April 18, 2019

新国立劇場 ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」&プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」

ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」
●17日は新国立劇場でツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」&プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」のダブルビル。沼尻竜典指揮東京フィル、粟國淳演出。ともにフィレンツェを舞台とした作品であり、1910年代後半に初演された同時期の作品でもある。悲劇と喜劇の組合せの妙。といっても、「フィレンツェの悲劇」は実のところ喜劇的な作品であり、そう考えると「ジャンニ・スキッキ」のほうが本質的には悲劇なんじゃないかな、と観る人に思わせるところがある。なお、この組合せは2005年に二期会が新国立劇場で上演しているので、比較的近いところに先例あり。
●音楽的にはどちらも聴きごたえがあるが、より全体を楽しめたのは「フィレンツェの悲劇」。ツェムリンスキーの後期ロマン派スタイルの豊麗な音楽を耳にすると、今年の「グレグレグレの歌」シリーズの番外編かと錯覚する。そして、この話は最高に可笑しい! 不倫現場に鉢合わせた夫が間男を殺すところまではノーマルだが、それを見た妻が「あんたってそんなに強かったのね」と夫に惚れ直してラブラブな雰囲気で元の鞘に収まるというクレイジーな結末。爆笑。これは暗黒のラブコメと呼びたい。オチもさることながら、冒頭の修羅場のやり取りからして、台詞になんとも言えないイジワルな味わいがある。グイード・バルディにヴゼヴォロド・グリヴノフ、シモーネにセルゲイ・レイフェルクス(開幕前に不調とアナウンスあり)、ビアンカに齊藤純子。
●「ジャンニ・スキッキ」は登場人物の服装が20世紀風なのだが、舞台装置が特徴的で、巨大な本や目覚し時計、天秤、メガネなどが置かれている(知のシンボルみたいなものが目立っていてなんだか意味ありげ)。つまり、登場人物はみんな人差し指大ほどのコビトあるいは妖精という設定だ。なぜ、登場人物がコビトなのか。それは最後まで見てもワタシにはわからなかった。この仕掛けがもしかして「フィレンツェの悲劇」とどこかでつながるのかなと思いきや、そうではないっぽい。ジャンニ・スキッキにカルロス・アルバレス、ラウレッタに砂川涼子、リヌッチョに村上敏明他。有名な「私のお父さん」の場面以外はひたすらジャンニ・スキッキ役の活躍のためにあるオペラ。
●この演出に限ったことではなく、「ジャンニ・スキッキ」というオペラはドタバタ喜劇の後に暗い未来が待っていることを示唆する作品だと思う。主人公が地獄に落ちることはもちろんのこと、現世においても遠からず全員が例の「手首」の刑に処されてフィレンツェを追放されるにちがいない。純粋に強欲から出た罪なので、情状酌量の余地はまったくない。無罪なのはラウレッタだけ。そのとき、ラウレッタは父と恋人に付いていくのだろうか。あるいはフィレンツェに残るのだろうか。

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