Booksの最近のブログ記事

October 19, 2021

フットボール批評issue32 特集 禁断の「脱J2魔境マニュアル」

●6月発売の雑誌を今頃になって買う。フットボール批評issue32 特集 禁断の「脱J2魔境マニュアル」。J2がおもしろいというのは自分にとってあまりに当然のことなのだが、そのおもしろさの源泉を言語化しているのがこの特集記事。J2クラブを応援している人はもちろんのこと、あらゆるサッカーファンにとって興味深い内容になっていると思う。というのもJ2では多くのクラブが非常に戦術的なサッカーを展開しており、哲学の違いがはっきりと現れているから。現代サッカー界の二大潮流としてポジショナルプレーとストーミングがよく挙げられるが、それらがJ2にも浸透している様子が伝わってくる。
●巻頭のインタビューは、ポジショナルプレーの勝利者、アルビレックス新潟のアルベルト監督。長くカウンターサッカーを主体とした新潟に、まったく異なるチームスタイルを定着させ、チームを躍進に導いた。この取材時と比べると今の新潟は順位を落としているかもしれないが(現在5位:J2順位表)、それでも新潟サポは以前よりがぜん試合観戦が楽しくなっているはず。マリノスにポステコグルー前監督がやってきたときと少し似ている。
●が、それ以上に目をひくのはブラウブリッツ秋田。「秋田から吹く熱風 ノーザンストーミングフットボールの正体」と題した記事で、秋田の吉田謙監督に取材している。秋田はJ3でボール支配率最下位、パス成功率最下位を記録しながら圧倒的な強さで優勝し、J2に昇格した。そして、J2でも同じような戦い方でリーグ中位に留まる大健闘を見せている。ワタシも大宮対秋田戦をスタジアムで観戦した際、秋田の選手たちのフィジカルの強さ、ムキムキの筋肉には目を見張った。「ノーザンストーミングフットボール」とはうまいことを言うなと思ったが、激しいプレスでボールを狩り、奪ったらゴールに一直線に向かう。ポゼッションなど一切気にしていない。しかも吉田監督の言葉づかいがまったく独特で、気取った戦術用語などまるで使わず、むしろ部活サッカー的な香りが漂っている。「球際」ではなく「魂際」、「プレスをかけろ」ではなく「噛みつけ」、チームのモットーは「寄せる距離は仲間を裏切らない」。「礼儀正しさは最高の攻撃力」という吉田語録もサッカーの話なんだか、社会人としてのあり方なんだかよくわからないが説得力がある。新潟と秋田ではこれが同じ競技なのかと思うほど違った戦い方をしているが、どちらも結果につながっているのがサッカーのおもしろさ。

October 12, 2021

「ショパンゾンビ・コンテスタント」

●さて、現在ショパン・コンクールが開催中ということで連日ショパン漬けになっている方も多いのではないかと思うが、そこでふと思い出すのがあの小説だ。芥川賞作家の町屋良平著「ショパンゾンビ・コンテスタント」(新潮社)。以前、当欄にて「ゾンビとわたし その40」で取り上げたように、これは音大のピアノ科に入学した若者が大学を辞め、小説を書こうとするも煮え切らない日々を送るという青春小説だ。ショパンばかりを聴いていて気分転換をしたくなったという方にぴったり。登場人物がYouTubeで2015年のショパン・コンクールを眺めている場面が出てきて、ケイト・リュウとかエリック・ルーの名前も登場する。ひとつ大誤算だったのは、肝心のゾンビが出てこないということなのだがっ!
●てっきりワルシャワの聖十字架教会に眠るショパンの心臓から、ゾンビ化したショパンが甦って大暴れする話だと思ったのに……。ショパン本人がショパン・コンクールにエントリーしてどこまで進めるか、みたいな展開はない。

October 6, 2021

フォークナーの「納屋は燃える」

●少し前にフォークナーの「響きと怒り」、そして映画「バーニング 劇場版」とフォークナー「響きと怒り」について書いた。で、イ・チャンドン監督の映画「バーニング 劇場版」の原作は村上春樹の短篇「納屋を焼く」なんだけど、もうひとつの参照元かもしれないフォークナーの短編「納屋は燃える」も読んでみた(新潮文庫「フォークナー短篇集」所収)。
●こちらも他のフォークナー作品と同様にアメリカ南部が舞台で、放火癖のある暴力的な父親と、その息子の物語が描かれる。「響きと怒り」は立派な屋敷に住む白人とそこで仕える黒人たちの物語だったが、「納屋は燃える」の父親は白人労働者で、仕事を求めて家から家へと一家で渡り歩いている。住み込みで農作業を手伝うのだが、雇われ先でケチな嫌がらせみたいなことをした挙句、納屋に火をつけてはヨソの土地に去っていく。息子はそれをいけないことだと知っているのだが、子供には父親という絶対権力に背く術がない。ざっくり言えば、父親という圧政からの独立がテーマ。映画「バーニング 劇場版」と直接的な結びつきはないにせよ、暴力で裁判沙汰になっている主人公の父親像などは、このフォークナーの世界と通じる部分があるのかも。

October 1, 2021

「翻訳教室」(柴田元幸著/朝日文庫)

●これは新刊ではなく、ずいぶん前に出た本なのだが、最近少しずつ「翻訳教室」(柴田元幸著)を読み進めている。中身は東大文学部での翻訳演習の講義をほとんどそのまま収めたもので、毎回、課題文が配布されて学生全員が訳文を提出し、だれか学生の訳文例をもとに、他の学生や教師が疑問や改善案をぶつけ合うスタイルの講義。学生側から意見が活発に出ていて、その内容もかなり高度だと感じる。そして、それに対する柴田氏の回答に目からウロコが落ちまくる。プロの翻訳ってこんなにも一語一語を疎かにしないんだ、ここまで原文を読み込みながら訳語を選んでいるのだと感動する。正確でありながら日本語として自然であるというのは大前提で、その一段上のレベルの話。
●で、とてもためになったことを3つほど書き留めておく。まず「英語の語順で訳すほうがいいという大原則」について。これはいろんな人が言っている翻訳の基本だとは思うのだが(もちろん例外もいくらでもある)、その実例を見ると、どうすればいいのか、なぜそうなのかが腑に落ちる。たとえばレイモンド・カーヴァーにある一文。

He was in the bedroom pushing clothes into a suitcase when she came to the door.

これに対する学生訳の例が、「彼女がドアの所までやってきたとき、彼は寝室で洋服をスーツケースに詰め込んでいるところだった」となっている。受験英語だったらみんなwhen~を先に出して「~したとき」で始めるので正解だと思うけど、これに対して別の学生から語順通りに訳すべきだと指摘が入る。で、柴田先生が同意して、こういう訳文に直す。「彼が寝室で洋服をスーツケースに詰め込んでいると、彼女がドアの所までやってきた」。なるほど、そうだよなあと思うじゃないっすか。こちらが自然だし、本質的に原文に忠実だと思える。詳しい解説は本書参照で。
●ふたつめは、And~ と But~。バリー・ユアグローの一文で、ここは前後の文脈がないとピンと来ない話だとは思うんだけど、Andを「しかし」と訳すといい場合がしばしばあるという話。原文はこう。

And the carp flit about, swishing their tails, blinking grimly at the scene.

学生訳は「しかし鯉はすいすいと泳ぎ回っている。尾鰭を軽く振り、人間の演ずる一幕をまばたきしながら冷ややかに眺めている」。前の文がないとどうしてこういう訳なのかわからないとは思うが、とにかくAndを「しかし」と訳している。これに対して柴田先生は素直に感心している。柴田訳は「そして」なんだけど、学生の「しかし」を讃えているのだ。別の場所で、Butを「そして」と訳したほうがうまくいくケースがあるという話も出てきて、これもよくわかる話だと思った。普通の日本語の文章であっても「そして」と「しかし」が置換可能な場面は意外とあると思う。
●三つめはシンプルに単語の意味なんだけど、hurt。これもレイモンド・カーヴァーに出てくる文で、赤ん坊を父親と母親でひっぱって奪い合う場面で、You're hurting the baby という一節が出てくる。これは優秀な学生たちでもほとんどがまちがえてしまった文で、「赤ん坊が怪我するわ」みたいに訳している。柴田先生によればそれは単純な誤訳のレベルで、ここでのhurtは「痛い」「痛くさせる」の意。だから「赤ん坊が痛がってるでしょう」というのが正解。よく考えてみれば父親と母親で赤ん坊を引っ張り合っている場面で「怪我する」なんて日本語表現は出てこないので、なにかおかしいと感じるべきなんだろうけど、なかなか「痛がってるでしょう」は出てこない。ちなみに、注射をするときに「痛い?」と聞くときは Does it hurt? と言うんだとか。
●まだ冒頭の4分の1くらいしか読んでいないけどこの調子。自分の語学力の低さゆえでもあるのだが、かなり歯ごたえがあり、平伏しながら読んでいる。

September 29, 2021

「『超』音楽対談 オーケストラに未来はあるか」(浦久俊彦、山田和樹著/アルテスパブリッシング)

●「『超』音楽対談 オーケストラに未来はあるか」(浦久俊彦、山田和樹著/アルテスパブリッシング)を読んだ。文化芸術プロデューサーの浦久俊彦さんと指揮者の山田和樹さんの対談シリーズをまとめた一冊。副題にもなっている「オーケストラに未来はあるか?」という問いに対して山田和樹さんが「ない!」と即答する場面が帯に記されているのだが、そこから期待できる通り、とてもオープンで刺激的な対談本だった。一見、わりと分厚い本で「えっ、対談本なのにこんな学術書みたいな厚さになっちゃうの? 半分の長さに削ればいいじゃないの」と思ったのだが、読んでみるとわかる、これは対談ならではのライブ感を本の形に収めるために必要な厚さだったのだ、と。実際、中身はぜんぜんアカデミックではなく(むしろどちらかといえばアンチアカデミック)、自由奔放で、意気投合したふたりの前のめりの姿勢におもしろさがある。
●特に印象的だった場所を記しておくと、「オーケストラの感動率とヘタウマの微妙な関係?」で山田和樹さんが言う「自分がお客さんとして聴いたとき、感動する割合は、日本のオーケストラのほうが断然多い」という話。ベルリン・フィルやウィーン・フィルはもちろんすばらしいんだけど、感動するという点ではうまいかヘタかはあまり関係がなくて、むしろうまいとされるオーケストラのほうが感動率は下がる、と。そこから派生して「うまいオーケストラは最低点が高い」、でも発展途上のオーケストラのほうが「とんでもないホームランをかっ飛ばすことがある」。このあたりの感覚は東京の熱心な聴衆が抱いている実感とかなり合致しているんじゃないだろうか。あるいは、そのホームランに立ち会うためにホールに通っているお客さんと、ハイアベレージな一流海外オケを聴くお客さんとに分断している傾向もあるかもしれない。
●で、わりと思い切った話も出てくるので(書き原稿ではなかなか出ない、対談ならではの勢い)、文脈から引き離して一部だけ引用すると誤解を招きそうな場所がいっぱいあるんだけど、浦久さんがたびたび現状の音楽界について問題提起している部分、たとえば「クラシック音楽は、いつからエラくなったのか?」とか終章の「『文化としての芸術』とは?」のあたりが特に興味深い。後者のほうで、「アートとしての芸術」には公金を投入する必要ない、でも「文化としての芸術」には惜しみなく公金や投入しようという提言があって、読んでみると一瞬なるほど!と膝を打ったんだけど、よく考えてみるとその境界は自分にはわからない。でもそのあたりが本書の肝かも。

September 24, 2021

「ヨルガオ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著/創元推理文庫)

●アンソニー・ホロヴィッツの「ヨルガオ殺人事件」(創元推理文庫)読了。こんなにおもしろいミステリを読んでしまうと、次になにを読めばいいのか困ってしまう。前作「カササギ殺人事件」の続編という扱いで、今回も「小説内小説」の趣向がとられている。外枠の小説で事件が起きて、事件を解決する鍵がベストセラーとなったミステリ小説に隠されていることがわかる。主人公はそのミステリ小説の担当編集者だった人物で、これを再読しようと本を開くのだが、そこから読者であるワタシたちもその小説内小説を丸ごと読み始めることになる。入れ子構造が鮮やか。これだけでもかなりアクロバティックなのに、小説内小説のなかで探偵が過去の事件を長々と回想する場面があって、そこは小説内小説内小説みたいになっている。おいおい、「千一夜物語」かよっ!と全力でツッコミを入れたくなる。そんな凝った仕掛けがあるにもかかわらず、読みやすいんだな、これが。
●ミステリとしてはすこぶる古風なスタイルを持ち、小説としては今風のメタフィクション仕立てになっているという離れ業。すさまじい超絶技巧が駆使されているのに、タッチは軽やか。名前がホロヴィッツだけに。
●音楽ネタとしては、モーツァルトの「フィガロの結婚」についての言及がある。登場人物のひとりがスネイプ・モルティングスに「フィガロの結婚」を観にいったという記述があって(舞台はイギリス)、これがいくらか物語にかかわってくる。
●あと、前作と同様「編集者小説」である点も見逃せない。作家が書く編集者小説という時点ですでにひねりが効いているわけで。

August 24, 2021

フォークナー「響きと怒り」(平石貴樹、新納卓也訳/岩波文庫)

●夏休み読書感想文……というわけではないのだが、夏になると普段は手にしないガッツリした古典を読みたくなる。というわけで、ずっと手が出なかったフォークナー「響きと怒り」(平石貴樹、新納卓也訳/岩波文庫)を読む。フォークナーはこれまで「サンクチュアリ」「アブサロム、アブサロム!」「八月の光」と読んできたが、どうしても「響きと怒り」は読みづらいという先入観から敬遠していた。いや、実際、読みづらいのだが、しかしこの岩波文庫版の親切さと来たら! 詳細な訳注のみならず、各章の主要出来事年表、各章の場面転換表、コンプソン家の見取り図などが付いており、すこぶるありがたい。ていうか、これがなかったらわからないことだらけだったはず。最初、クェンティンっていう主要登場人物のひとりが男性だと思っていたら、途中で女性みたいな記述が出てきて混乱したのだが、訳注を見たら「この作品にはキャディの兄とキャディの娘のふたりのクェンティンが登場する」って書いてあって、これは男性にも女性にも使われる名前なのかよっ!と頭をのけぞらせたのであった(生まれる前から男の子であれ女の子であれ、この名前を付けようと決めていたという話だと後からわかる)。
●1920年代の一時期に焦点を当てながら、アメリカ南部の名家の没落が3人の兄弟の視点から描かれる。最初の第1章では、重い知的障害を持ったベンジーの意識の流れが綴られており、現実の出来事がわかりづらく、ひんぱんに記憶が過去に遡ったり戻ってきたりする(訳注等に助けてもらえるのだが)。第2章になるとインテリの兄のクェンティンの視点に変わって、一気に物事がすっきり見通せると思いきや、この兄がやたらと観念的な悲観主義者で、だんだん現実を語っているのか妄想を語っているのか怪しくなってくる。第1章、第2章ともに共感困難な人物が出てきて鬱展開が続くと思ったら、第3章に真の鬱が待っている。この章の主人公である弟ジェイソンは唯一わかりやすい凡人なのだが、その邪な人物像が読んでいて辛すぎる。最後の第4章は三人称の視点から描かれ、黒人召使のある種の気高さに救われ、その宗教的高揚感に圧倒されるも、もはや一家の崩壊は避けられない。つまり、ずっと鬱々としながら読んでいた。南部の抑圧的な空気と出口のない閉塞感、血筋という呪い、身分制度のなかで居場所を定められる黒人たち。暗鬱な土臭さが横溢する物語世界の一方で、叙述のスタイルは緻密に組み立てられたパズルのようで、両者のコントラストが圧倒的な力強さをもたらしている。第1章の前日が第3章、翌日が第4章、そして第2章は18年も昔の日付になっている。第4章まで読んだ後で、もう一度第1章を読み直したくなる。
●「響きと怒り」という題はシェイクスピアの「マクベス」に由来するのだそう。なんとなく文字面からプロテスト・ソング的ななにかを連想していたが、ぜんぜん違っていて、マクベスの「白痴のしゃべることなど、わめきたてる響きと怒りはすさまじいが、なんにも意味はありゃしない」というセリフを引いてきている。つまり、ベンジーのことを指している。シェイクスピアに由来する表現は本文中にも出てきて、第3章でジェイソンはこんなことを言う。

俺は一人前の男なんだし、我慢だってできるんだ、面倒を見てるのは自分の血を分けた肉親なんだし、俺がつきあう女に無礼な口をきく男がいたら、どうせ妬んで言ってることは目の色を見りゃあわかるのさ。

訳注で知ったのだが、これは「ヴェニスの商人」が出典で、嫉妬する者は緑色の目をしているのだという。
●「緑色の目」は「オセロ」でも言及される。イアーゴはオセロに向かって、「嫉妬にご用心なさいませ。嫉妬とは緑色の目をした怪物であり、人の心を弄んで餌食にするのです」と警告する。さて、ヴェルディのオペラ「オテロ」には緑色の目をした怪物は登場するのだろうかと思ったが、記憶にない。ともあれ、これは17世紀から伝わるライフハックとして活用できそうだ。嫉妬心は目の色にあらわれる。

August 13, 2021

「Jリーグ新戦術レポート2020」(西部謙司著/サンエイムック)

●少し前に出た本だが、昨シーズンのJリーグを戦術視点で振り返る「Jリーグ新戦術レポート2020」を読んだ(西部謙司著/サンエイムック)。これは良書。前年のバージョンも読んだが、2020年シーズンがコロナ禍による特殊な一年だったこともあって、さらにおもしろく、ためになる。今シーズンを観るうえでも大いに役立つことはまちがいない。たとえ監督交代や選手の移籍などがあっても、チームには継続性があり、そこに至るまでの物語があるもの。相手がどんな戦い方を基本戦術としてきたかを事前に知っておくだけでも、試合観戦のおもしろさが増す。観戦ガイドとしての実用性が高い。
●で、この本には実は戦術の話以外にもおもしろいところがいくつもあって、ひとつは大学サッカーの話。昨年、川崎の三苫や旗手など、大卒ルーキーたちが大活躍した。かつては大卒の有望新人はJ1下位やJ2ではポジションを獲れても、それより上で安定して活躍するのは厳しいような印象を持っていた。が、今はぜんぜん事情が違う。その理由として、著者と筑波大蹴球部監督の対談で挙がっていたのは、ウイルス禍の影響で交代枠が増えたこと、それと昨季は降格がなかったこと。あと、大学のほうがプロ以上に戦術が整備されている面もあるといい、高橋秀人が「ゾーンディフェンスのやり方は大学のほうが洗練されているかも」と話していたというのがおもしろい。
●大学には組織としてマンパワーがあるという話も目からウロコ。Jリーグは社員20~30人の中小規模組織なのに対して、筑波大学蹴球部だと200人の部員がいる。そのなかには情報学類や社会工学の学生もいて人的資源は豊富なので、分析やマネジメント、トレーニングに活用できるという。このあたりは欧州にはない独自の文化だと感じる。

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