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October 12, 2017

新国立劇場「神々の黄昏」 ゲッツ・フリードリヒ演出

新国立劇場「神々の黄昏」
●11日は新国立劇場でワーグナー「神々の黄昏」。休憩込みで上演時間6時間ということで、14時開演でも終演は20時。気合を入れて臨む。今回のゲッツ・フリードリヒ演出(フィンランド国立歌劇場のプロダクション)による「ニーベルングの指環」だが、足を運べたのは「ワルキューレ」と「神々の黄昏」のみ。半分しか観れなかったのだが、それでもなんといっても「指環」、世界の終焉に立ち会ったという感慨深さは半端ではない。泣けるオペラのナンバーワンはなんたって「指環」だ。
●飯守泰次郎指揮で、ピットに入るのは読響。大変すばらしい。この日の真の主役では。シンフォニックに鳴らし切った、豪快で起伏に富んだワーグナー。こういうスケールの大きなワーグナーを聴いたのは久しぶり。歌手陣はジークフリートにステファン・グールド、ブリュンヒルデにペトラ・ラング、ハーゲンにアルベルト・ペーゼンドルファー、グンターにアントン・ケレミチェフ、グートルーネに安藤赴美子、アルベリヒに島村武男、ヴァルトラウテにヴァルトラウト・マイヤー(第1幕のカーテンコールで大喝采)他で万全。全体に尻上がりに調子を上げていった感。開演前にペーゼンドルファーが気管支炎であるが歌うというアナウンスがあったが、途中でそんなことも忘れてしまった。これまであまり意識していなかったグートルーネという役柄に共感を持てたのが収穫。
●で、ゲッツ・フリードリヒ演出なんだけど、一言でいえばレトロフューチャーなテイスト。暗くシリアスなトーンのなかに妙にコミカルな部分もあったりもしたんだけど(拡大鏡とか、毛布にくるまるところとか)、最後のブリュンヒルデが「まだ生きてますよ」みたいなのはなんなんすかね。グンターとグートルーネの兄妹に、ジークムントとジークリンデとの相似性を描いているのはおもしろかった。
●「指環」って、「ワルキューレ」「ジークフリート」はそれぞれに愛の物語なんだけど、「神々の黄昏」は憎しみと復讐、滅びの物語だから、ホント、やるせない。ヴォータンは愛の力で自由な人間を生んで、そして失敗する。アルベリヒは愛を断念しながら隷属的な子を産み、そしてある意味で成功した。ジークフリートがすっかりダメ男になり、ブリュンヒルデが復讐心を燃え上がらせるという、この悲しさ。なぜそうなったかといえば、指環の呪いなんだけど、この話、最初から最後まで主要人物たちはずっと場当たり的に生きている。欲しいものを欲し、愛する者を愛し、憎む者を憎む。そんななかで、ほとんど唯一、一手先二手先を読んで行動しているのがハーゲン。第2幕冒頭のハーゲンとアルベリヒの悪魔的対話のシーンからもハーゲンの自信と狡猾さが伝わってくる。でもそれってなぜかといえば、ハーゲンは一度も指環を手にしていないからなんすよね。真に権力を手にしていないから、賢く振舞える。そして最後の最後に指環を手にできるというところで水に沈む。ほとんど完璧に計画通りに事が運んだはずなんだけど、彼には指環を手にした後のビジョンが見当たらない。そこがまた物悲しい。