●「熱狂の日」音楽祭~ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、終了。公式レポート・ブログのほうは、最終日公演終了後もいくつか記事が追加されているので、よろしければ余韻をお楽しみください。
●結局、4日間、ワタシは上記公式レポート・ブログを作るために、朝から終電間際までずっと国際フォーラムとその周辺にいたことになる。演奏会のほうは最終日は一公演も聴かなかった。爆睡確実だったので、ムリ。カリユステ、評判よかったので聴きたかったけど、夜遅くてもう体力が……。
●場内にモーツァルトの扮装をしたお兄さんがいたじゃないですか。4日間ずっと見てたから思うんだけど、ホントに偉い、彼は。疲れを見せず、テンションを落とさず、ずーっと会う人会う人に愛想を振りまく。カーニバルのピエロと同じ。お客さんのほうはピエロがおもしろいことを言うたびに大ウケするんだが、実際にはピエロの仕事とは決まったギャグをルーティーンで反復することであって、それをさもその場で思いついたかのようにやっている。こういう「人を喜ばしてやろう」っていう情熱は、プロフェッショナリズムの一語で片付けられない気がする。
●もし自分が客の立場で、モーツァルトのギャグを見て「それなら昨日も見た、もうおもしろくない」と感じたとき、たぶんワタシは1ポイントを失っている。そのギャグは既知だから笑わないという人間を日々満足させられるピエロはいない。
●前のエントリーで書いてたエンリコ・オノフリ指揮ディヴィノ・ソスピロだって、ワタシは初めて聴いたから衝撃を受けたけど、何度も聴けばきっと手の内が知れてくる。事実この音楽祭でも彼らの側は3公演も40番をやっているし、過激な解釈であっても音楽家のほうは様式化してルーティーンに収めているから日々同じように繰り返し演奏できる。彼らのような音楽を聴いて「最初はびっくりしたけど、もう先が読める」とか「アーノンクールを知ったときの驚きはない」と感じたとしたら、そのときワタシは1ポイントを失う。多くを「なんだ、それなら知っている」に収めてしまう方法論は、効率よく失点を積み上げる行為にほかならないな、というのがこの音楽祭が終わっての感想。って全然ラ・フォル・ジュルネと関係ないか。でも「熱狂」って、せっせとポイントを失うことに励んでいると、なかなか訪れてくれないじゃないっすか。