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February 1, 2022

プーシキンの原作とムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」

●先日、METライブビューイングでムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」初稿を観て以来、これってプーシキンの原作はどうなっているのかな、というのが気になっていた。現在入手容易な日本語訳が見当たらなかったので、図書館頼みで「プーシキン全集〈3〉民話詩・劇詩」(北垣信行 栗原成郎 訳/河出書房新社)収載の「ボリス・ゴドゥノフ」を読んでみた。ムソルグスキーはこれをもとに自らオペラの台本を書いたわけだが、なるほど、おもしろい。ただし、背景となるロシアの歴史に自分は疎いため、先にプーシキンを読んでもまったく楽しめなかったと思う。すでにムソルグスキーのオペラを観ているから、楽しめる。文中にボリスが登場するたびに、頭の中にはルネ・パーペの顔が浮かぶし、シュイスキーが出てくればマクシム・パステルが浮かぶ。なんというか、大河ドラマを観た後で原作を読んでるような感じ?
●ムソルグスキーのオペラはプーシキンの原作に対してかなり忠実で、この原作がオペラの理解を助ける部分も大いにある。プーシキンはボリスが幼い皇位継承者ドミトリーを暗殺したという立場に立っているが、史実としては謎のまま。ボリスが狡猾な権力者であったのと同時に、ドミトリーを僭称した破戒僧も恐ろしく知恵が回る人物だったとも感じる。読んでいてなるほどと思ったのは、「ユーリイの日」についての注釈と解説。この時代のロシアでは年に一度、「ユーリイの日」の前後一週間は農民が別の地主のもとに移動する権利を持っていた。ところがこれをボリスは廃止してしまう。ボリスとしては中小の地主たちの便宜を図ったんである。つまり、移動の自由があると裕福な地主に農奴を奪われてしまうから、それを止めさせようとしたわけだ。大企業の好き放題にさせず、中小企業を守る。今風にいえばそんな感じかもしれないが、農民たちはたまったものではない。どんなブラック地主からも逃げられなくなったわけで、これは完全に奴隷状態に置かれることを意味する。
●偽ドミトリーが皇帝になれたのには、たまたまそのタイミングでボリスが急死したからでもあるだろうが、それも反ボリス勢力を巧みに取り込んでこそ。ポーランドで偽ドミトリーは全ロシアをローマ・カトリックの支配下に置くことを約束して、国王や貴族、イエズス会司祭の後押しを得たという。偽ドミトリーは戴冠後、「ユーリイの日」を復活させるが、ロシア正教会からの反発もあって、あっという間に反対勢力に殺害されている。