October 25, 2011

読響のジョン・アダムズ「ドクター・アトミック・シンフォニー」他

●下野竜也指揮読響定期へ(サントリーホール)。プログラムがものすごく意欲的で、前半にジョン・アダムズの「ドクター・アトミック・シンフォニー」日本初演、後半に團伊玖磨の交響曲第6番「広島」。このプログラムは誤解されやすいと思う。まず、今年の震災は関係ない。ずっと前から決まっていて、昨年の記者会見でも発表されていたものであって、震災の犠牲者を追悼しようとか、原発事故と絡めようとかいう意図はないわけだ。もちろん、それは「企画者側に」ということに過ぎないので、聴く側にはいくらでも創造的にテーマを読み取る自由はあるんだけど。
●で、さらにいえば「原爆」すらミスリードしているんじゃないかと思った。ジョン・アダムズの「ドクター・アトミック・シンフォニー」は、彼のオペラ「ドクター・アトミック」の音楽を素材としたもので、オペラでは原爆開発を担ったロバート・オッペンハイマーの苦悩や葛藤が描かれる……としても、これは作曲者自らが例示するようにヒンデミットにとっての交響曲「画家マチス」とオペラ「画家マティス」の関係のように、オペラから切り離してシンフォニーとして聴ける作品。一方の團伊玖磨の交響曲第6番「広島」にしても、この楽天的で希望にあふれた音楽の中から、大量殺戮の悲惨さや愚かさ、死の叫びを聴き取ることはできそうにない。
●なのでいったん「原爆」を忘れてしまえば、両曲は太平洋の両岸で比較的最近に書かれた交響曲という、日米現代シンフォニー・プロとして素直に受け取れる。そもそも團伊玖磨作品のほうは1985年初演の作品だ。広島青年会議所平和問題委員会委嘱作品。日本がこれからバブル経済を迎えようという平和な時代に生まれた、どこまでも肯定的な作品なんである。能管&篠笛(一噌幸弘)のソロが大活躍したり、終楽章でソプラノ(天羽明惠)が登場したり(バーンスタインの交響曲第1番「エレミアの哀歌」を思い出した)、オケの中にフルートが5本も入ってたりしても、作風としてはきわめて穏健で伝統的だ。オーケストレーションの技術はきっとすごく高いんじゃないだろうか。第2楽章では鞆の浦大漁節っていうの?日本の(いや広島の?)民謡まで堂々と浮かれながら登場する。そこにあるのは復興した広島、繁栄する広島ということか。最後の第3楽章はあまりにも輝かしく壮大に閉じられてしまうので、これは絶対に作曲者は意図していないことだけど、後にしばらく続く日本の狂騒を予告したんじゃないかと誤読したくなる。
●「ドクター・アトミック・シンフォニー」は2007年初演作品。終盤に切々とした長大なトランペットのソロが登場する。一方でジョン・アダムズらしくヴィヴィッドでカッコよくて、少し笑いがある(最後のチューブラーベル!)。バカなワタシはクリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」とか思い出しながら味わってた。元気のいいミニマルっぽいところはディカプリオとか渡辺謙が夢世界でミッションに挑んでる場面で、トランペットのソロはあっちに行っちゃった奥さんをディカプリオが追憶するシーンなわけ(笑)。だってジョン・アダムズに「オッペンハイマーの葛藤が」とか言われても。
●読響の演奏は圧倒的にすばらしかった。ていねいでありながら壮麗で、作品の価値を十全に伝えるというか、その価値を高めるくらいの立派さ。このプログラムが横浜と東京で2公演開かれたというのも快挙。

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