May 23, 2017

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第5番

ブルックナーの切手●前日にロジェストヴェンスキー&読響のブルックナー交響曲第5番(シャルク版)という奇観を仰ぎ見た翌日、今度はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第5番。今度は正真正銘の(?)ブルックナー。ノットと東響のコンビによるブルックナーはこれまでにもすばらしい演奏を聴いているが、今回も心揺さぶられるもの。同じ曲をパーヴォ・ヤルヴィ&N響で聴いたときにも感じたことなんだけど、神秘性や宗教的恍惚感に頼ることなく作品の構築性や抒情性を表現するという今日的なブルックナーとして説得力大。第1楽章は前夜の刺激があまりに強烈だったせいか、ありのままのブルックナーをうまく受け止められないという内部エラーに悩まされたが、次第にロジェストヴェンスキーの影を振り払って、ノットの世界に没入できるように。第2楽章、遅めのテンポが意外な感もあったけど、同じコンビで第7番を聴いたときもやっぱり第2楽章が遅めで意外とここに書いていたのだった。白眉は第4楽章。一段さらにギアが上がって、白熱のブルックナーに。対位法モンスターが最終形態に覚醒してグイグイと迫ってくる。
●おっと、ブルックナーの前にもう一曲。モーツァルトのピアノ協奏曲第6番を小曽根真のソロで。協奏曲やソナタに関して言えば、ザルツブルク時代のモーツァルトも傑作ぞろいでどれひとつとしてつまらない曲はないとは思うが、この第6番はかなりロココ調と言ったらいいのか、優雅で洗練されたテイストが前面に出ていて、その分、ヤンチャ成分が控えめという印象。それを小曽根真でという意外感。カデンツァではモーツァルト・スタイルを逸脱した(でもしすぎない)自由な演奏を聴くことができた。アンコールはレクオーナのスペイン組曲「アンダルシア」から第4曲「ヒタネリアス」。
●ブルックナーが終わった後、やはりほぼ完璧な沈黙が訪れ、その後、客席は大喝采に。この日も、楽員が退出した後、拍手が止まずノットのソロ・カーテンコールがあった。盛大なブラボーとスタンディングオベーション。たまたまだが、サロネン&フィルハーモニア管弦楽団、ロジェストヴェンスキー&読響、ノット&東響と3日間続けて指揮者のソロ・カーテンコールに出会ったことになる。これはさすがに珍しい。
●翌21日も同じミューザ川崎で同じプログラムがあったので、なかにはもう一度聴いて、三日連続でブルックナーの5番を体験した方もいる模様。もっとすごいのは京都まで足を延ばして高関健指揮京響でブルックナーの5番を聴いて、すべて異なる楽団による三連荘コースをたどった猛者もいらっしゃるとか。そうそう演奏されない曲がここまで集中したのは偶然だとは思うが、意図しても実現しないようなブルックナー第5番フェスが出現した。

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