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December 21, 2016

フルシャ&都響のマルティヌーとショスタコーヴィチ

●19日は東京文化会館でヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団。マルティヌーの交響曲第5番のショスタコーヴィチの交響曲第10番というダブル交響曲プログラム。ショスタコーヴィチの交響曲第10番は今シーズンの在京オケでは大人気で、9月にロジェストヴェンスキー指揮読響、10月にノット指揮東響があって、2月にはパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響も控えている。どうしちゃったんでしょう。単に偶然?
●ショスタコーヴィチの第10番は強靭で精密。熱量も高くスリリングだった。そんなに鳴らさなくてもと思うほど。ヤクブ・振る者、恐るべし。
●で、お目当てはマルティヌーのほう。近年、フルシャ&都響やアルミンク&新日フィルで聴いた交響曲第3番と第4番はいずれも独自の魅力にあふれた作品だった。自分のなかでは、風変わりなんだけど先鋭ではなく、でも新鮮で、精彩に富んでいるという位置づけ。交響曲第5番にも同様のテイストを期待したが、手触りは少し違っていたかもしれない。多作家のマルティヌーだが交響曲は短期間に集中して書かれていて、1942年、51歳でようやく交響曲第1番を書いたかと思うと、その後は年に1作のペースで次々と交響曲を書きあげ、交響曲第5番は1946年の作曲。新古典主義的な作風に時代を反映したペシミズムがうっすら重なるという点では、つい先日デュトワ&N響で聴いたオネゲルの交響曲第2番(1942年初演)とつながらなくもない。ただ、第3番と第4番に比べると、民族的色彩が薄いというか、ベタなノリを思いとどまって踏ん切りがついていないというか、ひねりだした「労作」という感も。凝ったリズムのおもしろさがある一方、終楽章の執拗なリズムの反復はベートーヴェンの第7番を想起させる力技。
●来年、フルシャと都響はマルティヌーの交響曲第2番、第1番を演奏してくれるそう。録音で少しだけ聴いた感触としては、この両曲はかなり楽しそうな予感。