September 16, 2020

オヤマダさんのこと

●一昨日、オヤマダアツシさん(山尾敦史さん)の突然の訃報を聞いて、動揺している。とても信じられない。まだ60歳になったところだと思うが、自分のなかの印象は40代くらいから変わらないまま。
●最初の出会いは90年代半ばくらいだと思う。オヤマダさんを知ったのは、パソコン通信(インターネットよりもずっと前からあったテキストベースの掲示板)で。パソコン通信の世界には音楽について造詣が深く、しかも筆の立つ人がたくさんいて、なかでもオヤマダさんの文才は光っていた。当時、月刊誌「音楽の友」編集部にいた自分は、勇気を奮ってオヤマダさんにメールを書いて、原稿をお願いした。こんなに書ける人がいるんだから、雑誌にも書いてもらえばいいじゃないか、と思ったんである。で、実際にお会いしてみたら人柄もよく、まったく偉ぶるところがなく、フットワークも軽い。しばらくすると編集部のほかの人たちもどんどんオヤマダさんに仕事を依頼するようになり、あっという間に売れっ子になった。
●あるとき、オヤマダさんは名前を筆名にしたいと言ってきた。本名をもじって、山尾敦史を名乗る、と。この名義で出版された「ON BOOKS ビートルズに負けない 近代・現代英国音楽入門 」はイギリス音楽のガイドとして評判を呼んだ。インターネット以前の時代、海外の情報に触れるためのハードルは現在よりはるかに高く、ほかのだれにも書けない一冊だった。イギリス音楽に格別の思いを寄せるオヤマダさんは、ドイツ音楽やフランス音楽に比べて、どうしてイギリス音楽はこんなにも日本での地位が低いのかということをよく嘆いていた。
●オヤマダさんは同じことをずっとやり続けることをよしとしない人だった。はたから見るとうまく行っていることでもリセットする。いつ頃だったか、山尾敦史の名前は封印され、オヤマダアツシとして再出発した。せっかく名前が売れたのに捨てるなんてもったいない……と思ったものだが、それでもどんどん活躍の場が広がっていったのはさすがだった。
●ワタシは雑誌編集部を離れてからは、いったんオヤマダさんとのご縁は減ってしまったのだが、時が経ち、思い切って会社を辞めて独立して間もない頃、オヤマダさんが声をかけてくれた。ラ・フォル・ジュルネの公式ブログ隊を始めるから、メンバーに加わってほしいという。まだ辞めたばかりで仕事の少なかったワタシを応援してくれたんだと思う。感謝するほかない。オヤマダさんはいろんな人にご縁を作ってくれる人だったので、彼に感謝している同業者や演奏家、業界関係者はものすごく多いはず。ブログ隊は優秀な若いメンバーにも恵まれ、とてもいい雰囲気で続いていたのだが、ある年、オヤマダさんは隊長を辞めて、メンバーから抜けると宣言した。うまくいったから、もうやらない、ということだったのかな……。そこで隊長役をワタシが引き継ぐことになったのだが、オヤマダさんと同じことはできないので、以後は自分がいいと思うやり方でやらせてもらった。
●その後は演奏会や記者会見などでたまに顔を合わせるといったペースだった。会う機会が減っても、SNSなどで近況は目にしていた。病気になったといっても生死にかかわるような状況には見えず、しばらく入院したら元気になって帰ってくるイメージしかなかった。ぜんぜん気持ちの整理がつかない。

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