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May 19, 2023

新国立劇場 ヴェルディ「リゴレット」(新制作)

新国立劇場 ヴェルディ「リゴレット」
●18日は新国立劇場でヴェルディ「リゴレット」(新制作)。エミリオ・サージの演出で、ビルバオ・オペラとリスボン・サン・カルロス歌劇場の共同制作で初演されたプロダクション。指揮はマウリツィオ・ベニーニ。歌手陣はリゴレット役にロベルト・フロンターリ、ジルダ役にハスミック・トロシャン、マントヴァ公爵役にイヴァン・アヨン・リヴァス、スパラフチーレ役に妻屋秀和、マッダレーナ役に清水華澄、モンテローネ伯爵役に須藤慎吾。歌手陣、オーケストラともども高水準。演出はおおむねオーソドックスで、奇を衒わない。
●特に印象に残ったのはハスミック・トロシャンのジルダ。以前「ドン・パスクワーレ」のノリーナ役を聴いたときもすばらしいと思ったが、今回も清澄な声質と過不足ない表現でまさしくジルダそのものといった純粋さ。リヴァスの公爵は最初は控えめだと思ったが、その後エネルギー全開で見せ場を盛り上げてくれた。フロンターリはリゴレットという人物の多面性を描き分ける。嫌なヤツだけど深く共感できるリゴレット。ベニーニ指揮東フィルは緻密。オーケストラがきれいに掃除されたかのよう。ときにはもう一段熱量がほしくなることもあるが、第3幕冒頭の弦楽器などぞくぞくするような精妙さ。歌手の魅力を存分に引き出す指揮ぶりで、全体として「整っていた」という感触。
●ヴェルディの主要オペラのなかで、いちばん心が痛むのが「リゴレット」だと思う。悲劇は数あれど「アイーダ」も「オテロ」も「ドン・カルロ」も、たとえそれが人間の本質を描いたものであったとしても、英雄でもなければ高貴な生まれでもない自分には無関係な話。でも「リゴレット」は違うんすよね。だれもがリゴレットのような道化になりうる。望まなくてもリゴレット的な役割を負ってしまう場面があるのではないだろうか。たとえば、組織で働いていても。
●愛人をさらったと思っている廷臣たちに対して、リゴレットがあれは自分の大切な娘であると言って、娘を返してほしいと懇願する場面の気まずさときたら。あの場面はリゴレットの悲哀に共感すると同時に、廷臣たちの側の「うっかりノリでやっちまったけど、そんなつもりじゃなかった……でもオレ知らねえ」にも共感してしまうようにできている。やった側とやられた側のどちらにも同時に感情移入させられるところが天才の技。
●最後、ジルダは自分を弄んだ公爵を救うために犠牲になると決意する。リゴレットにとって娘は世界のすべてなんだけど、娘は父親の所有物ではなく、ひとりの人間なのだから、自分の運命を自分で決める権利を持っている。だからリゴレットはしかるべき罰を与えられたとも言える。そこが辛辣。もとはといえばモンテローネ伯爵の呪いが発端だが、呪いはリゴレットと公爵の両者にかけられていたはず。リゴレットへの呪いが描かれているけど、公爵への呪いはどうなったのか、という疑問がこの物語の余白にあると思う。