October 6, 2016

新国立劇場「ワルキューレ」 (ゲッツ・フリードリヒ演出)

●5日は新国立劇場で「ワルキューレ」(新制作)。晩年のゲッツ・フリードリヒが1996年からフィンランド国立歌劇場で制作したプロダクションを用いている。昨年の「ラインの黄金」は見逃してしまったので、途中からの参戦に。飯守泰次郎指揮東京フィル。皇太子殿下ご臨席。
●歌手陣の声が強烈。ジークムント役のS・グールドが圧巻。大管弦楽団をものともしない強靭な声、しかも余裕を感じさせるほど。第1幕の「ヴェーーーーーールゼーーーー!」はたっぷりと。「冬の嵐」の抒情性も満喫。イレーネ・テオリンのブリュンヒルデはまさに戦乙女という強さと可憐さを併せ持ち、エレナ・ツィトコーワのフリッカは冷たくコワイ奥さんで、ヴォータンのグリア・グリムスレイは怒れる悲しい父親。ジークリンデはジョゼフィーネ・ウェーバー。必ずしも同情を誘わないヒロイン。
●ジークムントとジークリンデ。オリンピックに向けてダイバーシティと共生を掲げる首都東京も狼狽するほどの禁断の双子兄妹カップル。双生児の交配、遺伝子的にもぜんぜん歓迎できない。それなのに、ブリュンヒルデったら!
●演出について。かつてここで目にした、おもちゃ箱をひっくり返したようなキース・ウォーナー演出に対して未練タラタラなので、どうしても比較してしまうのだが……。あの「リング」から時が経ってからの90年代のゲッツ・フリードリヒなので、過去にタイムスリップした感はある。たとえば第1幕、床が傾斜しているじゃないっすか。あれを「登場人物の不安や人間関係の不協和のメタファーなんだな」って受け入れるようなオペラの見方を、自分はしない。そうじゃなくて、傾いているなら、なにかを(ボールでも人でも)転がすとかしてほしい。まず先に転がったり、こけたりとかを劇中で見たその後で、「あ、あれが傾いていたのは登場人物の心理状態の反映でもあったんだ」と腑に落ちるような重層性があると納得できる。あるいは第3幕。ワルキューレたちがお互い同士や英雄の死体、槍などを相手に戯れて放埓さを表現する。なんだか昭和のオッサンっぽい。全般にヴォータンがひんぱんに槍の穂先を他者に向けるシーンが多いのも気になった。これはヴォータンの強権性を表現するものだと思うが、自分は悩める弱いヴォータン像に共感しすぎているのだろうか。見どころは、第2幕のジークフリート対フンディングの対決シーン、第3幕のヴォータンの告別と魔の炎の場面。スペクタクルだった。第2幕で木馬が出てくるところはふとキース・ウォーナーを思い出させる。自分が「リング」に期待するのは「笑い」なのかも。
●で、つい演出にはいろいろ言いたくなるのだが、しかしこの第3幕ほど目頭を熱くさせるオペラの名場面はないということを改めて感じる。こんな奇跡みたいな台本も音楽も両方作ってしまうワーグナー、天才すぎ。この父ヴォータンと娘ブリュンヒルデの長々としたやりとりは本当に味わい深い。娘が幼いころからすごく仲良しで、なんでも話せるしわかりあえる強い絆で結ばれた父と娘で、ふたりとも相手のことが大好きだったはずなんだけど、なんだか最近ケンカが多くなって、関係がぎくしゃくしてきて、いったいどうしてこんな対立ばかりするようになってしまったんだろう……と思ったら、ふと気づく。あ、これって、娘が親元を離れるときがやってきたんだね。そういうファミリードラマ。だから「ワルキューレ」はワーグナーでは数少ないハッピーエンドの物語だと思う。

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