ進路を取れ、面舵いっぱーい、ンガガガガガ、と想像上の擬音。遠いな、NHK-FM。ネットだと北欧だろうが南米だろうがクリック一つで目の前なのに、リアル電波を拾うのはなんつうかバーチャルじゃないわけで、額に汗するっていうか、全身で電波を受け止めてる感じで太陽と汗と涙っていうか、非常にフィジカルな感じがするのであった。見えないのにね。
●そんなテンポラリーアンテナ張って、聞こうとしたのはムーティ指揮ウィーン・フィル来日公演の生中継。ブル2の記憶がまだ新しいところで、チャイ5の生中継を聴けばたちまちにしてわが家がサントリーホールになるというビバ妄想力。わが家の残響は幻視の力で2.1秒、それにしても電波拾えません、窓開けてます、でもサーサーとノイズうるさく、ときどきプルとかビュルルとか毒電波成分拾ってます、しかしその向こうには紛れもなく豊穣にして柔らかなウィーン・フィルの響きが。こんなにゴタク並べてるのに、開演7時と勘違いしてたら、休日だから6時開演っぽくて、ワタシが聴けたのはチャイコフスキーの交響曲第5番だけだ。いや、でも放送でよかったっすよー、これがリアルな演奏会で1時間遅刻してたらカラヤン広場で大泣きするしかないっすよ、ウィーン・フィル。溜池が涙池と化す。
●劣悪な電波状況に苦しみつつも、チャイコフスキーを堪能。グシャグシャの音なんだけど美しくて、またピュルピュルにノイズが乗るとかすかに漂う伝説の名演の香り、歴史的録音の歴史とはたった今だったみたいな仮想的なオチ。
●で、もう一つのニーノ・ロータのプロは、あまりにプログラムが「らしくない」気がして聞き逃したわけだが、やっぱり聴きたかった気がする。ヴィスコンティの「山猫」(←音出ます)ってRakastavaさんがおっしゃってるように、映画についてるオリジナルの演奏がやたら熱いっていうか、「それ、録音レベル上げすぎでしょ」みたいな音がして、およそウィーン・フィルとは縁遠いっすよね。で、ぜんぜん話が違うけど、みなさん「山猫」を見て、誰に共感しますか? と尋ねればそりゃバート・ランカスター演ずるサリーナ公爵ドン・ファブリッツオに決まっているわけだ。100%、シチリア貴族の末裔になりきって見る、実際の自分は貴族的と形容するにはほど遠いのに。ポテチをボリボリ食してコーラ飲んで映画見てるのに、空想上の己は新興ブルジョワジーとか赤シャツ隊の連中とかにため息をつきながら、去り行く貴族社会の優雅すぎる日々に身を任せ、時代に背を向け滅び行く者の美学に浸るわけであって、この一度一瞬一時たりとも経験したことのない座標にあっという間にワープさせられてしまう虚構の力の偉大さに圧倒されるばかりなんである。映画の冒頭を目にして耳にするだけでそうなる、とすれば、サントリーホールでムーティ指揮ウィーン・フィルを聴いても、やはり脳内にはサリーナ家の豪邸や絢爛たる舞踏会が甦ったのであろうか?

トラックバック(2)

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.classicajapan.com/mtmt/m--toraba.cgi/999

【2008年9月23日 サントリーホール】 ●ロッシーニ:歌劇《セミラーミデ》序曲 ●ストラヴィンスキー:《妖精の口づけ》によるディヴェルティメント ... 続きを読む

9/18(木) サントリーホール 「リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル」    ヴェルディ「オペラ『ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)』序... 続きを読む

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「爆裂ボンバーヘッド×2」です。

次の記事は「映画館でグノー「ロメオとジュリエット」」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ

国内盤は日本語で、輸入盤は欧文で検索。