July 4, 2022

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のブルックナー他

●3日は東京オペラシティでフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団。ウィーン・フィル以外の来日オーケストラは久々。ウイルス禍は終わっていないが(秋のマーラー・チェンバー・オーケストラ来日公演はアジアツアーごと中止になった)、今回、予定通りにオーケストラの来日公演が実現したことはありがたい。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(河村尚子)、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(1874年第1稿)。「ロマンティック」の第1稿を聴く機会は貴重。しかも来日オケで。
●後半のブルックナーだけでも演奏会として成立する大曲だが、前半のモーツァルトが期待以上に聴きごたえあり。ロト率いるオーケストラはかなりHIPなスタイル、一方ソリストは確固たるパーソナリティを持ったモダンなスタイルなのだが、異質な組合せが功を奏してフレッシュなモーツァルトに。目指すところは作品に込められた時代を先取りするようなロマン的ドラマの表出だと思うのだが、両者が違うルートを通って同じ頂点に登山したみたいな感。第3楽章のカデンツァはどなたの作なんでしょう。アンコールにシューベルト「楽興の時」第3番。
●で、ブルックナーの「ロマンティック」第1稿だが、一般的な第2稿とはかなり違って粗削りで、これを聴くといかにブルックナーの改稿の手腕がいかにすぐれているかを感じずにはいられない。開発途上の「ロマンティック」ベータ版といったイメージ。が、これが楽しいんである。最終的に残されなかった部分にもそこにしかない魅力がたしかにあって、驚くような瞬間がたびたび訪れる。ボツ・バージョンのスケルツォは、第2稿の傑作すぎる「狩のスケルツォ」には遠く及ばないが、あの寂しげで微妙に脱力したホルンの主題をお蔵入りにするのはあまりに惜しい。終楽章のコーダの高揚感もすごい。なんというか風呂敷を広げまくったあげくに閉じ方を決めてなかったことに気づいて、強引に力技で終わらせたみたいな勢いがあって、たまらなくカッコいい。でもまあ、途中で聴いていてしんどい場所は正直ある。この演奏のクォリティがあってこその愉しみ。オーケストラのサウンドはドイツの伝統的な重厚な響きというよりは、もっと鋭敏で、かつ強靭。
●カーテンコールでロトがマイクとを持って、メモを読みながら日本語の挨拶。楽員退出後、ロトのソロカーテンコール。スタンディングオベーション。

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