May 29, 2015

サーリアホのオペラ「遥かなる愛」

●28日は東京オペラシティのコンポージアム2015で、フィンランドの作曲家カイヤ・サーリアホ(1952- )のオペラ「遥かなる愛」演奏会形式へ。エルネスト・マルティネス=イスキエルド指揮東京交響楽団、東京混声合唱団、与那城敬(ジョフレ・リュデル役)、林正子(クレマンス役)、池田香織(巡礼の旅人役)。テーマは、ずばり、愛。ブライユの領主でトルバドゥールであるジョフレは、はるか遠くトリポリの女伯クレマンスに理想の女性を見出し、まだ見ぬ遠い恋人への思いを募らせる。一方、クレマンスもリュデルの詩に触れて、心を動かされる。ジョフレはついに海を渡って、クレマンスに会うことを決意する。船旅に出たジョフレは来たるべきクレマンスとの面会を恐れ、心を乱す。自分はまちがった決断をしたのではないだろうか。ついにジョフレがクレマンスと出会うとき、ジョフレは死に瀕していた。ふたりは愛の言葉を交わすが、クレマンスの腕のなかでジョフレは息絶える……。
●全5幕だが、最初の2幕は物語がほとんど動かず、音楽的な身振りも控えめで、瞑想的反復的な雰囲気のなかで果たしてこれを最後まで聴き通せるのだろうかと心配になった。しかし第3幕以降、観念的な愛が実体を伴った愛へと形をかえるべく物語が動き出すと、すっかり引きこまれた。連想するのは「トリスタンとイゾルデ」+「エヴァンゲリオン」。巡礼の旅人という媒介者のみによって成立する観念の愛、そして海と船というモチーフは「トリスタンとイゾルデ」的であり、一方でジョフレが生身のクレマンスに出会うための旅はATフィールドとの戦いであり、碇シンジの姿が重なる。
●特に後半は管弦楽の精緻なテクスチャーやみずみずしい木管楽器のソロなども印象的だったが、やはり脚本が大きな原動力を担っていて、ジョフレの死でもって愛は「遥かなる」ままにされるという、古い伝承由来の結末が重い。クレマンスは絶望し、僧院に入ると決心する(尼寺へ行けっ!?)。トンデモな外観を持った辛辣な真実を読みとることもできるし、純化された愛のかたちをまっすぐに描いたものとも読める余白が味わい深い。
●ジャン=バティスト・バリエールの映像演出が効果的。スクリーンが設置され、主に抽象的な映像が流されるが、海や城など具象もさしはさまれる。ときおりライブカメラでとらえられた歌手の表情が映像に合成されるのもいい。古くさくなく、過剰に説明的でなく、でも本筋にそっていて必要性を納得できる。「東京・春・音楽祭」のワーグナー・シリーズもこんな感じの映像があったらいいのにな、とは思った。
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●今晩(29日夜)のダウスゴー指揮都響は、サーリアホのクラリネット協奏曲 D'OM LE VRAI SENS と、ニールセンの交響曲第3番「広がりの交響曲」。サーリアホによるプレトークあり(18:35~)。

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