September 23, 2016

「ピアニストは語る」(ヴァレリー・アファナシエフ著/講談社現代新書)

●ヴァレリー・アファナシエフ著の「ピアニストは語る」を読んでいる。表紙にはクレジットされていないが(どうして?)、青澤隆明さんのインタビュー&構成による一冊。インタビューで本一冊分ができるほど語るべき事柄を持っているピアニストは決して多くない。鬼才アファナシエフのこと、衒学的で難解な話が続くのかと思い身構えて読み始めたが、思いのほか読みやすく、おもしろい(特に前半)。
●前後半で二部構成になっていて、前半は「人生」、後半は「音楽」。前半はこれまでの生涯を振り返っているのだが、ソ連時代の逸話の数々が興味深い。そう、もうすっかり忘れていたけど、アファナシエフはソ連の教育システムで学び、コンクール(特にエリザベート王妃国際コンクール)で世に出た人だったんすよね。ハイライトはソ連からベルギーへと政治亡命するくだり。
●自由に出国することができず、国外へと出るときは国内にだれか身内を人質として置いていなければならず、モスクワにいてすら新鮮な肉が手に入らずやっとハンガリー産の冷凍肉が買えたという「なにもかも馬鹿げていた」ソ連。そこから逃れようと思ったら、外国人との結婚か亡命の二者択一しかないという状況で、いったいどうやって国を出るか。そのプロセスがなかなか強烈。エリザベート王妃国際コンクールにソ連代表として(そういう制度だった)参加できることになったところ、KGBに「アファナシエフは亡命したがっている」という匿名の告発の手紙が届く。出発前日に役所に出向いても一向にパスポートが受け取れず、文化大臣に一筆書いてもらって、それから絶望的な気分で何時間もやきもきしながら待ち続けてようやく受け取れたというあたりは印象的。結局このときは母親が病気だったため帰国するのだが、母が亡くなった後にふたたびベルギーに演奏旅行するチャンスが訪れて、アファナシエフはそのチャンスに賭けた。実のところソ連国内で迫害を受けていたわけでもない若いピアニストに政治亡命できる理由などはなかったのだが、それでも幸運と他人の助力に恵まれて、紙一重のところで亡命がかなう。ほんのささいなことで人の運命がどれだけ左右されることかを痛感する。大使館に拉致され、睡眠薬で眠らされ、目が覚めたときには精神病棟の中だったということだってあり得た、というのだから。
●アファナシエフは個人的にも恩恵を被っていたギレリスのことを敬愛する一方で、リヒテルに対してはずいぶん醒めた見方をしているのも興味深い。あと、ショスタコーヴィチに対する見方も。

「私にとってショスタコーヴィチは典型的なソ連の作曲家──ほかの作品はともかく、その交響曲たるやあまりにも素朴すぎです」
「ソ連のことを知らずには、ショスタコーヴィチの交響曲は決して理解することはできません。私はしょっちゅうコンサートに行っていましたが、それでもショスタコーヴィチの初演には行ったことがありませんでした。初演に臨席するソ連のお偉方たちに我慢がならなかったからです。ソ連の作曲家や演奏家は国家の宝だと言われていました。しかしすべてはソ連というコンテクストに則っていた以上、私は彼らを嫌悪していました」

●アファナシエフの芸術に深く共感する人にはきっと第2部が示唆に富んでいることだろう。「人生とは絶え間なくハーモニーを探求すること。そして完全なるハーモニーとは死だけです」といったアファナシエフ節が全開になっている。

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