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May 24, 2016

新国立劇場、フォークトの「ローエングリン」

●23日は新国立劇場でワーグナー「ローエングリン」初日。題名訳にクラウス・フロリアン・フォークトが2012年公演に続いて登場。エルザにマヌエラ・ウール、ハインリヒ国王にアンドレアス・バウアー、テルラムントにユルゲン・リン、オルトルートにペトラ・ラング。飯守泰次郎指揮東フィル、マティアス・フォン・シュテークマンの演出。
●とにかくフォークトに尽きる。こんなにまろやかでリリカルな声なのに、だれよりも声量がある。無理がなくて自然体で、ニュアンスに富んだローエングリン。そんなものがありうるとは。ほとんどフォークトを聴くだけで充足できるくらいの公演だが、ほかのキャストもなかなかの充実ぶり。ビジュアル面でも納得。東フィルもパワフルで、風格の漂う重々しいワーグナー。背景に格子状の電光パネルを配置したシュテークマン演出は、小さな理屈の積み重ねが説得力につながっていないように感じてまるで肌が合わないのだが、これだけの声とオケが聴ければもうなんだって受け入れられるかも。
ワーグナー●この演出から離れて「ローエングリン」という作品について。改めて異教徒ポジションにいる自分を再確認する。神の奇跡と妖術との間にあるのは信じる神の違いでしかない。神意を後ろ盾にするローエングリン側と、ゲルマンの神々を信じるオルトルート側とどちら側に共感できるだろうか。気がつくとオルトルート側から物語を眺めている自分。「神明裁判」ってあるじゃないすか。あれを見て「真田丸」の鉄火起請を思い出す。争いごとを解決するために、熱く焼けた鉄を素手で運んで耐えられたほうが神意によって勝ち。決闘で決着するのもなにも変わらないわけで、オルトルート側から見てるとモンサルヴァート城の連中は野蛮なカルト集団にしか思えない。
●一方で、「ローエングリン」は「指環」がそうであるように、ファンタジーの外形をまとったファミリー・ドラマなんだなとも思う。第3幕、結婚行進曲の後、すぐに夫婦ゲンカが始まるというリアリズム。ケンカの原因は明らかだ。旦那は仕事の話しかしない。王が、神意が、使命が。男は社会的な動物なので。でも妻が聞きたいのはそんな話ではない。あなたの名前を教えてほしい、あたなはどこから来たのか、あなたはどんな人? わたしとあなたの二者間の話をしたいのに、旦那の頭のなかには世界の成り立ちしかないという見事なすれ違い。夫婦ゲンカの最中にカジュアルに瞬殺されてるテルラムントが悲しすぎる。
●ローエングリンも堅いこといわないで、仮の名前でもいいから教えてあげればいいんじゃないかと思うんすよねー。名前がないとそりゃ奥さんは不便だもの。トリスタンがタントリスと名乗ったみたいに、名無しなら名無しで権兵衛とかでもいいと思う。吾輩は白鳥の騎士、権兵衛でござる!みたいな思い切りがときには必要。

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