September 10, 2015

カンブルラン&読響の「トリスタンとイゾルデ」

●6日はサントリーホールでカンブルラン&読響の「トリスタンとイゾルデ」演奏会形式。15時開演で30分の休憩を2回はさんで20時終演の長丁場。しかし長さを感じさせない。きびきびとして、音楽がよどみなく流れ、粘らない。イゾルデ役がいつのまにかレイチェル・ニコルズに変更されていた。BCJで歌っている人というイメージだったんだけど、イゾルデも歌っていたとは。トリスタン役のエリン・ケイヴスともどもドラマティックというよりは、清新でリリカル。カンブルランも必要に応じてオーケストラを抑制して、詩情豊かなワーグナーを作り出していた。イゾルデをはじめ、アッティラ・ユンのパワフルなマルケ王、マーンケのブランゲーネ、石野繁生のクルヴェナルら歌手陣は充実。トリスタンはやや苦しかったものの、並外れた演奏を聴いたという実感。あ、イングリッシュホルンのソロがすばらしすぎて鳥肌。オルガン席のところで立奏。
●で、純然たる演奏会形式ではあるけど、やっぱり「トリスタンとイゾルデ」なので、つらつらと思う。ブランゲーネの秘薬というものがなかったとしても、トリスタンとイゾルデの間には禁断の愛が生まれておかしくないんじゃないだろうか。憎しみと愛は隣り合わせだし。あと、いつ頃からかこの話はマルケ王とトリスタンという完璧な愛で結ばれた二人の間にイゾルデが割って入る話としか思えなくなってしまったので、マルケ王の悲嘆はフラれた男のそれにしか見えない。イメージ的には男子校でいちばんモテてるトリスタンがいて、ベストカップルのマルケがいて、トリスタンに憧れて制服のボタンをもらっちゃうみたいなクルヴェナルがいる的な世界観。
●終幕、クルヴェナルが「てやんでい、てやんでい」と威勢よく啖呵を切ったところから、割とどうでもいい誤解がもとで、メロートも死ぬし、クルヴェナルも死ぬ。あまりの不条理に「命を粗末にしてはいけません」と言いたくなるが、基本的に話の根幹は「愛したい」と「死にたい」の物語的な二大欲望を描くところにあるのでしょうがない。

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「アフガニスタン代表vsニッポン@ワールドカップ2次予選」です。

次の記事は「第25回出光音楽賞受賞者ガラコンサート」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ