March 19, 2010

ジュノム、ジュノム……

●昨日は小倉貴久子さん&大井浩明さんによる「モーツァルト/クラヴィア協奏曲全21曲演奏プロジェクト」第1回へ。自由学園明日館講堂で、第5番、第6番、第8番「リュッツォウ」、第9番「ジュノム」を一晩にという盛りだくさんなプログラム。おそらく作曲当時に実際的な要請からたびたび演奏されたであろうフォルテピアノ2台による演奏という形態で、小倉さんがソロ、大井さんが第2ピアノ。躍動する精気にあふれたモーツァルトを満喫。協奏曲なんだけど、2台ピアノでもなんの不足感も感じない。とういかむしろ新鮮。自由学園明日館講堂という趣のある会場もすばらしいので、たぶん6月の第2回以降もオススメ。コンサートホールで聴くよりも贅沢なんすよ、体験として。
ビバ、モツァルト●モーツァルトの「ジュノム」って、たぶん20番より以前の協奏曲の中でいちばん演奏機会が多くて、実際突出した傑作じゃないっすか。協奏曲とソナタは若い時期の作品でも全部すばらしい曲ばかりなんだけど、「ジュノム」は単にすぐれているというだけじゃなくて、成熟している。ホントにそんな若い時期に書いたの?みたいな。これはたぶん第2楽章が短調で、その憂いの深さみたいなものに引きずられて受ける印象なんだろうけど。あと終楽章のロンド、プレストで異様な躁状態ではじめておいて、途中でメヌエットなんていうギャップの激しいものを差し挟むというアイディアもわけわからんスゴさ。よく言われる第1楽章冒頭にオーケストラにこたえてすぐにソロが一言だけこたえるという趣向も謎。ベートーヴェンの4番、5番ですぐにピアノが登場するのは、定型を破ろうっていうことでわかるんだけど、「ジュノム」はなんかもっと身近に具体的な理由があってソロがすぐに出てくるのかなあとも想像しなくもない。たとえば、協奏曲はおおむねみんなソリストを聴くために来るとして、オケの提示部は退屈だからとマジメに聴こうとしない客がいるから、彼ないし彼らを一瞬驚かしてやろう、みたいな。
●フランスのジュノム嬢というステキな女性に献呈されたということで愛称「ジュノム」。ザスロー全作品事典でも日本語版グローヴでも、なに見てもそう書いてある。でも最近は、ジュノム嬢 Jeunehomme なんて存在しなくて、モーツァルトの友人である舞踏家のジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘、ヴィクトワール・ジュナミー Jenamy のことだって言うんすよ(Michael Lorenz: The Jenamy Concerto。←ちゃんと読んでないけど)。「ジュナミー協奏曲」。うーん、なじめん。長年「ジュノム」で親しんでいるので、新しい名称に慣れるなら反復して口にする必要があるだろう。「ジュナミー、ジュナミー、五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末……」。

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