November 20, 2013

METライブビューイング ショスタコーヴィチ「鼻」


●METライブビューイング、今シーズンの第2作はショスタコーヴィチの「鼻」。これは見逃せないだろうということで、山のようにコンサートが開かれている中、映画館へ(18日、東劇)。ウィリアム・ケントリッジ演出。映像やアニメーションをふんだんに活用して、舞台は徹底して作りこまれている。伝統的な「オペラ」というジャンルが持つ気恥ずかしさから100%解放された、一分の隙もないクールな舞台が展開する、上記映像クリップのように。指揮はパヴェル・スメルコフ、主役のコワリョフにパウロ・ジョット。
●「鼻」はショスタコーヴィチが1928年に完成させた作品。ということは、作曲者はまだ22歳の若者。プラウダ批判もずっと先の話、モダニストはのびのびと羽を広げる。原作はゴーゴリの短編小説「鼻」。で、このオペラをどう解するか。演出によりけりではあるけど、ワタシの分類ではスラプスティック、ドタバタギャグかな。ケントリッジ演出は小洒落ているが、ある意味ストレートで、作曲家とともに原作のナンセンスぶりを忠実に伝えてくれている。
●ロシア語では「鼻が高い」っていう表現はあるのかなあ?……ないか。でも、これってそういう話っすよね。主人公のコワリョフは小役人気質の塊みたいな俗物で、「八等官」という地位を鼻にかけている(おっと、この表現はロシア語ではどうなのかな?)。ところが、ふと気づくと鼻がない。床屋で鼻が取れてしまったんである。鼻は主から離れ、勝手に紳士としてふるまって、五等官の位を装っている! 鼻に向かって「あなた、わたしの鼻じゃありませんか」と丁重に尋ねると、鼻は「は? おたく、どちら様で?」とかつての主を鼻であしらう……。形ばかりのものにこだわって自尊心を膨れあがらせる俗悪な小役人を笑い飛ばしてやろうという痛烈な風刺になっている。
●音楽面では第3幕かな(休憩なしで通して演奏される)、コワリョフとポトーチナ夫人との手紙のやりとりの部分とか、オペラならではのコミカルさがあって楽しい。終盤、「こんな話、さっぱりわからない。作者はどうかしてるね。こんなの書いても国家の利益にならないよー」みたいなことを登場人物に素っ頓狂に(←死語)歌わせる楽屋オチみたいな場面があるけど、あれはゴーゴリの原作にそのままあるんすよね。狂人大集合みたいな雰囲気が強すぎて、笑えないギャグが並んでいる感もあり。てか、ぜんぜん笑えない。いや、「ふふっ」て鼻で笑ったかな。

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