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Booksの最近のブログ記事

January 16, 2025

「ママは何でも知っている」のオペラマニア殺人事件

●ジェイムズ・ヤッフェ著のミステリに「ママは何でも知っている」(小尾芙佐訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)という短篇集がある。いわゆる安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)もののシリーズで、主人公は刑事なのだが、いつも事件の解決役はそのママ。ママが息子から話を聞いただけで、事件を解決してしまうという趣向の短篇が並ぶ。アイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」シリーズでいえば老給仕ヘンリーの役柄を、ここでは「ママ」が担っている。
●そのなかの一篇「ママ、アリアを唄う」では、ニューヨークのメトロポリタン・オペラが事件の舞台となる。ママは土曜日の午後のメトロポリタン・オペラのラジオ中継は欠かさず聴くというオペラ・ファン。そのママに向かって、息子である刑事が事件のあらましを話す。事件の登場人物となるのは、長年対立してきたオペラマニアの老人ふたり。ひとりはコーエン、もうひとりはダンジェロ。ふたりは立見席の常連で、熱狂的なオペラ・ファンなのだが、ことごとく趣味が合わない。刑事である息子はこう語る。

コーエンとダンジェロの口論は近年はとみに激しさを加えていたそうなんだ。全世界のオペラ・ファンのあいだで議論沸騰している論争が、ふたりの仲を悪化させていた。現存のソプラノでもっとも偉大なのはだれか──マリア・カラスかレナータ・テバルディか?

●ダンジェロはテバルディ派。コーエンはカラス派である。

ダンジェロはある日こう宣言した、テバルディはかぐわしい、カラスの声はおんどりだ──すぐさまコーエンがやり返した、カラスは神々しい、テバルディの歌はひびの入ったレコードだ。

一般向けのミステリ小説で、登場人物がこんなケンカをしているのだ。カラスが「椿姫」を歌ったときなど、ダンジェロは「カラスのへたくそ椿姫を聴かずにすめば、一生幸せに暮らせる。今晩ここにやってきたのは、テノールのリチャード・タッカーを聴くためだ」とまで言う。で、後日、テバルディが「トスカ」を歌った際に、コーエンが劇場で急死する。毒殺されたのだ。刑事である息子は、犯人はダンジェロにちがいないと考えるが、ママは……というお話。
●これを読んで、いったいいつ書かれた小説なのかと奥付を見たら、マルC表示は1952年から1968年にかけて。カラスがメトに初めて出演したのが1956年なので、その頃に書かれたものだろうか。時代の空気が伝わってくる愉快なミステリ。

January 7, 2025

「小説」(野崎まど)

●年末年始に読んだ本その2。野崎まど著「小説」(講談社)。ほぼ予備知識なしで手にした一冊だが、途中からまったく予測していなかった方向に話が進んで、心底驚いた。だいたい小説のタイトルが「小説」。なんという豪胆なネーミングなのかと思ったが、読めば納得できる。たいへんおもしろい。
●テーマは小説そのもの。小説を読むことに魅入られた若者が、小説を通じて生涯の友と出会う。ともに本の世界にしか居場所を見つけられない不器用な若者同士。序盤の展開に藤本タツキ「ルックバック」を連想したのだが、やがて小説についての小説になるという点でモアメド・ムブガル・サールの「人類の深奥に秘められた記憶」を思い出し、最後はとある名作みたいだなと思った。渾身の一作であるにもかかわらず、話が長くなくて読みやすいのは大吉。ジャンルで括ってはいけないタイプの小説だと思う。

January 6, 2025

「なんでかなの記」(濱田滋郎著)

●年末年始に読んだ本を。「なんでかなの記」(濱田滋郎著/言言句句)。2021年に86歳で世を去った音楽評論家の濱田滋郎先生の自伝。あまりにおもしろくて、読みだしたら止まらなくなってしまった。濱田先生の印象といえば、音楽への純粋な愛情にあふれ、一切偉ぶることのない人。だれもから尊敬される人だったと思う。クラシック音楽全般に対して該博であり、とりわけスペイン音楽についての知識と理解は右に出る者がおらず、スペイン語も堪能だった。昔、雑誌編集者時代にアリシア・デ・ラローチャのインタビュー取材に同行したことがあったが、濱田先生とラローチャは旧知の間柄といった様子でごく自然にスペイン語で会話をしていた。こういう場合、通訳不在になるので、そばにいる自分は会話の内容がまったくわからない。テープレコーダーのスイッチを入れたら後はお任せするしかない。
●でも、濱田先生はなぜスペイン語ができるのか。自分はそれまでに何度か原稿をお願いしていたにもかかわらず、先生の経歴をまったく知らなかった。すでに著名な先生だったので、気にもならなかったのだ。きっと幼少時にスペインで暮らしていたとか、あるいはお顔立ちからするとスペイン系の血が入っているのではないかとか、そんな勝手な想像をしていたのだが、この本を読んで本当に驚いた。濱田先生のスペイン語は独学なのだ。日本にいて本で学んだという。日比谷高校を健康上の理由で中退し、スペイン音楽が好きだからとスペイン語の入門書で学び、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を原文で読破し、やがて翻訳をするようになった。その後、スペインの音楽家たちとの交流を通して、それまで自信がなかった会話能力を磨いたというのだ。初めてスペインを訪れたのは48歳になってから! もちろん、その頃にはすでに評論でも翻訳でも豊富な実績を積んでいた。初めてスペインに足を踏み入れ、そこで「懐かしさ」を感じたという記述は本書のハイライトだろう。
●若い頃の文筆の仕事で一本立ちするまでの経緯も率直に書かれていて、実に興味深い。まだあまり仕事がなく、奥さんの失業保険を頼りに暮らしていた頃、コロムビア・レコードの「スペイン民俗音楽大系」の解説と歌詞の翻訳の仕事が舞い込み、この仕事に尽力したことがきっかけで他社からも声がかかり、30代でようやく生計を立てていけるようになったという。「当時の収入の大半を占めたレコード解説、歌詞対訳の仕事ですが、現在ではおそらくありえないことで、この点からも私は時代に恵まれたのでしょう」と記されている。たしかに当時は今とは比較にならないほどレコードの仕事がたくさんあった。でも、濱田先生の場合、時代が違えばまた違った種類の仕事がどんどんやってきて、〆切に追われる身になったんじゃないだろうか。
●本のおしまいのほうに、家族日記の一ページが公開されている。この濱田先生の筆跡が懐かしかった。原稿用紙の升目いっぱいに文字を書くスタイルで、読みやすい筆跡だった。

December 27, 2024

シェイクスピアの「ハムレット」には有名曲がない

●「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」「尼寺へ行け!」「復讐するは我にあり」「弱き者、汝の名は女」。名言がたっぷりつまってるけど、シェイクスピアの「ハムレット」にはオペラの名作がない。トマのグランドオペラ「ハムレット」は当時大成功を収めたそうなんだけど、今ではめったに上演されない。管弦楽曲としてもチャイコフスキー、リスト、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチが「ハムレット」を書いてるが、ビッグネームがそろってるわりには、どれも有名曲とはいいがたい。「ロメオとジュリエット」や「真夏の夜の夢」「ウィンザーの陽気な女房たち(ファルスタッフ)」に比べると、「ハムレット」の音楽化はなかなか難しい様子。でも、ストーリーはかなりおもしろいと思うんすよね。
●で、先日、NHK「100分de名著」の「シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ」(河合祥一郎著)を読んで、自分が「ハムレット」をぜんぜんわかっていなかったことを思い知った。たとえば、ハムレットって、優柔不断なひょろっとした男子みたいなイメージでとらえがちじゃないすか。でも、それは伝統的な誤解ともいうべきもので、父王を殺されたハムレットが復讐を逡巡するのは、父の亡霊が本物なのか、それとも悪魔なのかを迷ってるからだ、って言うんすよね。実際、シェイクスピアのテキストにそう書いてある。で、なるほどと思ったのはこの話。

実はここには、カトリックとプロテスタントという、当時の宗教問題が関係してきます。亡霊という存在を認めるのはカトリックだけで、プロテスタントでは死者の亡霊などというものは認めていません。プロテスタントの見方からすれば、これは悪魔が見せる幻影ということになります。つまりハムレットは、カトリックとプロテスタントのあいだで揺れているという解釈もできるのです。

自分は日本的な感性から「父王の亡霊」という存在をあまりにすんなりと受け入れてしまい、ハムレットの迷いがぜんぜんピンと来ていなかった。このカトリックかプロテスタントか、という問題がひいては中世的な情熱か近代的な理性かという選択肢につながってくるというのだ。ハムレットの周りにいる登場人物では、レアーティーズが情熱の人、ホレイシオが理性の人という対比がある。
●もうひとつ、びっくりしたのがこの話。シェイクスピアの劇は近代演劇とは違うという文脈で、こう記されている。

当時はそもそも役者に台本すら配らなかったのです。著作権のない時代ですから、金に困った役者が台本を別の劇団に売って、儲けようとしたら困るからです。ではどうやって稽古をしたのかといえば、役者ごとに台詞ときっかけだけを写した書き抜きを配りました。つまり役者は相手役の台詞も知らないし、通し稽古で初めて芝居の全貌を知るということになります。それぞれに自分の台詞だけが書かれた巻物(roll)を持って稽古したので、のちに役のことをロール(role)と呼ぶようになったのです。

わわ、これ知ってた? 読んでいて思わずのけぞった。「ロール」って、そういうことだったんだ。あと、役者が受け取る「ロール」って、オーケストラの「パート譜」みたいだなと思った。

December 26, 2024

「日本生まれのインド人、メタ・バラッツのスパイスカレーユニバース」

●えっ、ウソでしょ……わわ、ホントに無料だ! 期間限定なのかどうかもわからないのだが、Kindle本の「日本生まれのインド人、メタ・バラッツのスパイスカレーユニバース」(インターネットオブスパイス)が無料で提供されている。これがスゴいのだ。なんと、全1700ページ(!)を超える膨大なカレー・レシピ集。レシピは400種類以上あるだろうか。で、サンプルを見てもらえばわかるように、デザインも写真もしっかりしていて、書店に並んでいてまったくおかしくないクオリティ。
●これがなぜ無料なのか、さっぱりわからないのだが、開いてみると前書きがいきなりパンチの効いた一言で始まる。著者のメタ・バラッツさんは言う。

スパイスを使えるようになれば何にでもなれるしどこにでもいける。

なんだか、ぐっと来る詩的な一言だ。スパイスを使えるようになりたいぜー。
●なんとなく置いてみる、カレーラス「ザ・グレイテスト・ヒッツ50」(唐突すぎ)。

December 24, 2024

ガルシア・マルケスの「悪い時」 (光文社古典新訳文庫)

●今年の本を一冊選ぶならガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」(→参照)以外にありえないが、先日、書店で同じガルシア・マルケスの「悪い時」(寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫)が出ているのを発見。さっそく読む。「百年の孤独」のようなマジックリアリズムではなく、リアリズムに即した若き日の作品だが、「百年の孤独」前夜的なムードもしっかり感じられる。比較的短い小説だが、粗削りで、読みやすくはない。でも、いま読むべき一冊だと思う。
●舞台となっているのは「暴力時代」後のコロンビアの小さな街。暴力が過ぎ去った後、街には均衡が訪れている。だが、強権的に平和を維持している側と、恨みを抱えたまま耐える側がかろうじてともに暮らす。そんな街で人々の秘密や噂を書いたビラがあちこちに貼られる。だれが書いたかわからないビラに、人々は動揺したり、無視を決め込んだりするが、次第に不信が渦巻き、ときに暴発する。といっても物語のトーンは陰惨ではない。日常のなかでなにかが燻っていく様子がひたひたと描かれてゆく。
●印象的なのが歯医者のエピソード。権力者側の町長は虫歯の痛みに耐えている。いくら鎮痛剤を飲んでも耐えられないくらいまでずっと耐え続ける。なぜなら、歯医者は敵対者側だから。二週間もずっと痛みに耐え続けた町長は、ついに歯医者を訪ねる。と言っても、武装警官3人を引き連れて突然、歯医者に乗り込んで、銃口を向けて抜歯を命ずるのだ。歯科医は平然と仕事にとりかかる。町長は歯科医と目と目が合ったときに手首をつかんで「麻酔」と言うが、歯科医は優しい口調で答える。「あなた方が人を殺すときは麻酔なしでしょう」。これは名場面だ。
●でも、この場面、以前に読まなかったっけ? と思ったら、「ガルシア=マルケス中短篇傑作選」(野谷文昭訳/河出文庫)収載の短篇「ついにその日が」がほぼ同じエピソードを取り出した作品だった(→参照)。この短篇集には「悪い時」と同時期の名高い中篇「大佐に手紙は来ない」が収められている。こちらも強くオススメ。
●このエピソードが強い印象を残すのは、自分に敵意を持つ歯医者というシチュエーションの恐ろしさゆえだろう。そこには潜在的な歯医者さんに対するうっすらとした恐怖があるはずで、大昔に見たダスティン・ホフマン主演の映画「マラソンマン」(1976)では、元ナチ戦犯の拷問歯科医が出てきて、主人公の歯をドリルで痛めつけて悲鳴が上がるシーンがあったと記憶する。脚本家はガルシア・マルケスを読んでいるだろうか。

November 15, 2024

「アイヴズを聴く 自国アメリカを変奏した男」(J.ピーター バークホルダー著)

●今年発売された音楽書のなかで、これほど待ち望んでいた一冊はなかった。「アイヴズを聴く 自国アメリカを変奏した男」(J.ピーター バークホルダー著/奥田恵二訳/アルテスパブリッシング)。これまで日本語で読めるアイヴズ本がほとんどなかったところに、ついに登場した決定的な評伝であり作品論でもある。堂々544ページにわたる大著なので、お値段もそこそこする。以前から、この本の翻訳が進んでいることは耳にしていたのだが、これだけの分量となるとさまざまな過程で難航してもおかしくないわけで、なんとかアイヴズ生誕150年に間に合ってくれて本当によかった。
●いつもなら本は読んでから紹介するのだが、これはそうそう読み切れないので、まだごく一部を読んだところ。この一冊は頭から読むよりは、読みたいところから読むのがいいと思う。たとえば、偉大な作品、「コンコード・ソナタ」から読む。なんと、この一曲のために第10章「アメリカ文学」の章まるまる46ページが割かれているのだ。ピアノ・ソナタ一曲に46ページっすよ! この章が「アメリカ文学」と題されているように、「コンコード・ソナタ」が文学由来の作品だということは、もっと意識されるべきことかもしれない。著者は言う。

「コンコード・ソナタ」は、究極的にはロマン的な衝動を反映した近代音楽作品ということになる。それはメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」や、リストの「ダンテ・ソナタ」および「ファウスト交響曲」、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」および「ドン・キホーテ」その他、数えきれぬほどの19世紀の器楽作品と同様、文学作品に触発された作品であり、ロマン的なピアノ書法──即興的な夢幻性から単純な歌謡性にいたる様式、緊張度の高い半音階主義から明瞭な機能和声にいたる調性感、深刻な発言から軽妙な遊び感覚にいたる表現性を含み込んだ書法──を大幅に採りいれた作品である。

この一文を読んだだけでも、「コンコード・ソナタ」の聴き方が変わってこないだろうか。
●あと、まっさきに読んだのは保険会社のくだり。アイヴズといえば「不協和音のために飢えるのはまっぴら」と言って、保険会社を設立して生計を立てたとよく言われる。その保険会社が際立った成功を収めたことはあちこちで目にしていたが、もう少し詳しい事情を知りたいと思っていたのだ。保険会社というか、保険代理店で保険を売っていたわけだが、アイヴズはもともと保険代理店の社員にすぎなかった。ところが勤務先でスキャンダルが発覚し、この会社が解散することになり、アイヴズは同僚と一緒に新たに会社を立ち上げた。この会社が急成長を遂げてアイヴズは財を成した。しかし、アイヴズ自身は決して自ら保険の販売を手がけなかったという。その代わり、保険額を決めるシステマティックな方法をパンフレットにまとめ、研修資料を作り、保険の代理人養成のための学校を初めて開いた。アイヴズが導入した方式によって「代理店の保険販売業務は完全に様変わりした」というのだから、保険業界へのインパクトは相当に大きかったようだ。そして、その原動力は経済的に成功したいという欲求ではなく、保険により世の家庭は守られるべきという崇高な理念にもとづく理想主義だったという点は、作曲家としてのアイヴズの姿と重なっているように思える。

November 6, 2024

クリストファー・プリースト「双生児」

●今年2月に世を去ったイギリスの作家、クリストファー・プリーストの「双生児」(古沢嘉通訳/ハヤカワ文庫FT)を読む。今さらだけど、恐るべき傑作。あまりにもよくできていて、完璧な小説だと思った。枠物語になっていて、イギリスの歴史ノンフィクション作家が第二次世界大戦中に活躍したJ.L.ソウヤーなる人物の生涯を追いかけるという体裁。で、このJ.L.ソウヤーは同じイニシャルを持つジャックとジョーの兄弟で、一卵性双生児なのだ。ジャックは英国空軍爆撃機の操縦士を務め、ジョーは良心的兵役拒否者になって赤十字で働く。同じ遺伝子を持って生まれながら、正反対の価値観を身につけており、戦時にまったく別の役割を果たす。ふたりは同じドイツ人女性に恋をして……といったロマンス要素もありつつ、ナチスのルドルフ・ヘスが戦時中に単身でイギリスに渡ったという歴史的事実が絡んでくる。
●が、読み進めていくと、途中でそれまでと食い違った記述にぶつかる。ジャックからの視点、ジョーからの視点、さらには第三者からの視点で、描かれる現実が異なっているのだ。個人の見方の違いではなく、歴史の流れそのものが違っており、戦争の結末も異なる。どうやら大きく見ると私たちの知る歴史と、そうではない別の歴史のふたつが流れているらしい。同じ登場人物がそれぞれの流れのなかで別の運命を迎える。そもそも物語の語り手は信用できるのか、登場人物が幻覚にとらわれる場面などもあり、現実と虚構の境目はどんどん曖昧になる。読み終わった後、「ええっ!?」となって、もう一度、頭からざっと目を通している。
●この小説のよくできたところは、無理に仕掛けを見抜こうとして読まなくても、十分におもしろいところ。すいすい読める。そしていろんな読み方ができる。現実に侵食する虚構や意識の混濁を描いた小説としても読めるし、20世紀イギリス版マジック・リアリズムによる幻想文学としても読めるし、量子論的並行宇宙を生きる双子SFとしても読める。同じ作家の「隣接界」もある程度共通するテーマを扱っているのだが、「双生児」に比べると粗削りというか、野心的すぎるところがあって、「双生児」のほうがより明快で、読者を選ばないと思う。

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