February 10, 2021

新国立劇場 モーツァルト「フィガロの結婚」(アンドレアス・ホモキ演出)

●9日は新国立劇場でモーツァルト「フィガロの結婚」。演出はアンドレアス・ホモキで2003年の初演以来、くりかえし上演されているプロダクション。モノトーン基調で、狭い箱型空間に段ボール箱がいくつも積まれている簡素な舞台で、かろうじて衣装箪笥がひとつ出てくる以外は、ほぼ抽象化されている。今、積み上げられた白い段ボール箱から連想するのはヨドバシカメラの通販(生鮮食品以外なんでも買ってる)。歌手陣はフィガロにダリオ・ソラーリ(「トスカ」でスカルピア役を歌った後、そのまま続投)、スザンナに臼木あい、アルマヴィーヴァ伯爵にヴィート・プリアンテ、伯爵夫人に大隅智佳子、ケルビーノに脇園彩。14日間の隔離期間を乗り越えた来日勢には頭が下がる。気品のある伯爵、軽快なスザンナ、華のあるケルビーノら、役柄にふさわしい歌手陣。ピットは沼尻竜典指揮東京交響楽団。ウイルス禍ゆえの制約も多々あったはずと感じるが、昨今の状況でこのようにオペラ上演が可能になっていることに感謝するほかない。客席は50%制限(まだら模様)、開演時間は16:30に前倒しされた。
●もし古今の三大オペラを挙げよと言われたら、自分は迷わず「フィガロの結婚」「カルメン」「ばらの騎士」を選ぶと思う。ほかに強烈なインパクトをもたらす作品はいくつもあるけど(ワーグナーとか)、普遍的な価値があり、万人に勧められて、人類代表として全銀河系歌合戦に送り出せる作品となったらこの3作。ただ、「カルメン」と「ばらの騎士」にはすばらしい台本があるんだけど、「フィガロの結婚」にはないんすよね。階級とか性差とか引きのあるテーマがあって、初夜権(今回の字幕では「領主権」)どうなるの?というつかみもばっちりなんだけど、話がどんどんグダグダになって、途中からどうでもよくなる。特に後半はフィガロの行動にもスザンナの行動にもまるで合理性が感じられず、休憩の間にこの惑星には人々が理性を失う毒ガスが蔓延したのかと思うくらい意味不明なのだが、モーツァルトの音楽の天才性がすべてを超越してしまう。
●このオペラ、最後はハッピーエンドなんだけど、それはもちろんフィガロやスザンナにとっての勝利であって、伯爵と伯爵夫人は敗北している(階級闘争だし)。伯爵は謝罪し、夫人は許すが、ふたりの間に最後に残るのはやっぱり不信だろう。伯爵のいちばんカッコ悪いところは嫉妬心。スザンナとフィガロだけじゃなく、ケルビーノの若さや美しさにも嫉妬しているんだな、と今回改めて感じた。彼が持っているのは権力だけ。スザンナへの欲望が満たされないとわかると、バルバリーナを手込めにする(と明確に表現するタイプの演出だった)。伯爵夫人の側にも悲哀が漂っている。過去の美しき日々を懐かしむが、計略で伯爵を罰したところでなにを得られるのか。ダ・ポンテ三部作はみんな結末に苦味がある。

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