October 16, 2012

バッハ・コレギウム・ジャパン「パウルス」

●14日、東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパンのメンデルスゾーン「パウルス」。合唱と管弦楽をあわせて約70人という編成はBCJ史上最大なんだとか(鈴木雅明さん談)。普段ならオペラシティの舞台に70人が並んだところで大編成でもなんでもないところだが、BCJの公演でこの編成は壮観。ホルン4本、トロンボーン3本にオフィクレイドやコントラファゴットも。さらにオルガンに鈴木優人さん。コンサートマスターは寺神戸亮さん。ゴージャス。しかしメンデルスゾーン本人はこの曲に数百人規模の合唱を用いたというのだからスゴい。なぜそんなに人数が必要になるのだろう? 「一万人の第九」みたいな企画は現代的というより、もしかしたら19世紀的なノリなのかも(笑)。
●冒頭第一曲からすばらしく柔らかな響きで始まり、力強く壮麗な高揚感にあふれた演奏が繰り広げられた。「サウロの回心」や「目から鱗が落ちる」場面など、物語的なクライマックスは第1部にあるけど、第2部も音楽的には起伏に富んでいて、陰影も豊か。
●しかしこれくらい音楽として感動的でありながら、物語的に疎外感を感じる作品もない。熱心なユダヤ教徒であるサウロはイエスからの呼びかけで失明するが、イエスの弟子により目から鱗が落ちて、ふたたび目が見えるようになる。サウロは回心し、キリスト教徒としてパウルス(パウロ)を名乗る。パウルスは異邦人の宣教へ向かい、多神教を戒め、一なる神への帰依を説く。パウルスは迫害にもひるむことなく、最後には死を覚悟の上、エルサレムへと旅立つ……。非キリスト者の私たち異教徒にとって、パウルスはなんと独善的で乱暴な男に映るのか。パウルスには言いたい。八百万の神、いいよー。万物に神様、宿ってね? 君の言ってる神への帰依は、個人と神との対話ではなく、集団的な利益を求めるためのイデオロギーでは。ノーモア石打ち、ビバ寛容。そして命を粗末にしてほしくない。
●パウルスが足の不自由な男を治す場面があって、異教徒たちは驚いてパウルスを拝みだすんだけど、そんな現世利益に目がくらむ異教徒もどうかと思う。ていうか「病気を治して信者獲得」は不滅なのか!?

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