October 5, 2015

東京二期会のR・シュトラウス「ダナエの愛」

●2日は二期会のR・シュトラウス「ダナエの愛」(東京文化会館)。準・メルクル指揮東京フィル、深作健太演出。これを見逃したらもう観るチャンスはないんじゃないかという貴重な機会。神話を素材に再構成した物語で、王女ダナエ(林正子)を巡るミダス王(福井敬)、主神ユピテル(小森輝彦)の三角関係が軸となっている。ミダスの手にしたものはすべてが黄金に変わる。もともと貧しいロバ引きにすぎなかったミダスに、その富を生む能力を与えたのがユピテル(=ジュピター)。富と引き換えに、ユピテルは望めばいつでもミダスと姿を入れ替えるという力を持つ。ダナエとミダスは相思相愛になるが、ユピテルはミダスの姿を借りて、ダナエの愛を手に入れようとする。しかし、事態を察したダナエは、ユピテルを拒み、ミダスを選ぶ。怒ったユピテルはミダスから富を奪い、貧しい人間に戻すが、それでもダナエはミダスとの愛を貫き、荒野でのつましい暮らしに満ち足りる。
●シュトラウスのスコアがひたすら美しい。晩年の協奏曲などと同様の肩の力が抜けた簡潔明瞭さ、澄明さも感じれば、ところどころに「サロメ」や「ばらの騎士」のようなエネルギーや官能性も感じる。どこかセルフパロディ的な印象も。第2幕冒頭の音楽に、なんとなく「ばらの騎士」の幕切れを連想したのだが、途中で「銀のばら」ならぬ「金のばら」が出てきた。
●しかしパロディということであれば、なんといってもここにあるのはワーグナーの「ラインの黄金」であり「ニーベルングの指環」だろう。演出上でも明示されていたように、「ダナエの愛」でのユピテルは、「ラインの黄金」でのヴォータンだ。黄金のモチーフも共通する。富と呪いは表裏一体。しかし物語の主題という点では裏返しになっていて、ワーグナーでは黄金の呪いが愛を断念させるが、ここでは愛が呪いに勝利する。
●「指環」以外にもうひとつ連想するのはプッチーニの「マノン・レスコー」。ここでも「ダナエの愛」は裏返しの関係にある。ダナエも最初は富に魅了されているのだが、「マノン・レスコー」のように一線を越えることはなく、愛が黄金に勝る。ともにふたりは最後に荒野にたどり着くが、「マノン・レスコー」では破滅が訪れるのに対し、「ダナエの愛」では愛の巣が営まれる。
●しゃれっ気のある外観に、真摯で切実なテーマが込められているといったところだろうか。上演してみればみんな口をそろえて称賛する一方で、これまでもこれからもそうそう上演されないだろうとも思うわけで、やっぱりそこには「愛は勝つ」という正しいテーマゆえの物語の弱さがあるんじゃないだろうか。愛よりも富、みたいなまちがった選択から起動する推進装置が取り付けられていないというか。しかし、これは1930年代末から40年代にかけてドイツで書かれた作品。富/権力よりも愛、人間性の勝利というテーマの尊さ、切実さは今のワタシらに容易に推し量れるものではないだろう。
●演出面でもよく練られていて説得力のある舞台だったと思うが、第3幕で唐突な原発事故モチーフが出てきた点だけは共感できない。せっかく感動的なダナエの懐妊が用意されていたのに。声楽陣ではミダスが圧巻。準・メルクル指揮の東フィルは精妙でニュアンスに富んでいた。新国でもぜひ。

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