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October 21, 2016

マスカーニのオペラ「イリス」演奏会形式、バッティストーニ指揮東京フィル

●20日はサントリーホールでバッティストーニ指揮東フィルによるマスカーニのオペラ「イリス」。演奏会形式ではあるんだけど、可能な限り舞台上演に近い演奏会形式が目指されていて、演技あり、照明演出あり、スクリーンへの投射あり、客席通路の活用ありと、とても工夫されていた上演。これは演出家の名前がクレジットされるべきだよなあ……と思って、プログラムをよく見たら「指揮・演出:アンドレア・バッティストーニ」と書いてあった。なるほど、そうだったのね。ラケーレ・スターニシ(イリス)、妻屋秀和(チェーコ)、フランチェスコ・アニーレ(大阪)、町英和(京都)、鷲尾麻衣(ディーア/芸者)、伊達英二(くず拾い/行商人)、そして新国立劇場合唱団という万全の布陣で、歌手陣強力。全席完売で客席は盛況。
●で、「イリス」なんである。日本を舞台にした「蝶々夫人」と並ぶイタリアのジャポニズム・オペラ、ではあるんだけれど、「蝶々夫人」とはまったく別の種類のオペラ。もっとも魅力を感じるのはマスカーニによる後期ロマン派スタイルの鮮烈で分厚い管弦楽法。プッチーニへとつながってるんじゃなくて、むしろワーグナーとリヒャルト・シュトラウスの間に入る感じ。第1幕が終わったところで思わずプログラムで初演年を確認してしまった。1898年。シュトラウスが「サロメ」以降の主要オペラを書くより少し前、ワーグナーが「パルジファル」初演の16年後というタイムライン。プッチーニでいうと「ラ・ボエーム」初演の2年後。先駆的か。「カヴァレリア・ルスティカーナ」とはずいぶん様相が違っているわけだけど、でも一方で同様に甘美でもあり。バッティストーニ指揮東フィルによる精妙で起伏に富んだ演奏。これを新国立劇場のピットでも聴きたいもの。
●第2幕だったかな、大阪(という投げやりなネーミングの登場人物がいるんすよ)が「イリス」に対して、名乗る場面があるじゃないですか。「私の名は……欲望!」。オペラに名乗りのシーンはいろいろあるだろうけど、やっぱりワーグナー「ワルキューレ」のジークムントを思い出してしまう。「フリートムント(平和)やフローヴァルト(喜び)でありたいけれど、ヴェーヴァルト(悲しみ)と名乗ってしまうこの私。冬の嵐がどうたらこうたら。ならば、これよりジークムントと名乗りましょう!」の名場面(←かなり略)。「イリス」の初演にはワーグナーの息子ジークフリートも立ち会っていたそうなんすよ! うおおお。
●このオペラ、初演直後は世界各地で上演されるくらい人気だったのに、今じゃぜんぜん人気がない。でも、それももっともだと思った。雄弁な音楽に対して、この台本のわかりにくさときたら。イリスはどうして吉原に売られることになったのか、ぜんぜんわからない。吉原まで盲目の父親が追いかけてきて、助け出そうとするのかと思ったら、娘に会うや否や呪いの言葉を浴びせかける。で、絶望してイリスは身投げするってことになってるんだけど、いつどうやって死んだのかよくわからなかったり、死んだ後も続く最終場(音楽はすばらしい)もなにがどうなってるんだか。神話とか詩みたいなものだと思えばいい? そうなんだけど、だとしてもオペラには現代のわたしたちに訴えかけるようなテーマ性があってほしい。もしこの音楽にもっとすぐれた台本があったら、今でも人気作だったかもしれない。やっぱり台本の違いが他の名作オペラと運命を分ける原因になったのだよなあ……。
●と、一瞬思いかけたが、いやいや、待て待て。宿敵の赤ん坊を火にくべようとしてまちがえてわが子を燃やしてしまうトンデモ台本だって名作オペラになってるじゃん! ありゃ、いったいどういうことなんだ。
●そう考えると、台本から音楽までぜんぶ創出して、それが現代でもまったく色褪せないワーグナーってやっぱり桁違いの巨人であるね。
●スクリーンに出てきた蛸って、北斎の「蛸と海女」っすよね。まさかの触手オペラであった。

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